第7話
「お父様!」
半泣きの状態で馬車に駆け寄ってきた少女は、車椅子に乗せる手伝いをしている男たちの中にマリオンの姿をみつけて、途端に歓喜の声を上げた。
「マリオン! マリオンなの!?」
「やあパティ、元気だったか?」
抱きついてくるその体を受け止めながら、まず父親の心配をしろよとマリオンは苦笑した。
この天真爛漫な無邪気さが、彼女の魅力ではあるのだが。
目の色は同じだが、父親譲りの茶色い髪とぽっちゃり気味の体型は、フランシスに似ていない。
「会いたかったわ、マリオン」
さっきまで泣いていたはずなのに嬉しそうに両手をからめてくるパトリシアと歩きながら、マリオンの目はフランシスを探していた。
(父親を出迎えないのか?)
エントランスに、豪華な紫色のドレスをまとった女性が、侍女たちを従えて立っていた。
「いらっしゃい、マリオン」
「叔母上…」
グレース王妃だった。
そのつり目がちの目に、いつも以上に冷たい印象をマリオンは受けた。
「客間へご案内して」
侍女たちに言いつけると、王妃は側近に車椅子を押してもらいながら近づいてくる夫の方へ歩み寄った。
形式ばった挨拶をしている叔母の背中を、マリオンは振り返って見た。
昔から仲のいい夫婦には見えなかったが、あの話を聞かされてからはなおさら冷え切った関係に見えた。
だがそれは、側室を多く持つ自分の父とその妻である母も同様だった。
王族の夫婦などそれが普通だと思っていた。だから親に結婚相手を決められても、何の抵抗も感じなかった。
正妻は愛してない女でもいい。一番メリットのある女を選ぶべきなのだと。
そして、今ならはっきりわかる。アステラの王族を正妻にするメリットとは何か。
父は、戦の神に祝福された男児と血縁を結びたかったのだ。
ジェイソン国王は自室で休むことになり、マリオンは客間でグレース王妃とパトリシアのもてなしを受けた。
「バルトワの援軍のおかげで勝利できたんですってね。本当にありがとう、マリオン」
「でももう戦争には行かないでね」
王妃の言葉を遮るようにして、パトリシアが涙目で訴えてきた。
「わたし心配で心配で、夜も眠れなくなるの」
「そうね。お兄様がいつも言っているように、そんなことは兵士たちに任せておけばいいのよ」
「お父様も、戦争なんかに行かなければ……」
パトリシアの涙を無視して、マリオンは明るい口調で言った。
「パティ、君に弟ができたんだろう?」
「まあ、よく知ってるわね!」
パトリシアは目を丸くした。ころころとよく表情の変わる姫君だ。
「嬉しかったか?」
「ええ、まあ……。びっくりしたけど。だって知らなかったんですもの。私に弟がいるなんて」
「パティ、君はまだ子供だからわからないかもしれないけど、王族の男は子孫を増やさなければならない。だから、父君の立場をわかってやってくれ」
「まあ、私はもう子供じゃないわ」
パトリシアは頬をふくらませた。
「でも、そんな大事なことをずっと秘密にしているなんて……。もっと前から一緒にいたら、わたし絶対かわいがってあげたのに」
「秘密にしていたのは、叔母上への思いやりからだろう」
王妃はニコリともしなかった。
いや、そんなことはどうでもよかった。聞き捨てならないことをパトリシアは言った。
「かわいがってあげてないのか?」
「そ、そんなことないけど……」
パトリシアは口ごもった。
「だってマリオン、知ってる? あの子しゃべれないのよ。あ、でも、今朝はじめてあの子の声を聞いたわ」
「えっ」
「すごい叫び声がして、わたし部屋が隣だからびっくりしてあの子の部屋に入ったら、シーツが真っ赤になってて、あの子真っ青な顔をしてベッドにしゃがみこんで泣いてたわ。すぐにマーサが来て、あ、マーサっていうのはあの子専属の侍女なの。そのマーサったら、私のこと追い出すのよ」
気づくと、マリオンは立ち上がっていた。
その慌てているような表情を、パトリシアは小首をかしげながら不思議そうに見た。
「重い病気を患っていたと聞いたわ」
王妃が冷たい声で言った。
「でもマーサが言うには心配いらないそうよ」
「フランシスの部屋はどこだ? パティ」
パトリシアはますます怪訝な表情をした。
「どうして? どうしたの、マリオン。なんだか変よ」
「僕は戦場でフランシスに命を助けられたんです。だから……」
「それ本当?」
マリオンの言葉を遮って、パトリシアも立ち上がった。
「あの子本当に戦場に行ったの?」
「あ、ああ……」
そうか、そりゃ驚くよな、とマリオンは思った。自分だってにわかには信じられなかったのだ。
「信じられない。騎士たちにまざって訓練しているのは知ってたけど、本当に戦場に行くなんて。どうしてそんな野蛮なこと……」
口を両手で押さえて本当に怖がっているパトリシアに問うのを諦めて、マリオンは王妃の方に顔を向けた。
「お礼が言いたくてここへ来たんです。今どこにいますか?」
「知りません」
にべもない答えが返ってきた。
「ついさっき、馬に乗ってどこかへ行きました。朝食も昼食も摂らずに部屋に閉じこもっていたようですけど、そんな元気があるならたぶん大丈夫なんでしょう」
「マーサはどこにいますか?」
王妃もさすがに呆れた表情になる。
「侍女の居場所などいちいち把握していません」
「カイル」
マリオンは、離れた所で控えていたカイルを呼んだ。
「はい」
「マーサを探してこい」
カイルは困った顔でチラッとパトリシアを見たが、すぐに客間から出ていった。
「マリオン、何をそんなに慌ててるの? フランシスに会いにきたって……。私に会いに来たわけじゃないの?」
最後の言葉は不服そうに、パトリシアはまた頬をふくらませた。そうすれば可愛く見えると思っているのだろう。
「さっきも言ったろう? 戦場で命を救われたって」
「マリオン、そのことなんだけど、お兄様の言うことを聞いてもう戦場には行かないでちょうだい」
王妃が、つり目をさらに厳し気にして言った。
「あなたは、近いうちにパトリシアの夫になる身なのよ。もっと体を大切にしてちょうだい」
「そうよ、マリオン。それと……ねえ、お母さま」
パトリシアは懇願するように言うと、母の方に顔を向けた。
「あのこと、ねえ、マリオンにお願いして」
「そうね。本当はジェイソンがいる時に話したかったけど……」
「マリオンはいつも、慌ただしく帰ってしまうんですもの。話せる時に話しておかないと」
「マリオン、あなたとパトリシアの結婚のことなんだけど……」
王妃は、急に優し気な口調になった。まるで媚びるように。
「当初は、パトリシアが18になったらということだったけど、早めてほしいの。そしてこの子と一緒に、私もしばらくバルトワに移るわ」
マリオンは、何を言い出すんだと呆れた表情で叔母を見た。夫が半身不随の体になったというのに。
「ここにいるのは恐いのよ。戦争ばかりで、もううんざりだわ」
その言葉を聞きながら、あなたが恐れているのは別のことだろうと思った。
「叔母上、なぜここで戦争が起こるかわかりませんか? ディアスが本当に狙っているのはバルトワです。アステラはその防波堤になってくれているんですよ」
「でも女や子供には関係のないことだわ」
(関係ない?)
あなたよりはるかに幼い女の子が、戦場で戦っているというのに。
その時、扉が開いてカイルが入ってきた。
「失礼、その話はまた後で」
「マリオン!」
明らかに怒っているパトリシアを無視して、マリオンはカイルと共に部屋を出た。
彼の後ろにマーサがいた。
「その節は、大変お世話になりました」
深々と頭を下げるマーサのふくよかな両腕を、マリオンは強く握った。
「挨拶などいい。フランシスはどこにいる? 知ってるんだろう?」
その剣幕に驚いているマーサの体を押しながら、マリオンは歩き出した。
「誰にも話を聞かれない場所へ行こう」
いま出てきた部屋を気にしながら、カイルもついてきた。
ひと気のない裏庭まできて、マリオンはマーサと向き合った。
「初めてだったのか?」
マーサはギョッとしてマリオンを見上げた。それだけで意味がわかったらしい。
「月のものが初めてきたんだな」
マーサは困惑してうつむいた。
「さっきパティ……パトリシアに聞いた。彼女たちは何の出血だかわかっていないようだったが。そりゃそうだよな、男だと思っているんだから」
そしてまだうつむいているマーサに、安心させるように努めて優しい口調で言った。
「大丈夫だ、マーサ。事情は全部オリバーに聞いている。あのじいさんが打ち明けてくれたってことは、わかるだろう? 俺を信用してくれたってことだ。だからお前も信じてくれ」
そしてマリオンは、マーサと、一人ぼっちになることも厭わず彼女をフランシスについていかせたオリバーに、心から感謝したい気持ちになった。
「お前がそばにいて、フランシスは本当によかったな」
呆然とマリオンを見上げていたマーサのつぶらな目に、見る見る大粒の涙が浮かんできた。
「お……」
マーサは両手で顔を覆った。
「おかわいそうです。フランシス様が、あまりに、おかわいそうです」
堰を切ったように泣きながら、マーサはしゃくり上げた。
「あんなに……あんなにお泣きになるフランシス様を初めて見ました。ジュリアン様がお亡くなりになった時も、オリバー様から離れる時も、少し涙を流しただけでこらえてらっしゃったのに……。ずっと、ずっと頑張ってらっしゃったのに……。強くなれば、男になれるって……本当の男になるんだって……。あんな小さなお体で……あんな小さなお体で……」
泣き崩れそうになったマーサの体を、マリオンは支えた。
「戦場にまで行って……」
「マーサ、で、フランシスは今どこにいるんだ?」
マーサは急に押し黙った。
「そんなにショックを受けていたんなら、そばについていてあげた方がいいんじゃないか?」
「今は、お一人になりたいんだと思います」
「思いつめて、もしものことがあったら」
もう一押しだと思いながら、マリオンはより深刻そうな声を出した。
「この辺は深い森が多い。首をくくるにはちょうどよさそうな木が……」
最後まで聞かずに、マーサはマリオンの手を振りほどいて走り出した。
「なんてこと言うんですか」
非難するカイルにかまわずに、マリオンは後を追った。
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