第3話 アンドロマリウス
ボロボロに荒れた黒い外套(ローブ)、振り子のようにだらんと垂れ下がった両腕。生気を失ったような動きとは裏腹に、黒髪の影から見える両の瞳は、決意を宿したかのようにギラギラと赤く輝いている。
私を助けてくれた長身の男の人は周囲をきょろきょろと見渡すと、私達の横を通過して屍犬(デッドハウンド)の群れへと腕を伸ばす。魔力の奔流が大気を揺さぶり、彼のローブの上を這うように、彼の右腕へと収束していく。
男の人を脅威と見たアンデッド達は、一斉に彼へと飛び掛かった。
「あ、危なっ────!」
「『裁定劫火(アンドロマリウス)』……【安らかに眠れ(レストインピース)】」
短文詠唱。
その刹那、周囲に白い炎が立ち昇り、包み込む。
私の身体には熱くもなんともない、どこか優しげな光の炎。気付けば地面に拡がっていた不定形のアンデッドは消え、腐蝕した天井の布は焼き尽くされて、路地には暖かな日の光が降り注いでいる。
そして───元は街に棲む犬だったのだろう、死して路地裏へと打ち捨てられた名もなき屍犬(デッドハウンド)達はどこか悲しみに満ちた咆哮を上げ、灰となって消えてゆく。後には私達だけが取り残された。
「………すごい」
白い灰の彩る幻想的な光景を前にして、私は呟く。灰の中に静かに佇むその男の人は、並の冒険者ならまず苦戦するアンデッドの群れを、白い炎の魔法によってあっさりと葬った。もしかしたら名のある冒険者の人なのかもしれない、魔物を前にして怯む様子すら見せず、私達を庇うように対峙するその姿は物語に出てきた勇者様のように………って、そうじゃなくて!
「えっと、ありがとうございますっ!危ない所を助けて貰っちゃって……」
「───【罪】」
「えっ?」
せめて感謝を伝えようと話しかけるけど、その人は灰の舞う中空をぼんやりと眺め────私の事もアンデッド達の事も意に介していないかのように、独り苦しげに譫言を漏らす。
「【罪】の聲、が……聞こ……え………」
バタリ、と。
魔物相手に見せたその圧倒的な強さはどこへやら、男の人は力なくよろめき、その場へと倒れた。
「ぅえええぇっ!?!?だ、大丈夫ですかぁ?」
突然の事にびっくりした私は駆け寄り、ゆさゆさとその人の肩を揺さぶる。魔力切れで調子を崩したとか?それとももともと体調が悪そうだったし、何か持病があるのかも。確かこんな時の為に回復薬(ポーション)がいくつかバッグに………そんな事を考えていると、ぐぅぅぅぅぅ、と彼のお腹から大きな音が響く。
「……お腹が、空いてるってこと?」
返答はない。代わりにもうちょっとだけお腹が鳴った。
なんだか拍子抜けだ。こんな強い人でも、お腹が空いて倒れる事なんてあるんだ?
丁度いい所に女の子の置いていった盗品の袋が落ちている。私は袋から柔らかめのパンを取り出すと、小さく千切って彼の口元へと運び………
「………命。命の味が、する」
「命の味かは分からないですけど、美味しいですねこのパン!」
暫くしてようやく意識を取り戻した男の人と、二人でパンを食べる。北の国のそれとはまた違って、表面は硬く、中はふんわりと焼き上がったそれからは小麦の甘い味がした。お店の人には今度感想を伝えに行こう、美味しかったって。
「……助かった、驚くことに、体調が大分良い」
「いえいえ、私の方こそ魔物に囲われ万事休すの所から助かっちゃいました!お腹が空いてたんですよね、魔法の反動とかですか?」
「お腹……腹部、が……?」
そう怪訝な表情を浮かべ、男の人は白い炎を燻らせながらお腹のあたりをさする。……お腹が空いたが伝わらない人は生まれてこのかた初めて見たけど、もしかしたら何か事情のある人なのかもしれない、そう私は納得した。
ともあれ、恰好良い人に恰好良く助けられてしまった以上吟遊詩人としてやる事は一つ。
「私、旅芸人のセレナって言います!良かったらお名前教えて頂けますかっ?」
名前を聞いておく。恰好よかった場面を巻物(ロトゥルス)に後で記録しておいて、いつか恰好良かったなぁって思い出すんだ。うぇへへへ……
「名前……」
そんな私の煩悩まみれの思考を知ってか知らずか、少しの逡巡の後で彼は答える
。
「僕の名前は……ゼノ。ゼノ……アンドロマリウス」
これが私とゼノ君との出会いだった。
旅人少女と罪過の勇者 浪々日記 @rourounikki
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