第4話 桔梗という女


 無言の車内はとても気まずい。なにか話すべきだろうか、と運転席に腰掛ける時哉の様子を伺うが、なにやら難しい表情で思い詰めている様子なので話しかけることができない。


(時哉兄さまはなにをお考えなのかしら)


 流れゆく景色を見ながら思案に暮れる。先程、時哉は「鈴音を救うため」と言った。そのために大学へ行き、実績を重ねて鷹司家を正式に継ぐと。それまでの間、妖魔の怒りは買うなと。


(……わからない。昔から、時哉兄さまの考えていることが)


 なぜ時哉がここまで自分のために行動してくれるのか鈴音はわからなかった。

 初めて会った時のことは、正直いうとあまり覚えていない。おそらく、時哉が本家に招かれた際に出会った、のだと思う。幼い頃の鈴音はずっとお面をつけて、母にべったりで親戚はおろか毎日顔を見合わせる使用人にすら心を開かない子供だった。

 だから、時哉とは直接話したことはないし、存在を知ってからは父が気に入っている少し年上のお兄さんという印象だった。


(……そうだ。確か、時哉兄さまが戦争からご帰還なされてから、よく話かけてくださるようになったのだわ)


 時哉の配属先は知らない。ただ、戦地から帰還した彼は満身創痍まんしんそういという言葉が適切な状態だったのは、よく覚えている。

 景義かげよしの厚意で時哉は傷がえるまで鷹司の屋敷で暮らすことを許された。週に三度、医者を呼び、治療にあたらせたことで体に刻まれた傷はすぐさま癒えた。けれど、心的外傷トラウマを克服するのは難しく、時哉はほとんど寝間からでてこなかった。使用人が食事を運んでも一口も食べず、その身体はみるみるうちにやせおとろえてゆき、毎日のように点滴を繋がれていた。

 それで、それを見た鈴音は——、


「――ああ、ここか」


 前方から聞こえた憎らしげな声に、鈴音は意識を現在に引き戻した。恐る恐る、周囲を伺う。深い森の奥、獣道のような荒れた道を抜けたその先に、くだんの屋敷は現世から隠れるようにひっそりと建っていた。

 豊かな葉を茂らせた木々が空を覆い隠しているため、周辺は昼間なのに薄暗い。タイヤが小石を踏む音に驚いたのかからすの群れが飛び立った。


「こんなところで暮らせと? ……今からでも遅くない。一旦、戻ろう」


 時哉がブレーキを踏もうとした時、屋敷から一人の女が出てきた。


「お待ちください、時哉兄さま。どなたか屋敷からこちらに向かってきます」

「使用人。——いや、人間か?」


 時哉は車を停めると女をじろじろと観察した。

 歳の頃は二十半ばほどだろうか。背筋がぞくりと泡立つような美貌の持ち主だ。

 見たところ身長は六尺ろくしゃく(180センチ)を優に超えている。女性にしてはかなりの高身長で、豊かな肢体したいを濃い紫の西洋のドレスに包んでいる。

 頭にはつばの広い帽子を被り、ゆるやかに波打つ黒髪は毛先に向かうにつれて、わずかに青みを帯びていた。

 女は車に近づくと青紫に彩られた唇を持ち上げてみせた。どこかわざとらしく、人を小馬鹿にしたような笑みだ。


「お待ちしておりました。わたくし、真宵まよいさまのお世話役を務めさせていただいております。桔梗ききょうと申します」


 女——桔梗は帽子をとり、小さく頭を下げた。その頭部からはぴんと尖った獣の耳が伸びている。よく見れば尻からはふさふさの尾が伸びているのが見えた。髪色と同色だったので気づくのが遅れたようだ。

 人間にあるはずのない部位が珍しくて、鈴音が無意識に観察していると、その視線に気付いたのだろう。耳と尾が嫌そうに揺れた。


「ご到着はもう少し早くと思っておりましたが、人間という生き物は時間の概念がいねんがないのですね」

「申し訳ございません。時間に余裕を持って出発したはずが、まさかこんな山奥にあるとは思わなくて、時間がかかってしまったんです」


 桔梗の嫌味に気づきながらも、時哉はにこやかに返答する。


「我が君は静寂を好むお方ですので。本当はもっと人が寄りつかない場所がよかったんですけれどね。それだと、婚約者になられる方が可哀想だという意見もでまして」


 ちらり、と桔梗は鈴音を見る。


「人間は婚約者に会いに行くのにお面そんなものを着用するのですね。それも、そんな……」


 すっと桔梗は両目を細める。ただでさえ、鋭利な刃物のようなまなじりが更に鋭さを増した。


「狐をしたお面を付ければ、妖狐わたくしどもが受け入れると思っているのでしょうか」


 腹の底からの冷嘲れいちょうに、今まで無言を貫いていた鈴音はおずおずと唇を開く。


「お初にお目にかかります。私は鷹司鈴音と申します。この度は人間の代表として、妖狐族の長様とのご縁談をたまわりましたこと、光栄に思います。本日からこちらでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」


 練習した通りに。すらすらとよどみなく。

 車から降りて、桔梗に向かって深く頭を下げると不躾な視線が降り注ぐのを感じた。


「このお面は決してみなさまを軽んじているわけではございません。病気により、目の色が普通とは違っているため、お見せするのは忍びなく、こうして顔を覆わせていただいております」

「見るに耐えないお顔だから隠していると思っていましたわ」


 ふっ、と桔梗は鼻で笑う。


「……まあ、いいですわ。所詮、あなたは人間の小娘にすぎません。我が君の御機嫌を損ねずにいてくれるのでしたら」

「鈴音様は鷹司家の子女として、ずっと勉学に励み、生活を営んできましたからご心配には及びませんよ」


 怒りを無理やり心の奥に押し留め、時哉がにこやかに対応する。


「しかし、こんな山奥では生活をいとなむのは困難ではないでしょうか? 鷹司が所有する屋敷はいくつかありますので、そちらに移るのはどうでしょう?」

「あら、わたくしの話を忘れたのかしら。人間とは記憶力もよろしくないのですね……。我が君は静かで自然豊かな土地がいいのです」

「しかし、ここは電気も水道も通っていません。鈴音様が生活する上で不便では、と心配でして」

「ああ、確かに。無知で無力な人間には生活しにくい環境かもしれませんね」


 桔梗は右手を掲げた。なにかが弾ける音とともに手のひらには、炎が現れ、ゆらりと揺れる。

 時哉は鈴音をかばうように背中に隠すと、それを見て桔梗は更に冷嘲を深める。


「わたくしたちは、あなたたちと違います。どんな環境でも適応しなくては、生き残れませんもの。……婚約者どのがこの環境で生き延びることができるか、お手並み拝見いたします」


 音もなく炎が消えた。桔梗は両手を合わせると艶やかな微笑を浮かべた。


「さあ、こちらに。ご案内いたしますわ」


 そっと鈴音の手に触れる。炎を出していたからか、種族の違いからか体温は火傷するかと思えるほど、高い。


「運転手さんはおかえりを。ここは我が君の住処すみかです。ああ、お荷物でしたら玄関に運んでくださいな」


 そう言うと桔梗は鈴音を手を引いて屋敷へ向かい、歩き出した。

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