第5話

 突拍子もない話をいくつも聞かせられたが、もちろんそれに驚きもしたが、マリオンはオリバーの話を疑いはしなかった。

 まだ子供だったが、自分も20年前のアステラの魔術師と魔物との戦いは知っている。目の前にいるのは、その神秘の力の持ち主なのだ。

「なるほどな……」

「それに、不幸な子供がこれ以上増えることを、陛下は恐れてもいたのでしょう。エレナに呪いをかけた黒魔術師は、今でも生きてどこかにいます」

 マリオンは、一瞬背筋が凍る思いがした。

「しかし、だからと言って……」

 言いかけた後しばらく口ごもって、マリオンは混乱している思考をまとめようとした。

 オリバーはただ黙ってマリオンの言葉を待っていた。

「だからと言ってフランシス一人に……女の体を持つあいつにそんな重荷を背負わせていいのか? アステラを守るどころか、俺のようにいつ見破る人間が現れるかわからないんだぞ」

「だから、あなたに聞いていただいたのです」

 マリオンはまた口ごもった。

「最初にお話ししました。男として生きることも、女として生きることも、どちらもあの子にとっては苦難の道です。それがせめて、孤独なものでないように……」

 マリオンはしばらく老医師の顔をみつめていたが、フッと口元をほころばせた。

「俺に味方になれということか。確かに俺も、俺の人間性を信じてくれとさっき言った。正義の方の味方をすると……。だがここまで聞いてると、なんだかそうなるように、あなたに操られているような気がしてくるな。あの湖での出逢いさえも……」

 オリバーは目を細めて笑った。

「そこまでの力は私にもありません。そんな力があれば……」

 そしてすぐに、その目は悲しみを帯びた。

「エレナやジュリアン公爵を死なせることも、陛下があんなお体になることもなかったでしょう」

 二人はしばらく押し黙った。

 やがてオリバーは、また淡々とした口調で語り出した。

「私たちも悩みました。何度も何度も話し合いました。とにかく、成長するまではその存在を隠すこと、それだけは結論が出ていましたが、正解をみつけられないでいるうちにフランシスは育っていきました。まるで困っている大人たちをあざ笑うかのように、フランシスは野山を駆け回り、木に登り、誰に教わることなく馬を乗りこなしました。マーサが与える人形やぬいぐるみに少しも興味を持たず、リボンやフリルのついた洋服を嫌いました」

「重い病気だったという話はやはり嘘なのだな」

(まあ、そうだろうとは思ったが)

「はい」

 オリバーは悪びれすに頷いた。

「今まで、風邪ひとつひいたことはありません」

 自慢気な口調だった。

「ですが、今までここに隠していた理由として必要な嘘でした。陛下のスキャンダルを隠したいというだけでは弱かったので……。もちろん、陛下が実直だという話は嘘ではありませんが」

「そのために、しゃべれないふりまでさせるのか」

 マリオンは、つい厳しい口調になった。

「優しいようで、実は残酷だよな」

「しゃべらないことは、あの子が自分で決めました」

 マリオンはさすがに驚いて老医師を見た。

「殿下、信じてもらえないかもしれませんが、あの子はただの一度も自分を女だと思ったことはありません」

「じゃあ、一生しゃべらずに、男のふりをして生きていくつもりだと言うのか」

「エレナが、今わの際に言い残したんです。この魔法はきっと、いつまでもは続かない。魔法が解ける前にどうか、黒魔術師を退治して、と」

 マリオンは、とうとう言葉を失った。

「幸か不幸か、エレナの魔法はまだ解けません。そして黒魔術師は、じわじわとその力を蓄えてきている。ジュリアン公爵と、そして陛下の魔力は、急激に衰えてしまったのです。だからフランシスは、騎士団に加わりました。私の制止も聞かず、戦場に飛び込みました。殿下、私だってできることならあの子を戦わせたくない。でもあの子は知っているんです。アステラを守れるのはもう自分しかいないと。あの子が戦わなければアステラは滅びる、それはすなわち、あの子も無事ではないということです」

「黒魔術師は……」

 やっとマリオンは言葉を発した。

「ディアスにいるということか」

「恐らく……」

「アステラが滅びれば、バルトワも無事ではないな」

 マリオンはしばらく考え込んでいたが、やがて意を決して口を開いた。

「20年前の騒乱のとき俺はまだ子供だったが、たった一人生き残った黒魔術師が、バルトワ城の地下牢に捕らえられていたという話は知っている」

 遠い記憶を探るように窓外に目を向けたマリオンは、やがてまたオリバーと向き合った。

「そしてその黒魔術師が、なぜか突如姿をくらましたということも」

 オリバーは、やはり少しも表情を変えずにマリオンの視線を受け止めていた。

「バルトワの誰かが、恐らく俺の身内が、その黒魔術師にお前の娘に呪いをかけさせたというのだな」

「殿下、先ほども言いましたが、証拠はありません」

「だが、フランシスにそう教えたのだろう? だからあいつは、俺を信用できないと言った」

「教えなくても、あの子にはわかるのです。私の考えていることが」

「ちょ、ちょっと待て! あなただけじゃなくて、あいつも他人の心が読めるのか?」

「わかるのは私の考えだけです。エレナもそうでした。血がつながっているからでしょう。ただ、私はシャットアウトすることはできますが、フランシスはできません。あの子の考えることは、私は全部わかります。離れていれば無理ですが」

 マリオンは少しだけ安心したが、それは本当に少しだけだった。

(まいったな)

 どちらにしても、自分のフランシスに対するよこしまな感情は、この老医師にすべてお見通しなのだ。

 赤面するのを隠そうとまた窓外に顔を向けたが、そんなマリオンをまるで楽しんでいるかのように、オリバーは微笑を浮かべた。


 オリバーが出て行った後マリオンはしばらく思考を巡らせていたが、やはり疲労がたまっていたのかいつの間にか眠ってしまっていた。

 ふと人の気配を感じて目を開けた。

 頭をめぐらせると、少し距離を置いてフランシスが立っていた。

(夢か?)

 ぼんやりした頭で考えた。

 強張った表情で立っていたフランシスは、やがて小さな声で言った。

「ごめんなさい」

(やはり夢か)

 しかしフランシスがすぐに背を向けてしまうと、マリオンは慌てて起き上がった。

「待て! 待てフラ…痛っ!」

 腰に激痛が走って、マリオンは動きも言葉も止めた。

 だが痛がっている場合ではない。

 足を止めて振り向いたフランシスの目に罪悪感らしきものを見て取ると、マリオンは畳みかけるように言った。

「お前、俺から逃げてばかりじゃないか!? 今だって、おおかた父親かじいさんに説教されて、仕方なくここへ来たんだろう? 逃げるなよ! 悔しくないのか!? 俺に立ち向かってこいよ!」

 口調は威勢がよかったが、大声を出すたびに腰に響いて脂汗が滲んできた。

 フランシスは黙ってそんなマリオンを見ている。言葉が響いたようには見えない。

「こっちへ来い!」

 かまわずに、マリオンはさらに声を荒げた。

 フランシスは、顔色ひとつ変えずに歩み寄ってきた。

「説教なんかされてない」

 大陸最強のバルトワの王子に怒鳴られようが、少しも委縮しないその態度が癇に障った。

 それでも、自分を敵に回すことは得策ではないと判断して謝罪に来たのか。

「そうか。まあ、そうだろうな。戦の神様に守られたアステラの大事な世継ぎは、甘やかされてろくな躾もされなかったんだろう。世の中のルールをまるでわかっていないようだから教えてやるが……」

(何を言おうとしているんだ、俺は)

 イライラする心の裏側で、戸惑っている自分もいた。が、ブレーキがきかない。

「人間には序列というものがあるんだ。俺はお前よりはるかに年上だ。年上は敬い、口のきき方には気を使え。しかも俺はバルトワの王子だぞ。同盟国とはいえ対等ではない。バルトワがどれだけの援助をお前の国にしていると思ってる」

(違う、そんなことが言いたいんじゃない)

 フランシスは、ただ黙ってマリオンを見ている。

(なんという目で見るんだ)

 その青い瞳に吸い込まれそうだった。

 そして、いま口を出たばかりの自分の言葉を否定する。

(生意気だからこそ、傲慢だからこそ、こんなにも美しいんだ)

 それでも屈服させ、征服したい気持ちと、この気高さを守りたい相反する感情がマリオンを混乱させた。

「確かに俺は、お前に命を救われた。でもそれは戦場でのことだ。助け合うのが当たり前だ。次は逆になるかもしれない。しかも俺は、お前たちに請われて駆けつけた援軍だ。だからいつまでも、そのことに負い目を感じるつもりはない」

 フランシスは表情を変えない。

「だが、俺を投げ飛ばしたことは、詫びの言葉ひとつで許されるようなことではないぞ。本来なら即刻死罪だ。同盟国の王子で俺の命の恩人だということを差し引いても、逮捕して数年は牢に入ってもらわないと示しがつかないだろう」

 そしてマリオンは、本当にフランシスを閉じ込める想像に、胸が躍りそうになった。

「そのくらい、してはいけないことをしたということを、わかっているか?」

 その長い睫毛が揺れて、少しだけフランシスは視線をそらした。

 何て答えるか困っているようだった。

 もっと困らせたいとマリオンは思った。

「水を取ってくれ。喉が渇いた」

 フランシスは渋々といった感じの緩慢な動きでベッドサイドのテーブルに歩み寄り、水差しの水をコップに入れると、無言でマリオンに差し出した。

 そのコップを利き手じゃない左手で受け取り、右手で素早くフランシスの手首を掴んだ。そして強く引き寄せる。コップの水がこぼれたが、そんなことはどうでもよかった。

 強い視線がマリオンを射すくめる。

 睨まれているのに見惚れた。

 この顔で、どんなふうに笑うのだろう。どんなふうに泣くのだろう。そして抱きしめたら、どんなふうに……。

「キスしてくれ」

 気づくと、自分でも驚くようなことを口にしていた。

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