集合住宅サーガ
九木十郎
第一話 戦闘マンション
1-1 まぁ、直ぐ判るでしょう
スマホのアラームで目を覚ましてみれば陽は随分と高くなっていて、寝室のカーテンの隙間から差し込む「朝だ起きろ」な白い光線は、静かな部屋の暗がりを切り刻んでいた。
夏は着実に近付いてきているのだなと思わせるのに、充分な問答無用さである。ヤレヤレと溜息が洩れた。
「起きるか」
起きたくないが起きねばならない。何せ本日は月曜日。全人類就業に勤しむ善良な市民の全てを
仕事に行きたくねぇなぁ、と心底思うけれど行かねばならない。遅刻する自由すらない。タイムレコーダーにIDカードをかざすタイミングが遅ければ、間違い無く課長からの嫌みと皮肉に彩られた「勤怠指導」を拝聴せねばならないからだ。
ネチネチどろどろとしたお小言で週初めのダークな気分を、更に黒々と上塗りして悪化させるほど俺はドMじゃない。ベッドから起き出すと寝間着のまま顔を洗って、キッチンで朝食を作り始めた。
食事を終えて歯を磨き、ヒゲを剃ってシャツを羽織った。
スーツを着込むと、バックパックに仕事用の一切合切を押し込んで背中に背負った。
寝室に置いているキャンバス地のフィッシングロッドケースを手に取り、マジックテープの取り出し口を開けて中身を確認すると、口を閉じないまま、スーツジャケットの上から腰に巻いたストラップベルトに固定した。
玄関で愛用のジャングルブーツを履き、足首固定用のマジックテープを固く締める。
玄関の姿見でネクタイを確認すると、両手でぱしりと自分の頬を叩いた。
「よし。行くか」
気合いを入れるとチェーンロックを外し、ドアの鍵を開けた。
俺の住んでいる部屋は築二〇年九階建て鉄筋コンクリート製の七階。3LDKペット可の分譲マンションである。
分譲と
駐車場と管理費と部屋代コミコミで月々二万二千円。リフォームおよび水回りもクリーニング済みで即入居可。テーブルやチェストなど家具一式が設置され、しかも敷金ゼロという太っ腹だ。
最寄りの駅まで徒歩八分。付近は住宅地で騒音や悪臭などとは無縁。近所にはスーパーとコンビニが二軒も在る。
確かに築二〇年は新しいとは言えないが、それ以外は極めて良質な物件だった。薄給で独り身の俺としては正に極上と言ってもイイ。不動産屋で部屋を探していたときにコレを発見した時には目を疑ったものだ。
「あの、コレ。事故物件か何かですか?」
思わず訊いてしまった俺の反応は決しておかしくないと思う。
「いえいえ、とんでもありません。額面通りの家賃で記述内容も間違いありませんよ」
お疑いでしたら新築時からの住居情報が在りますよ、と言われてその帳面まで見せてもらった。
流石に居住者個人の情報は伏せられていたが、特に警察沙汰や火災やトラブルの記述もなかったし、テレビのCMでも時折目にする大手の不動産会社が虚偽の記述をするとも思えない。
コンプラが極めて
まぁそれに、ナニか不都合があったら直ぐに解約すればイイか。
そう軽く考えて俺は、部屋の確認を済ませるとその場で契約書に捺印してしまったのだ。後になって、記述内容をよく確認しておくべきだったと、深く後悔することになるのだが。
「それではコレで契約は完了ですね」
契約書の写しは後日郵送すると言われ、部屋とマンションの規約や管理状態の説明を受けた後に、部屋の鍵を手渡された。
「あの、この部屋の持ち主の方はドコに住んでいらっしゃるのでしょう」
そもそも名前すら教えてもらって居ない。個人情報の守秘義務ってヤツだろうか。
しかしここのオーナーが不動産屋に丸投げするのは自由だが、ナニか在ったときの為に連絡先くらいは知っておきたかった。
「はい。ですからこうして、一緒に立ち会っていただいておりますよ」
「は?」
この部屋には俺とこの小太りな不動産屋のおっさんしか居ない。
「あの、ひょっとしてあなたがこの部屋の家主さん?」
「いえいえトンデモない。ココにこうしていらっしゃいます」
手の平で指し示された先にはテーブルが在って、その上には黒い布袋で包まれた細長いモノが鎮座していた。
差し渡し一メートルくらいの棒状のナニかだ。釣り竿か竹刀が入って居ると言われたら素直に納得出来る。しかしこの不動産社員の言っている意味が分からなかった。
「家主さんの持ち物ということでしょうか」
「いえ、この袋の中に入っているモノがこの部屋のオーナーというコトです」
いったい何を言いたいんだろう。俺は思わず小首を傾げた。
おっさんは百聞は一見にしかずですね、と言って布袋を手に取ると端口を縛ってある紐を解いて中身を出して見せた。
それは申し訳程度の小さな
随分と年期が入っており、何というか雰囲気があった。
「
「え、いいんですか」
「はい。今のあなたなら抜ける
何だか骨董品的なオーラに尻込みしたが、
「じゃあ」
柄に手を掛けて少し力を込めれば、少しばかりの抵抗感の後にカチリと小さな音がする。そして、するりと滑るようにスマートな刀身が姿を現した。
「ああ、やはり」
不動産社員のおっさんがしたりと感嘆した。
と同時に、俺も素直に「おお」と声を漏らした。
微かに青みがかって見える刃は、リビングの照明の下で妖しい光を放っていた。
まるで冷たい水に濡れているみたいな凄みがあった。
「凄い、ホンモノみたいだ」
「本物ですよ。実剣です」
「えっ、模造刀とかじゃなくて?」
「これからソレはあなたの相棒となって、なくては為らない存在となるでしょう」
「さっきから何をおっしゃっているんです。それにこんなマジもんの剣、何故こんな所に持って来たんです」
俺はただ、本日ココに部屋を借りに来たダケだというのに。
「この剣と
「訳が分かりません」
「直に判りますよ。それでは建物や部屋の不具合、その他気に
満面の営業スマイルでペコリと頭を下げると、不動産屋のおっさんはビジネスバッグを片手に部屋を出て行こうとするのである。
「待った、ちょっと待った。待って下さい。この剣、忘れてますよ」
抜き身のままなのに気が付いて慌てて鞘に入れ直すと、玄関で靴を履くおっさんに駆け寄って、物騒なコレを手渡そうとするのだ。
「もうそれはあなたのモノです。あなた以外の者に抜くコトは出来ませんし、離れることもありません」
「なによく分からないコト言ってるんですか。それにモノホンの剣だの何だのって勝手に持つこと禁止されてるでしょう。確か銃砲刀ナンタラって法律、
「いえしかし・・・・」
「イイからコレ、持って帰って下さいよ」
「分かりました。まぁ、直ぐ判るでしょうし、
またそんな意味不明な台詞を
目の前でガチャリと音を立ててドアが閉まり、ソコでようやく俺は、ふうと一息ついたのである。
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