リリーなのか。

久しぶりということもあってか納得のいく作品はすぐには描けなかった。もう一度基礎から勉強し直すべく画材店へ技術書を買いに向かうことにした。絞らないと出てこないほどに中身のない絵の具と同じ色、追加のキャンバスも一緒に買うことにした。

「最近よく来られますよね?きっと沢山描かれてるんですよね。水彩絵の具を買われてるみたいですが、何を描かれてるんですか?風景画ですか?」

「人物画です。」

「へぇ、水彩絵の具ってことは儚さを出したくて?また納得のいく作品が出来上がったらぜひ見せてください。」

そんな何気ない会話を交わして僕は店を後にした。

家に帰り、キャンバスを収納場所に置いた。箱から水彩絵の具を取り出してパレットに出す。何が駄目で納得がいっていないのだろうか、そう思い目を凝らして絵画を見た。赤色だ。唇の赤色が彼女に似合う色ではない。美術館で見た赤色を再現しているはずなのに再現しきれていない。命の強さを感じるがどこか繊細味のある赤色。再現するのは難しいのか。やはり実の兄には勝てないということを痛感した気がした。そもそも勝つということを目標にしているわけではないが。


夏季休暇も終わり、後期が始まった。大学の講義が終わり、暑い中、家へと帰宅していた。アスファルトは陽炎をあげ、昨年よりも頭に響く蝉の鳴き声。画材店に入ろうとしたとき、前から歩いてきた女性がいた。リリーだった。


絵画で着用していた中流階級の貴族のような柄のドレスではなく、白いワンピースを着用しているがそれが逆に彼女の素材の良さを引き立たせていた。涼しいとは言えない風に吹かれて長い髪とスカートが靡いている。彼女自身は涼しく見えた。

僕は彼女を凝視してしまっていたようで彼女は怪訝な目つきで僕を見ていた。

「あ、ごめんなさい」

それだけ言って逃げるように画材店へと入った。店内は涼しかったがその涼しさを感じるよりも僕の心は彼女でいっぱいになっていた。十分に理解している。あれがリリーではないのだと。リリーに似た女性であるだけなのだと。麦わら帽子を被っていたから影になってリリーに見えていたのだろうか。髪色や目の色は違えど瓜二つと言っていいほどのその容姿は脳裏に焼き付いて離れなかった。せっかく入った涼しい画材店を後にして、僕は彼女を追いかけた。その行動に罪悪感を覚えたが、その時は頭と体どちらとも制御が効く状態じゃなかった。これにより得られたのはその日の彼女の行動だけだった。本屋に寄り、カフェに行ってマンションやビルが立ち並ぶ路地に入って行く。家まで行こうかとも考えたがそこまですれば僕が崩れる気がした。もうすでに崩れかけているのにこの時の僕は崩れているという自覚がなかった。

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