第3話 傷を負った狐


 騒がしくとも居心地がいい親睦会の終わりが近づいた頃、疲れ切った様子の蘭丸がひとりで鈴音の元を訪ねてきた。潔子の姿が見えないため、周囲を伺えば、鈴音の意図に気が付いたらしく「雪妖せつようの長に押し付けてきた」と返答を貰った。


「奴なら、潔子を相手にしていても問題はないだろう」


 と、深く息を吐く。その動作に蘭丸がいかに潔子の世話に手を焼いているのかよく分かる。


「先ほどはすまなかった。怪我はないか?」

「ご心配をおかけしました。大丈夫です」


 鈴音がはにかむと蘭丸は「よかった」と安心し、すぐさま目尻を鋭いものにさせた。


「……なあ、お前の婚約者は妖狐だろう?」

「はい、そうですけれど」


 急に雰囲気が鋭くなる蘭丸に、鈴音はたじろぎながら顎を引く。


「なぜ、あの野郎は参加しない」

「それはお仕事で」

「仕事など、部下に命じればいい。妖狐奴らとて、全員が戦えないわけではない」


 そんなこと聞かれても答えることができない。協定を結ぶ条件として、彼が悪さをする同族を討伐しているのは聞いているが、発生時期も討伐対象も何もかも鈴音は一切知らされていないのだから。

 鈴音が押し黙っていると蘭丸は更に目尻を吊り上げた。


「お前、妖狐の野郎にされている?」

「何を、とは」

「とぼけるな。鬼でも鼻は利くんだ」


 蘭丸の目線が鈴音の身体に降り注ぐ。


「全身からあの野郎の匂いがしやがる」


 鼻筋に皺を作ると蘭丸は忌々しそうに吐き捨てた。


「もし、奴が協定を揺るがすようなことをしているのなら言え。お前が直接、言えないのならば俺が言ってやる」

「……いえ、大丈夫です。旦那さまはご多忙なので、あまり話すことはできませんがよくしてもらっています」


 お面のおかげで表情がでなくても、鈴音は笑顔を作る。薪田の気遣わしげな視線を背後に感じながら、今までのように何度も嘘を重ねた。


「私は大丈夫です。なにも、問題はありません」


 鈴音の意思を尊重してくれたのだろう。蘭丸は納得しない様子ではあるが、必要以上に問い詰めることはせず「そうか」と重々しい声音で呟いた。


「困ったことがあれば俺でも、雪妖の長でも、海魔かいまの長でもいい。言えば手を貸すぐら」


 不自然に言葉を切ると蘭丸は背後を振り返り、腕を伸ばした。走り寄ってくる潔子の肩と腰を掴み、食い止めて、己の方に抱き寄せる。


「——潔子! お前は大人しくしていろっ!」


 腕の中に閉じ込められた潔子は「嫌よ!」ともがくと、鍛え上げられた腕を力いっぱい叩く。バシバシと大きな音が響くが蘭丸は一寸たりとも痛みに顔を歪めない。


「あなたが変なこというからみんな固まっちゃったのよ」


 その言葉に周囲を見渡せば四対の視線がこちらに向いていた。菓子を頬張る雅臣は不思議そうに目を丸くさせて、その頬についたチョコを拭き取りながら氷織は冷たい目を向けている。少し離れた場所にいた陸朗太と千姫も心配そうな眼差しを浮かべていた。


「仕事なら仕方ないじゃない。そんな意地悪言わないの」

「意地悪ではない。婚約者を優先しろって言っているんだ」

「あら、あなたみたいにずっと婚約者優先できるほど暇じゃないのでしょう」

「俺も暇ではないんだがな……」


 蘭丸は遠い目をする。鬼は妖魔の中でも好戦的な種族だ。蘭丸もその血に従うように強者を求めて、戦うことを好んでいる。理由はさておき、国からの妖魔討伐の任務は様々な種族と対戦できる絶好の機会だ。それなのに引退した先代である父が〝潔子嬢を優先しろ〟と命じたため、蘭丸は討伐任務につくことなく、潔子の制御役として今日も側にいることとなった。


「お前がもう少し大人しくしてくれれば、討伐に参加できるんだが」


 父からの命令を無視して参戦することもできるが、目を離した隙に潔子がどんな行動をとるか予想ができないので難しい。


「あら、失礼な。わたくしはとても大人しいわ」

「……そうだな」


 はあ、と息を吐いてから蘭丸は鈴音に向き合った。


「妖狐の嫁よ。お前は確かに妖狐の長に嫁ぐ身だが、配下ではないことを自覚しろ。俺ら妖魔とお前たちは対等な存在だ。無下にされても我慢することはない」


 ぶっきらぼうな口調ではあるが蘭丸が心配していることは理解できた。

 同時にその言葉の裏に隠された意図も、彼らの視線に含まれた感情も、全て。


(心配をかけるわけにはいかない)


 自分は紛い物だ。華族とは名ばかりの、ただの下等な存在。そんな自分が他人に迷惑をかけていいわけがない。


「大丈夫です。よくしてもらっています」


 鈴音は笑顔を作った。




 ◆




(……どうして、みなさまは仲良くできているのかしら)


 流れゆく景色を呆然と見ながら鈴音は考え込む。

 親睦会の帰り道、潔子が手配してくれたタクシーに一人乗り込んだ鈴音は、先ほど見た光景を思い出しては、ため息を何度もついた。

 鬼である蘭丸に臆さず話す潔子、千姫を気遣い愛おしそうに見つめる陸朗太、美味しいお菓子を氷織にも食べさせようと目を輝かせる雅臣。

 人智を超えた存在でもある妖魔を伴侶にあてがわれた彼らは、鈴音のように相手に怯えることもなく対等に話していた。

 それはまた妖魔側も同じだった。突拍子のない行動をとる潔子を呆れたように見守る蘭丸、陸朗太に全幅の信頼を寄せている千姫、氷織の凍空のような眼差しも雅臣を前にすると微かな熱を帯びる。

 人間相手でも決して見下さず、対等に接していた。


(……どうやったら、仲良くできるのかしら)


 手紙が届いた時、鈴音はとても嬉しかった。自分のように妖魔と馴染めない同族人間と話せると思っていた。悩みを相談して、夢にまで見た友達という関係になれると思っていた。

 けれど、実際には彼らは対等な立場を築いていた。

 鈴音だけが婚約者——真宵と打ち解けることができていない。彼を信頼し、また彼から信頼を寄せられるような対等な立場を築けていない。


(旦那さまは、なにをお考えなのかしら)


 真宵の望みは一刻も早く、子どもを作ること。それ以外に彼の好きなものや嫌いなもの、家族構成に至るまで鈴音はなに一つ分からない。


(……婚約者なのに、旦那さまがいつお戻りになるのかも分からない。夕霧ねえさまや桔梗さまは教えてもらっているのに、私は知らない)


 タクシーが停車したことで鈴音は思考を止めた。運転手に感謝を伝えると自動車から降りて、いつものように玄関をくぐとうとする。

 その時、嫌な予感が胸をざわめかせた。不安にも似たその予感は、一向に治る気配はない。それどころかより一層とざわざわと大きくなり、胸の中でうずを巻き始める。


「……誰かいるのですか?」


 恐る恐る声をかけるが返答はない。あかりが落ちて、仄暗い屋敷には生き物の気配がない。気のせいだろう、と自分に言い聞かせて歩を進めた時、耳をつんざくような鳴き声が聞こえた。

 風もないのに葉が揺れて、こずえの間から幾羽もの鴉が飛び立った。空から降り落ちる葉と黒い羽を手で払いながら、鈴音は鴉が飛び去る方角を見つめた。

 鴉なんて珍しくもないのに胸のざわめきは酷くなる一方だ。このままでは治まらないと思った鈴音は鴉の後を追いかけることにした。


(なにか食べている?)


 鴉の集団は一箇所に団子のように集まって、鳴きながら地面を突いていた。時折、ついばむのを止めては周囲を見渡して警戒する素振りを見せて、また地面を突くのを繰り返している。

 木の陰に隠れながら鈴音は鴉がついばんでいるを見ようと目を細めた。


「——狐?」


 驚きに目をいた。黒々とした羽の中、まだら模様を持つ大きな狐が横たわっていた。死んでいるのか、気を失っているのか、鴉についばまれてもぴくりとも動かない。


(……旦那さまの仲間?)


 地面に広がる五つの尾を見て、鈴音は狐を助けるために駆け出した。

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