飼う

猫小路葵

飼う

 真っ白な壁に囲まれた、衛生的な部屋。

 天井は高く、室内に余計な装飾はない。

 とじてあるカーテンをひらくと、大きなガラス窓から朝の光が射し込んだ。

 俺は、この部屋でアキラを飼っている。

 大切なアキラ。

 寝心地のいいベッドで、アキラは健やかな寝息をたてていた。


「アキラ」


 優しく呼びかけると、アキラは毛布の中で身じろぎをした。


「アキラ、朝だよ」


 アキラは眠そうに目を少しあけて、俺の方へ両腕を伸ばしてくる。


「タクト」


 差し伸べられた手に応え、ハグを交わした。

 ベッドの足元には雑誌が一冊、無造作に置かれている。

 アキラが載っている雑誌だ。

 寒色系のライトを浴び、クールにこちらを見据えるアキラ。

 ページの中のそいつと、今こうして俺に甘えてくるこいつは、本当に同一人物なんだろうか。

 まあ、そういう落差にも俺は参ってしまってるんだけど。


「アキラ、もう時間だよ」

「まだ眠い……」

「でも起きないと」


 アキラは朝に強いタイプだけれど、昨夜はちょっと夜更かしをした。

 というか俺が寝かせなかった。

 逆に、俺の方はパチッと目が覚めたのだけど、それは神経がまだ少したかぶっているせいかもしれない。

 昨日のアキラは、いつにも増して感度がよかった。

 詳しく思い返すと体が反応してしまうので、これ以上の回想はやめておく。


「アーキラ」


 もう少し寝かせてやりたいが、アキラを仕事に遅刻させるわけにはいかない。

 俺はアキラの背中をあやし、言って聞かせた。


「撮影に遅れたら大変だろ?」

「わかってるよ……」

「だったら、ほら」

「タクトがキスしてくれたら起きる」


 アキラにこんなふうにおねだりされて、断れるやつなんているんだろうか。

 もういっそ今すぐ天地がひっくり返って、今日の仕事が休みになればいいのになんて、ついそんな気持ちにもなってしまう。


「タクト、もう一回」

「だめ。これ以上続けたらキスだけじゃすまなくなるし」

 するとアキラは口を尖らせ、俺に言った。

「けち」


 アキラは子どもみたいな駄々をこねているけれど、本気なわけではない。

 ただ、起きる前にちょっとだけ俺に甘えてみたいだけなんだ。

 でもやはり、いつまでもこうしてじゃれてるわけにいかないから……


「さ、起きるよアキラ」

「はーい、わかりましたよー」


 俺が洗ってやった髪には寝癖がついていた。

 こんな無防備さも、俺と二人きりだからこそだ。

 本当に可愛いったらない。


 アキラはようやく、俺から体を離した。

 俺はアキラの洗顔を手伝い、朝食を食べさせ、服を着せる。

 寝癖を直し、髪をとかし終えると、アキラが俺からブラシを取り上げようとした。


「タクトの髪もやってあげる」


 アキラはブラシを奪うと、俺の髪をとかした。

 わざと変なふうにとかしては、面白そうに笑っていた。


「じゃあね、タクト。行ってくるね」

「うん、気をつけて」

「まっすぐ帰るからね」


 玄関のドアをあける前、アキラはもう一度俺に振り向いた。

 アキラは「待っててね」と言って、俺に軽くキスをしてから出掛けていった。




「お疲れ様でした!」


 現場の人間が口々に挨拶を交わし、撮影が終わった。

 アキラが帰り支度に向かおうとすると、スタッフの一人が呼び止めた。

「アキラくん、おつかれ。このあとは?」

「お疲れ様です。今日はもう、家帰るだけです」

「じゃあ、アキラくんもみんなと一緒にご飯どう?」


 仲のいいスタッフからの食事の誘い。

 べつに嫌なわけではない。

 ただ今日は……


「すみません、今日はちょっと……」


 アキラの返事に、スタッフはそれ以上無理強いしなかった。

「そっかそっか、じゃあまた今度行こうね」

 そう言ってくれたスタッフに、アキラは聞かれもしないのに説明した。

「ペットが待ってるんですよ、家で」


 スタッフ相手に、ペットのことを少し話した。

 二人だけのときは、そばから離れなくて。

 なにかにつけて構いにきて。

 こちらの言うことはなんでもよく聞いて。


「今日はまっすぐ帰るって約束したから……俺がいないと寂しがっちゃって」

「そうなんだ、可愛いね」

「でしょう?」


 せっかく誘ってもらったのに、本当にごめんなさい、と現場をあとにした。

 家の前でタクシーを降りると、急いで鍵をあける。

 家に入ると、手早く靴を脱いで、部屋に向かった。


「タクト!」


 そこは、真っ白な壁に囲まれた、衛生的な部屋。

 天井は高く、カーテンはあいていて、大きなガラス窓から月の光が射し込んでいる。


「アキラ、おかえり」


 タクトは、本を読みながら俺の帰りを待っていた。

 俺は、この部屋でタクトを飼っている。


「ただいま、タクト!」


 タクトの胸に飛び込んで、タクトの匂いを気が済むまで吸い込む。

 するとタクトが俺の頬に優しく手を添えて、自分の方に向かせた。


「ただいまのキスは?」


 大切なタクト。

 タクトの手が俺の背中を、髪を撫でまわし、けっして離そうとしない独占欲の強さもほんと、可愛いったらない。


「タクト……」


 寂しがり屋のタクトをぎゅっと抱きしめ、俺がタクトをどんなに好きかってことを伝えてやった。

 寝心地のいいベッドで、今夜も俺をタクトでいっぱいにして、って。


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