魅惑の瞳に充てられて
晴好雨奇
第1話 邂逅
雨が降りしきる夜だった。
バスの窓は水滴で滲み、街の灯りはぼんやりと滲んで見えた。
車内には私と、そしてもう一人、紫の瞳を持つ美しい女性だけ。鈍い揺れと、ワイパーの単調な音が、車内の静寂をかえって際立たせている。
私は、窓に映る自分の姿を眺めた。気まぐれに銀色に染め上げた長い髪。その髪が雨の滴る窓ガラスに映り込み、ぼんやりと揺らめいている。しかし、その虚ろな姿の奥には、燃えるような黄金の瞳があった。自分の瞳の色は、私自身を映し出す鏡のようだった。時に激しく、時に冷ややかに、常に内なる感情を映し出している。
ふと、隣の席に座る女性に視線を向けた。彼女は濡れた黒髪を揺らし、窓の外を静かに見つめている。その横顔は彫刻のように美しく、完璧な均衡を保っていた。しかし、私が最も惹かれたのは、その横顔の奥に潜む、冷たい輝きを放つ紫の瞳だった。まるで深淵を覗き込むような、吸い込まれそうな深い色。
「……ねえ、」
沈黙に耐えきれず、私は彼女に話しかけた。
だが、彼女は答えない。ただ静かに、その紫の瞳を私に向けただけだった。私はその視線に、一瞬たじろいだ。だが、負けるものかという思いが湧き上がり、私は再び口を開いた。
「どうして、こんな夜にバスに乗ってるの?」
私の問いかけに、彼女はゆっくりと口を開いた。艶やかな黒髪が、吐息とともに静かに揺れる。
「……用事があったからよ」
その声は、深みのある、少し低めの声だった。私は、その声に心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた。そして、同時に、彼女の言葉が私を拒絶していることに気づいた。しかし、私は諦めきれなかった。
「ふうん……。私と同じだ」
私の言葉に、彼女は少しだけ眉をひそめた。
「あなたも、用事があったの?」
「そうだよ」
私は、彼女の視線から逃れるように、窓の外へと視線を向けた。街路樹の葉が、雨に打たれ、風に揺れていた。私は、この美しい女性との出会いが、運命的なものであることを信じたかった。
「……私、あなたに興味がある」
私は、自分の本心を口にした。彼女の紫の瞳が、少しだけ見開かれる。私は、その変化を見逃さなかった。
「私、あなたの瞳の色が好き」
私は、彼女に近づき、そっと手を伸ばした。彼女の艶やかな黒髪が、私の指先をくすぐる。彼女は、私の手の動きを止めることもなく、ただ静かに私を見つめていた。その瞳は、私をすべて見透かすような、深い輝きを放っていた。
「……あなたは、面白い人ね」
彼女は、静かにそう言った。そして、私の手に、彼女の手がそっと重ねられた。その手は、冷たく、そして柔らかだった。私は、その手に触れた瞬間、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
この夜、このバスの中で、私と彼女の運命は、静かに、そして美しく交差したのだ。
あの夜のバスでの出会いから一週間。
私の日常は、微かに、だが確実に色を変えていた。雨に濡れたガラス越しに見た彼女の横顔が、紫色の瞳の冷たい輝きが、脳裏から離れない。クラスメートたちの賑やかな声も、担任の退屈な授業も、すべてが彼女の存在によって薄れていくようだった。
「ねえ、どうしたの?ぼーっとして」
隣の席の早苗が、私の肩を小突いた。私は我に返り、適当な笑顔を返す。
「なんでもない。ちょっと考え事してただけ」
「へー、珍しいじゃん。あの氷の女王みたいなあなたがねえ」
早苗の言葉に、私は少しだけムッとした。
氷の女王。
別にそんなつもりはない。ただ、他人に安易に心を開かないだけだ。いや、もしかしたら、本当にそうなのかもしれない。だって、私は自分でも持て余すほどの、この燃え盛るような黄金の瞳と、気まぐれに色を変える銀色の髪のせいで、他人から浮いていることを知っていたから。
放課後、私はいつものように図書室へと向かった。放課後の図書室は静かで、私にとって唯一の安らぎの場所だった。しかし、その日の図書室は、いつもと少し違っていた。
奥の書棚に、一人の女子生徒が立っていた。艶やかな黒髪が、夕陽の差し込む窓の光を浴びて、静かに輝いている。そして、その背中を、私は知っていた。
「……は?嘘でしょ」
私は思わず、独り言を漏らした。なぜ彼女が、こんな場所にいるのだろうか。いや、図書室にいること自体は不思議ではない。ただ、私と彼女は、同じ学校にいた。その事実に、私の心臓は早鐘を打った。
彼女は、静かに本を選び、そして私に気づくこともなく、席についた。私は、その姿を追いかけるように、彼女の近くの席に腰を下ろした。
だが、話しかける勇気はなかった。バスの中ではあんなに強気に振る舞えたのに、学校という日常の場で再会すると、途端に臆病になる。
彼女は、哲学書を開いていた。意外なチョイスに、私はますます彼女に惹かれていった。彼女の知的な横顔、黒髪の艶やかさ、そしてあの神秘的な紫の瞳。そのすべてが、私を狂おしいほどに惹きつけてやまない。
「……ねえ、それ、面白い?」
意を決して、私は彼女に話しかけた。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、私にその紫の瞳を向けた。その瞳は、やはり冷たく、そして美しかった。
「……あなた」
彼女は、私の顔を見て、微かに口角を上げた。その表情は、一瞬の、見間違いかと思うほど儚いものだったが、私は見逃さなかった。
「奇遇ね。まさか、あなたもこの学校だなんて」
「あなたもね。ていうか、もしかして同じ学年?」
私の問いかけに、彼女はゆっくりと頷いた。
「ええ。三年生よ。あなたも、でしょう?」
「うん。……なんだ、じゃあ、毎日会えるってこと?」
私の言葉に、彼女は何も答えなかった。ただ、その紫の瞳が、少しだけ輝きを増したように見えた。
私は、彼女の名前を聞いた。彼女は「月野」と名乗った。そして、私が自分の名前を告げると、彼女は「ふうん」とだけ言った。その素っ気ない態度に、私は少しだけ肩を落とした。だが、彼女はすぐに、私にこう続けた。
「……ねえ、また会えるかしら」
その言葉は、まるで魔法のようだった。私の心は、一瞬にして歓喜に満たされた。私は、彼女の言葉に頷きながら、自分の頬が熱くなるのを感じた。
「うん!毎日でも会えるし!」
「そう……じゃあ、明日もここで会いましょうか」
「……っうん!」
彼女は、静かに微笑んだ。その微笑みは、あのバスの中で見た横顔のように美しく、そしてどこか儚げだった。私は、彼女のその微笑みに、完全に心を奪われた。
放課後の図書室。静かな空間に、二人の女子高生が、まるで世界のすべてであるかのように存在していた。私は、彼女の存在を、この日常の中で見つけることができた。それは、私にとって、何よりも尊い発見だった。
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