第3話

「陛下の具合はどうですか?」

 ジェイソン国王が休んでいるという部屋へ案内されながら、マリオンは前を歩くオリバーに尋ねた。

 狭い建物なので従者たちは外に待機させ、カイルとディーンだけ連れてきた。

「命に別状はありません。頭もしっかりしておいでです。ですが……」

 オリバーは足を止め、背の高いマリオンを見上げた。

「もう二度と、戦場に立つことはできないでしょう」

 静かな口調と眼差しだった。

 その達観した様子に、マリオンは事の深刻さを実感できずにいた。

 だが、実際はアステラにとっては一大事なのだ。半年の間に、二人の軍神を失ったのだから。

 返す言葉をみつけられないでいるうちに、オリバーはすぐ横の扉を開いた。

 真っ先に、青い瞳が目に入った。

 血なまぐさい戦場ではなく、月の光しかささない夜でもない、静かな明るい場所でやっとマリオンはフランシスと対峙した。

 王族であるというのになんの飾りも身につけず、質素な白いシャツを着て少女はそこに立っていた。

 いや、なぜか不思議と女には見えない。男でないこともわかっているのだが。

 相変わらずマリオンは、その存在をなんて呼べばいいのかわからなかった。

 自分もかなり威厳がある方だと自負しているが、そのマリオンをたじろがせるようなオーラさえ感じる。

「マリオン殿下」

 ジェイソン国王に呼ばれてマリオンは我に返った。ここに来た目的を忘れるところだった。

 いや、建て前上の目的であることを見抜かれたようで、いくぶん顔が赤らんだような気がした。見抜いているのはカイルだけだろうが。

「このたびのお力添え、心から感謝申し上げます」

 国王は、ベッドから半身だけ起きた状態で頭を下げた。

 フランシスとは違って、濃い茶色の髪と髭を蓄えた逞しい男だった。

 マリオンの父であるニコラス国王は、領地拡大への意欲だけは強い策略家ではあったが、決して自ら戦場に赴こうとはしなかった。息子が先頭に立って参戦する気持ちも、理解できずにいる。

 だがマリオンは、この戦乱の時代に自ら戦ってこそ真の国王だと思っていた。強いアステラの王族に、ひたすら憧れた。

 しかし今、軍神と呼ばれたジェイソン国王は、再起不能の傷を負って目の前にいる。

 ベッドの横にはもう一人、国王の側近らしい男がやや疲れた表情で立っていた。

「しかも、こんな辺鄙な場所までいらしてくださって……」

「当然のことです。大事な同盟国であり、あなたは私の婚約者の父君でもある。お怪我の状態はいかがですか?」

「落馬して腰をやられました。そこにいる医者の診断では、もう歩くことはできないそうです」

 国王もまた、先ほどの老医師のように淡々とした口調で言った。

 心中の落胆を決して見せまいとするように。

 ただ、その子供はそこまで冷静ではいられないらしい。

 唇をかんで拳を強く握ったフランシスの様子を、マリオンは横目で見た。

「紹介が遅れましたが、ここにいるのは息子のフランシスです」

 紹介されて、やっとフランシスはマリオンに頭を下げた。

 だが、儀礼的で心がこもっていないのがはっきりわかる。

 大陸で一番の大国であるバルトワの王子だというのに、しかもアステラの敗戦の危機を救ったというのに、フランシスはマリオンに対して少しもへりくだった様子を見せなかった。

 命の恩人じゃなかったら、そしてこんな美人じゃなかったら、その生意気な態度をへし折る言葉の一つや二つは言っていたかもしれない。

「長らく重い病気を患っていたため、うまく言葉を話すことができません。殿下にもろくに挨拶もしなかったでしょうが、どうかお許しください」

 何から言うべきかと迷いながらマリオンが深く息を吸ったとき、先に国王が言った。

「恥ずかしながら、グレースとの間にできた子供ではありません。そのため、公にはしていませんでした。特にテイラー家の皆様には隠しておきたいことでした。申し訳ありません」

 やはり、とマリオンは思った。

 グレースというのはニコラス国王の妹で、ジェイソン国王の妃である。

 叔母が産んだ子なら、いくらなんでもこんなに長いこと自分たちが知らずにいたわけはない。

「確かに、こんな重大なことを隠されていたことについては、驚きましたし非難したい気持ちもありますが、私は昨日、そのフランシス……」

 そこで一瞬、マリオンは口ごもった。

 王子というべきか、王女というべきか。

「フランシス王子に命を救われました。そのような隠し事には目をつぶっても、まだ足りないくらいの恩義は感じています」

「恐れ入ります」

 国王はまた頭を下げた。

「それに陛下の立場なら、庶子の一人や二人いて当然のこと。まして叔母上は、男児を産むことができなかったんですから」

 そしてマリオンは朗らかに言った。

「私にも、腹違いの妹や弟は複数人おります。父は、言うことを聞かないわがままな私ではなく、別の息子に王位を継がせたいと思っているかもしれません」

 背後でクスッと笑う声がしてマリオンは振り向き、声の主のカイルを軽く睨んだ。

 そのとき小さくノックする音がして、50代くらいのふくよかな女性が顔を覗かせた。

「お茶の準備ができました。どうぞ、広い部屋へ移ってください」

 この家の使用人なのだろう。彼女のほかに使用人らしい姿は見えず、助手も看護師もいないようだった。

 マリオンは、いいタイミングだと思った。

「陛下さえ大丈夫でしたら、私はもう少しここでお話ししたい。フランシス王子も交えて」

 国王は穏やかな表情で答えた。

「大丈夫ですよ」

「お前たちはお茶をご馳走になってこい」

 マリオンは、少し不満そうな顔をしているカイルにかまわず、彼とディーンに言った。

 二人が部屋を出ると、マリオンはオリバーと側近の男を交互に見た。

「すまんが、二人も席をはずしてくれないか」

 側近の男は心配そうに国王を見たが、国王が頷くと黙って従った。

 だがオリバーは動かなかった。

「私はいた方がいいと思います」

 静かだが、決して異を唱えさせないような口調だった。

 患者が心配なのかと一瞬思ったが、それよりもずっと気になっていたことをマリオンは先に口にした。

「あなたは、もしかしたら噂に聞く魔術師か?」

 オリバーは、相変わらず泰然とした様子でマリオンの視線を受け止めていた。

「そのように呼ばれたこともありました。今はただの老いぼれです」

「ここへ道案内してくれたアステラの騎士が、あなたは国一番の医者だと言っていた。そして何でも知っていると」

「そんなことはありません」

 老医師は目を細めて笑った。

「知らないことの方がはるかに多い。ですが、フランシスのことはここにいる陛下よりもよく知っています。だから、私はここにいた方がいいと思います」

「ああ、あなたがフランシスを育てたんだったな」

 どうしても違和感があって、マリオンは「王子」と呼ぶのをやめた。

「これからの話は、誰に知られたらまずいのかわからないから人払いをさせてもらったが、育ての親が、この子が女の子だと知らないはずがないよな」

 部屋の空気が、一瞬で凍りついたようだった。

 マリオンは、かまわずにフランシスの方へ顔を向けた。

「風邪をひかなかったか? 夏とはいえ、夜の湖は冷たかったろう」

 かたまっていたフランシスの表情が、見る見る青ざめていった。

「先に謝っておく。見ようと思って見たわけではないんだ。昼間、戦場で死にかけて、それを子供のような騎士に救われた。どうにも感情が高ぶって、あちこち歩きながら心を落ち着かせたかったんだ。そして、水浴びするお前を偶然見た」

 国王もフランシスと同じように困惑した表情だったが、オリバーはやはり落ち着いているように見える。

(何もかもお見通しなのか?)

 だからマリオンは、一番冷静な老医師に問いかけた。

「なぜ男のふりを? しかも戦場に出るなど……」

「この老いぼれが制止できないくらいには、この子は強くなっていました。少なくとも15になるまでは、戦場に出したくはなかったのですが……」

(いや、15とか、年の問題じゃないだろう)

「父親がこんなことになったので、我慢できなかったようです」

「ひ……」

 かすかな声がして、マリオンはまたフランシスを見た。

「しゃべっていいぞ。お前が本当は話せることも、俺は知っている」

 フランシスは、挑むような眼をマリオンに向けた。

 その瞬間ゾクッとして、なぜかマリオンはたじろいだ。

 困っているのは圧倒的に相手の方なのに、立場が逆転したような気がした。

「人違いだ。僕はそんな所へは行ってない」

(僕、か……)

 やはり、きれいなソプラノだった。聖歌隊に入ったらソリストになれるかもしれない。

 全然どうでもいいことを考えている自分に、マリオンは苦笑しそうになった。

「さっきまでここにいた俺の部下も一緒に見ている。お前の位置からは暗くて我々の顔までは見えなかっただろうが、ちょうど月光がさして、こちらからははっきり……」

「僕じゃない!」

 表情といい口のきき方といい、この自分に向かってなんて傲慢な態度をとるんだとマリオンは呆れた。そんな人間は、自分の周りには一人もいない。ましてはるかに年下なのに。

 だが腹が立つどころか、この状況を楽しんでいる自分がいた。

(いいぞ、もっと歯向かえ)

「そんなに言い張るんなら証拠を見せろ」

 ライオンに挑もうとする子猫を見るような気持ちで、マリオンは言った。

「そのシャツを脱いで見せろ。ここには男しかいない。本当に男だって言うならできるだろう?」

 自分から追い詰めておきながら、泣きそうな顔で唇をかみしめたフランシスを見て、途端にマリオンの心は痛んだ。

「殿下」

 国王がやっと口を開いた。

「先ほど、フランシスがあなたの命を救ったとおっしゃった。それに免じて、どうかこのことは目をつぶってください。この国には、後継者が必要なのです」

 絞り出すような声だった。

「それはわかります。でもだったら、あなたがもっと子供をつくればよかったでしょう? それが叔母上を裏切る行為だろうとなんだろうと、少なくとも女の子を男に仕立てるよりははるかにまともだ」

「僕は女じゃない!」

 叫んだフランシスを呆れて見たマリオンより先に、オリバーが口を開いた。

「フランシス、マリオン殿下は大丈夫だ。きっとお前の味方になってくれる」

「そんなはずない! だってこの人は……」

「アステラの危機を救ってくれた人だぞ」

(だってこの人は?)

 何を言いかけたのかと考えていたマリオンの前を、突然フランシスがすり抜けた。

「待て! まだ話は済んでない」

 思わずその細い手首をつかんでいた。

「離せ!」

 振りほどこうとするフランシスにかまわずに、そのままマリオンは国王の方を見た。

「陛下、あなたが叔母上以外の女に子供を産ませようと、女を男として育てようと、バルトワに大きな影響などない。それをあちこちに喧伝するつもりもない。問題は、それをずっと我々に隠していたということです。そして今も、それをうやむやにしようとするのなら、我々はあなた方を信用できなくなる。同盟も維持できなくなるかもしれませんよ」

「ならば解消すればいい」

「だからすべてを話してください」と言おうとしたマリオンの言葉を、冷たいソプラノが遮った。

「なんだと?」

「信用できないのはあなたたちの方だ! 僕の母上を殺し……」

「フランシス!」

 オリバーの恫喝がフランシスの言葉をかき消した。

「なんだって?」

 こちらを見ようとしないその白い横顔を凝視した後、マリオンは老医師に目を向けた。

「どういうことだ?」

 その意識がほんのわずか他へ移ったのを見逃さずに、フランシスはつかまれていた手を振りほどいた。

「おい、待て!」

「僕にさわるな!」

 その細い肩をつかんだと思った直後、からだが宙を舞った。視界が一回転し、何が起こったのかわからないうちに全身に強い衝撃を感じ、マリオンは意識を失った。

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