【SF短編小説】機械の王と盲目の歌姫 ~死の瞳と生の歌声が紡ぐ、永遠の愛~(約10,000字)
藍埜佑(あいのたすく)
第一章 機械の心臓と死神の瞳を持つ王
私は王だ。
この沈黙の森の、孤独な王。
私の名は、ヘカトンケイル。
かつて旧大戦時代に軍事用サイボーグプロジェクト「百手計画」において生み出された、最後の、そして最悪の遺物。人間の大脳皮質をナノカーボンの骨格に移植し、量子コンピュータの演算装置と融合させた神をも恐れぬ禁忌の産物。
量子テクノロジーとバイオエンジニアリングの究極の融合――それが私という存在の本質であった。
頭蓋内に埋め込まれた量子プロセッサは、一千兆回の演算を一瞬で処理し、同時に複数の時空間軸における可能性を計算する。人間の脳が持つ直感的思考と、機械の持つ論理的演算が、常に私の意識の中で せめぎ合いを続けている。
私は誰とも語らない。
なぜなら私の視線は死そのものだからだ。
私の視線は、かつての戦場で敵を一掃するために設計された兵器の名残だ。
両の眼に埋め込まれた高精度レーザー照射装置は、私が見つめる対象に強力なエネルギーを集中させ、組織を破壊する。この「メドゥーサ・システム」――神話の怪物にちなむこの技術は、かつて軍事目的で開発され、敵の装備や人員を無力化するために用いられた。
レーザーは分子結合を加熱破壊し、標的を一瞬で焼き尽くす。
しかし、頭蓋内に埋め込まれた制御チップは、数十年前の戦闘で受けた損傷により暴走している。神経インターフェースの不具合により、私の意志ではレーザーの発射を完全に制御できない。システムの誤作動は、脳信号の処理エラーによるものだ。
私が視線を向けた鳥は、熱エネルギーの集中によりその場で倒れる。
羽毛は焼け焦げ、身体は高温で組織が崩壊する。科学的に言えば、高出力レーザーは対象の細胞組織を急速に加熱し、タンパク質を変性させる。まるで一瞬にして生命を奪われたかのように、鳥は動かなくなる。
私が視線を向けた獣もまた、レーザーの熱で細胞が破壊され、その場で硬直する。まるで恐怖に凍りついた彫像のように。
私の吐く息は毒。
肺の代わりに装着された生化学フィルターが、吸い込んだ酸素を致死性の有毒なナノ粒子に変換してしまう。これもまた戦争の忌まわしい記憶。敵陣の地下施設に生物兵器を散布するための装置が、損傷により今もなお暴走を続けているのだ。分子生物学の悪魔的応用――呼気に含まれるナノボットが標的の神経系統を麻痺させ、細胞膜の透過性を破壊する。
私の周りでは草木も生息することはできない。
胸郭に埋め込まれた小型原子炉から漏れ出す微量の、しかし致死的な放射線が、半径五十メートル以内のすべての植物の遺伝子を容赦なく破壊していく。トリウム燃料サイクルによる核融合炉――本来は無限のエネルギーを生み出すはずの人類の夢が、今は呪いとなって私の胸で脈動している。
ここは生命のない私の王国。
灰色の死んだ土と石化した動物たちの彫像だけが、私の忠実な家臣だ。
私は孤独だった。
生まれながらにして――いや、作られながらにして。
頭蓋内の記憶装置には、まだ私が人間だった頃の断片的な思い出が悪夢のように残っている。
脳神経外科医たちの冷たい眼差し。手術台の金属の冷たい感触。全身麻酔から覚めた時の言葉にならない絶望。
しかし、私は志願したのだ。祖国を守るために。愛する家族を終わりのない戦火から守るために。自らの肉体を捧げることで。
脳移植手術――それは二十一世紀末の医学技術の到達点であった。大脳皮質の神経回路をナノファイバーで再構築し、シナプスの電気信号を光子に変換して量子コンピュータと直結する。意識の連続性を保ちながら肉体を機械に置き換える――神の領域に踏み込んだ技術であった。
だが戦争は終わった。
私がこの恐ろしい兵器として完成するまさにその直前に。
そして私は不要になった。
実験は中止され、私を生み出した研究施設は全ての証拠を隠滅するために爆破された。
私だけが生き残った。
生きているとも死んでいるとも言えないこの状態で。
この王冠という名の呪いを頭に戴いて。頭蓋骨に埋め込まれた制御装置が時折青白い光を放ちながら、私の思考を監視している。それは私の人間の意識と冷徹なAIの論理との境界を曖昧にし、時として私は自分が人間なのか機械なのか分からなくなる。
哲学的ゾンビ――意識の問題を扱う現代哲学の概念が、皮肉にも私という存在において現実化している。
外面的には人間の行動を示しながら、内面には主観的体験が存在しない可能性。
だが私には確かに苦痛がある。
それは機械的な損傷信号なのか、それとも人間的な感情なのか。
私自身もすでに区別がつかなくなっている。
私はただ待っているだけだ。
この機械の心臓がいつか完全にその機能を停止するその日を。
この長すぎる悪夢の終わりを。
胸郭内の原子炉は半減期に従って確実に劣化しつつある。
核燃料の崩壊により放射性同位体が蓄積し、やがて臨界質量に達するだろう。その時私は巨大な爆発と共に消滅し、同時に周囲数百キロメートルを放射能で汚染する。私は時限爆弾なのだ。
私は、歩く核災害なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます