第2話 散らばった木片
国が妖魔に啓示した条件のひとつに「国民に害を成す妖魔の討伐」というものがあるそうだ。
妖魔といっても種族は様々であり、家に住まわせてもらう代わりに福をもたらす
妖魔の代表格が人間と婚姻を結んでも、納得できない妖魔は昔と変わらず人間を襲う。そんな人間に害を与える妖魔を討伐するのも真宵を含む長たちの仕事だという。
夕霧はまるで子守唄のように優しい声音で語った。語られる内容は子守唄とはかけはなれているが、鈴音は気にも止めず、それよりも大根を切り分けることに苦戦していた。ぜんまいやほうれん草は簡単に切り分けられたのに、大根は力がいる。体重を乗せて切ろうとすると夕霧が慌てて止めるので地道にゆっくりと切り分けるしかない。
「これはお味噌汁用だから、もう少し薄く……危ないから私が変わるわ」
「す、すみません」
さすがにこれ以上、見守ることはできなかったらしい。鈴音から包丁を受け取ると、夕霧は慣れた手つきで大根をいちょう切りにしていく。あれだけ悪戦苦闘していた大根がみるみるうちに切り分けられていく様子を鈴音を目を丸くさせて観察した。
「誰だって最初は失敗が続くものよ。でも、安心して。鈴音ちゃん、最初の頃と比べてとても上手になっているもの」
褒められたことが嬉しく、鈴音は赤い顔を見られないように俯いた。小さな声で感謝を呟けば、夕霧は更に笑みを深くさせる。
夕霧が従者となり、早くも三週間が過ぎようとしていた。彼女は穏やかで優しいが鈴音を必要以上、甘やかすことなどせず、自立できるように料理や掃除といった家事を叩き込んでくれた。
(夕霧ねえさまにはいつも助けられてばかりだわ)
鷹司の屋敷にいた頃は必要な時以外、座敷から出ることは許されなかった。毒を入れられたら困ると
生まれて初めて料理をしたが、想像していたよりも難しい。包丁で指を切ってしまうし、跳ねた油で軽い火傷も負った。
夕霧は「嫌ならしなくてもいいわ」と言ってくれたが、それでも鈴音は料理を教えて欲しいと頼み込んだ。
いつか子どもができて、自由になった暁には死を選ぶのか、生を選ぶのかは分からない。後者を選んだ時、少しでも自分一人で生活する力を身につけなくてはいけないと思ったから。
「先ほど、旦那さまにお会いした時に〝しばらく討伐で留守にする〟と言付かったの」
「旦那さまは、しばらくこの屋敷にいらっしゃらないのですか?」
輝く瞳で
子どもを作るためにと受け入れていたが、できればしたくないのが本音。鈴音は安堵から息を吐く。
それを見て、夕霧は眉を落とした。
「……鈴音ちゃんは、旦那さまとの
「嫌、というか……」
鈴音は視線を左右に動かした。
「殺される、と思って」
自分より体格の大きな男が覆い被さってくる。足や腰に添えられたその力は強く、加減をされていても痣となる。やめて欲しいという言葉や悲鳴すらあげられない。少しでも機嫌を損ねれば殺されてしまう。——その時の恐怖を思い出して身震いする。
「旦那さまが、なにを考えているのか分からないのも、……怖いです」
「……そう」
悩ましそうに夕霧はまつ毛を伏せた。
「案外、なにも考えていないかもしれないわ」
「夕霧ねえさまは旦那さまと仲がよろしいのですか?」
「うーん、仲がいいというよりも仕事柄、話をする程度かしら。鈴音ちゃんもなにも考えずに話しかけたらどう? 意外と返事をしてくれるから」
「……でも、私、話すなって言われて」
「え、旦那さまに?」
鈴音が小さく頷くと、夕霧は呆れたようにため息をつく。
「今度、私から注意をしておくわね」
いいえ! と鈴音は首を左右に振った。
「大丈夫です! 気にしていませんから!」
意思の疎通ができないのは悲しいけれど、真宵の怒りを買えば事態は悪化するかもしれない。自分のわがままが原因で、夕霧の身にまで危険が及ぶのはどうしても避けたかった。
懸命に、やめてくれと懇願する鈴音を不憫そうな眼差しで見つめながら夕霧は仕方ないと言いたげに顎を引く。
「わかったわ。でも、なにかされたり、言われたら絶対に私に報告すること。いい?」
「わ、わかりました。約束します」
その言葉を聞くと夕霧は満足そうに微笑んだ。美しい
「あ、すみません。その、私、なにもできなくて」
話しながらも夕霧はてきぱきと料理を続けていたようで、気がつくと全ての料理が完成していた。今日の朝食は白ごはんに大根と油揚げの味噌汁、タラの芽の天ぷら、漬物。
「気にしないで、料理するの好きだから」
「あの、夕霧ねえさまのお食事は用意なさらないのですか?」
いつもは二人分の料理を膳に乗せて、鈴音の座敷で食べているのに今日は一人分しか用意されていないことに鈴音は疑問を抱く。
夕霧は
「戻ってくるのはお昼過ぎ、遅くても夕方までには帰ってくるつもり。料理は多めに作ったからお昼はそれを食べてね。温める時、火傷には気をつけるのよ」
鈴音は「はい」と頷いた。夕霧がいないのは寂しいが、わがままは言っていられない。
◆
朝食を終えて、器を洗い終えた鈴音は自室へと帰る途中、足を止めて周囲を見渡した。真宵は討伐に、夕霧は用事に出掛けて行き、この屋敷には自分と桔梗の二人だけ。それにしては妙に静かだと思った。
桔梗は自分や夕霧を敵視しているのかあまり近付いてはこない。真宵がいない今、帰省したのか自室からでてこないのか分からないが、誰もいない屋敷というのは心がすり減るような寂しさがある。
(まるで、なにかでてきそう)
例えば、戸棚の隙間から目玉がこちらを見ていたり。
例えば、物陰から黒い影が身を潜めていたり。
例えば、天井に誰かが張り付いて鈴音を見下ろしていたり。
一度、嫌な妄想をしてしまったら次々と恐ろしいことを考えてしまう。生来より怖がりな鈴音は急いで自室へと向かった。
「……桔梗さま?」
襖を開けて飛び込んできた光景に鈴音は目を見張った。
毛先にいくにつれて青みがかった神秘的な黒髪を持つ美しい女は、名前を呼ばれて微笑する。振り返る拍子に耳と尾がふわりと揺れて、豊満な肢体を飾るドレスの裾が膨らんだ。
「あら、もういらっしゃったのですか?」
冷たい響きを帯びた声が青紫の唇から紡がれる。
「あの、ここは私の」
「知っていますわ」
鈴音の言葉を遮って、桔梗は自らの手元に視線を落とした。細い指先は薄い物体を掴んでいる。桔梗が指を動かすたびにきらきらと光が反射する
「それって」
桔梗は口角を持ち上げると鈴音の目にも見えやすいように薄い物体——
ひゅっ、と鈴音は息を止めた。鏡台の棚にしまっていたものをどうして桔梗が持っているのだろうか。それを、自分に見せて、なにをしたいというのだろうか。
「美しい櫛ですわ。人間ってこういうものを作る腕だけは素晴らしいと前々から思っていましたの」
「あっ、あの、気に入ったのでしたら、桔梗さまのために新しい櫛を用意します」
緊張を悟られないように鈴音は笑顔を浮かべた。その櫛を返してもらえるなら、着物を何着か売って桔梗に似合う櫛を購入しようと考えて提案する。
「人間の作った櫛をわたくしに使え、ですって?」
はっ、と桔梗は鼻で笑い、両目を細めた。
「醜い目を晒すな、と言ったのも忘れるだなんて。わたくしは軽んじられているのですね」
「いえ、その、旦那さまが留守だと伺って……」
鈴音は俯いた。真宵が出かけたため、眼を晒して歩いていたのは事実だ。言い訳のしようもない。
「留守? ああ、化け狸の討伐と教えられなかったのですね。婚約者という立場ですのに」
「それは……」
「わたくしは教えてもらいましたわ。着いていくと申し上げたのに断られてしまいましたけれど。でも、きっとわたくしに危険が及ばないようにという配慮があってでしょう」
櫛を持たない手を頬に添えて、桔梗は幸せそうにはにかんだ。頬を染める姿は天女のように美しい。
「だから、ここに来たのです。真宵さまがいらっしゃらず、あの目障りな雌もいない、この時間ならあなたさまと二人きりになれるから」
「なにを、あの、謝ります。なにか気に障ることをしてしまったのなら」
床に膝をつこうとした鈴音の耳に、なにかが壊れる音が聞こえた。木が砕け折れる音。それは桔梗の手の内から——。
「やめて!!」
楽しげに桔梗が笑声をあげながら手を傾ける。木の欠片が滑り落ちて、畳の上に広がった。
「なんで……」
かつて櫛だったものの、変わり果てた姿に鈴音は泣きながら桔梗を見上げた。この櫛は母から贈られた宝物だ。どんな時もこれがあれば耐え凌ぐことができた。
「
だから壊した、と桔梗は高らかに笑った。畳に膝をつき、櫛を掻き集める鈴音を見下ろして。
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