リバーサイドシンキング

渡貫とゐち

第1話


 キャンプにやってきた。

 見えるのは森、川、大自然の中に体を浸す感覚だった……あぁ、貴重な休日をなんでキャンプなんかに使わないといけないんだと思っていたけれど、これはなめていた。

 いるだけで癒される。


 横切る鳥や不快には思わない足下の虫たちが、まるで俺を歓迎しているかのようだった。家の中で見ると恐ろしいけれど、自然の中で見つけるとそれが当然であるからなんとも思わないんだよなあ。不思議なものだった。


「……とと、そろそろ戻るか」


 同窓会も兼ねている。今頃、一緒にきたみんなはテントの設営を終えて、料理の準備も終わっているんじゃないか? 泊まりだから酒も飲める。

 まだ昼間だけど、もう飲んでいるかもしれない……乾杯くらいはしたかったけどなあ。


 本格的に忘れられそうなので、引き返そうとしたところで……んん?


 今、水飛沫が……?



 横で流れている広い川がある。

 魚でも跳ねたのかと思えば、バタバタともがいていたのは、人間だった。若い、女性……? いや、知り合いではなかった。赤の他人だ。

 学生ではなさそうな若い女性が、あれが演技でなければ、溺れている。


 学生ではない、とは言ったけど大学生なら学生だろう。少なくとも未成年ではなさそうだった。……広場にいた他のキャンパーだろうか?


 バタバタ、と溺れているけど、ここ、そんなに深い川だっけ……??


「あぶ、ぶはっ、た、たすけ――」


「っ! わかっ、」


 た! と、言いかけて止まる。意外と深そうだった。

 そうでなくとも、このまま川に飛び込んで彼女を助けたとしたら……俺は彼女の体に触れなければいけないし、どうしたって触ったことになる。それってヤバくないか……?


 こんな状況だし、勝手に触ったけれど大目に見てくれ、という言い分が通用するかどうか。もしも、後々になって彼女が「セクハラです!」と訴えた場合、俺は社会的に死ぬことになる。それは最悪だ。


 助けるにしても俺も巻き込まれて溺れる可能性がある。上手く助けられたとしても、彼女にセクハラで訴えられるリスクがある。……誰が助けるんだ?


「あぶ、ぶはっ!?」


 熟考していたら、彼女の動きが小さくなっていた。

 体力がそろそろ尽きてきたのかもしれない。

 さっきよりもバタバタと暴れる腕は動かなくなっていて……水飛沫も小さい。もちろん、俺だって助けたいけれど、訴えられたくはないのだ。


 となると……どうする…………っ、あっ、そうだ同意書だ! 助ける時に体に触れますけどセクハラではありません、訴えないでくださいね!? という同意をしてもらい、それを証明するためにサインを貰えばいいんだ。

 ……じゃあ早速、同意書を用意して……、でも。


 ダメだ……そろそろ沈んでしまいそうな彼女を目の前にしてこの場から離れることはできそうにない。……そもそもサインを貰うにしても川に飛び込んで紙にサインをしてもらうのは水のある場では難しいだろう。

 電子ペーパー……それこそどこから調達してくるんだって話だし。


 ……あ。そうか、紙である必要はない。録音でいいじゃないか。


 スマホを片手に彼女に声をかける。


「あのっ、助けたいんですけど、あなたの体に触れることになります……だからその、いいですかっ!?」


「あぶ、ば、おぼおっ」


 声はあるけど返事はなかった。たくさんの水を飲んで意識も朦朧としてる? ここで同意を得られたところで、状況的にそう言わなければいけなかった、こんなものが同意の証拠になるわけがない、となったら……録音なんて意味がない。結局、訴えられるリスクは変わらない。


 クソ、助けたいのに、助けられない……ッ。

 訴えられたら、それだけで終わりなのだから。


 他人事で考える他人は、裁判になっても負けないよ、と言うが、そういうことではないのだ。訴えられた時点でダメなのだ。負けのようなものである。

 どど、どうしようか……一旦、警察に連絡をして、彼女からの訴訟をキャンセルできる権利でも取ってしまおうか。

 取れるかどうかは分からないけれど……、特許じゃないんだし。特許だって、申請してから取れるまでは時間がかかる。提出して「おめでとうございます」の婚姻届けとは違うのだから。速度に期待はできない……、川の流れの方が速いのだし……。


 訴訟キャンセル。それだけでも取れたら、助けられるのだけど……しかし、それはそれで彼女に不安を残すことになるのでは? だって、その権利を持っている俺は、どさくさに紛れてセクハラできてしまえるのだから。しないけど。


 と、俺が言っても彼女は不安だろう。溺死するよりはマシとは言え、だからいいじゃん、とはならない。やはり、俺が助けるべきじゃない……?


 女性を呼んできた方がいいか?

 だが……、このままだとタイムアップだ。彼女の体力が、もう…………あ。


 気づけば、溺れていたはずの彼女がいなかった。

 手を出すまでもなく助かった……? いや、沈んだ、の方が現実的だ。

 自力で陸に上がるよりも、力尽きたの方が信じられる。


「…………」


 一縷の望みをかけて、水面に指先を入れる。

 魚を誘うように、ちゃぷ、と指を動かすと――――ばしゃっ! と。


 冷たい手が俺の腕をがしっと掴んだ。


「わひっ!?」


「た、たすけっ、なさいよォ……ッ!!」


 ――水死体が動いた!?!?

 ゾンビ……ではなく。


 水面から出てきたのは、さっきまで溺れていた彼女だった。

 俺の腕を掴んで、力を入れて、ぐっと上がってくる。


 体力、まだまだあるじゃん。


「さ、さっさと、飛び込んで助けなさいよ、ばか……っ」


「――ちょ、やめ……っ、触らないでセクハラよこの女!!」


「はぁ!? こっちは死にかけてるのよ!? つーか、あんたが女性口調になるのはおかしいわよね!? セクハラされるのが女性だけだと思わないで!!」


 確かに、いまセクハラされているのは男の俺だが。

 セクハラしてる側がそんな言い分を……どういうつもりなんだ……?


「今のこれは、セクハラじゃないわよ」

「セクハラだけどね」


「違うでしょ!」

「いーや、セクハラだ。俺がそう思えばセクハラなんだよ」


 被害者が優先されるべきだし。

 これまでだってそうだった。



 その後、助かったとは言え溺れていたのは事実なので、体に異変があるかもしれない……救急車を呼んでおいた。事件性のことも考え、警察も駆けつけてくれた。


 これまでの事情を説明すると、「気持ちは分かるけど……こら」と怒られた(そんな口調でも言葉でもなかったけれど、ニュアンスはこんな感じだった)。


 怒られたのは、まあそうか。溺れている人がいたなら助けなさい、とのことだった。

 そう言うしかないのは分かるけどなあ。


 しかし、気持ちが分かるなら、言うまでもないと思うが……こっちだって怖いのだ。後でセクハラだ、とか言われたら……。


「あのね、仮に裁判になっても負けることはないから大丈夫だよ」


「勝つ負けるの話じゃないんすよ。訴えられただけでこっちは負けたようなものなんです。……何度言えば伝わるんだこれ?」


 訴えさせないのが正解の気がするが、たぶん無理なんだろうなあ。


 さすがに、訴える権利は奪えないか。



 今回、見て見ぬふりを責められたけど、それがダメなら見てはならないってことだ。


 見なければ、認識しなければ、見て見ぬふりにはならない――


 そもそも事故を知らなければ、俺に救護の義務は発生しなかったのだから。



「ふむ、やはり休日はインドアに限るな」




 ・・・ おわり

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