第27話 準決勝の相手について

「……勝者、ティナ・エルヴェンス!!」


審判の声が響き渡った瞬間、俺は観客席で思わず天を仰いだ。

心臓が、うるさい。

さっきからバクバクと暴れ回って、まるで肋骨を内側から蹴り上げられているようだ。

勝った。

ティナが、あの“不動の壁”を、俺たちの作戦で打ち破った。


(……いや、違うな。俺の作戦なんて、ただのきっかけだ)


あれは、ティナ自身が掴み取った勝利だ。

どんなに無茶な作戦でも、俺を信じて最後まで走り抜いた、ティナの心の強さが勝ったんだ。

俺はゆっくりと、熱狂に揺れる闘技場を見下ろす。

その中心で、荒い息をつきながらも凛と立つ、薄紫の髪の少女。

俺の、自慢の推し。


賞賛も、歓声も、きっと今の彼女には届いていない。

彼女の視線が、人混みの中から真っ直ぐに俺を探しているのが分かった。

だから俺は、叫ぶ代わりに、誰よりも誇らしい気持ちを込めて、力強く頷いてみせた。


その瞬間、ティナがふわりと微笑む。

そして、大観衆の真ん中で、自分の胸をきゅっと押さえた。

火照ったように染まった頬。潤んだ瞳。

その仕草の意味を、俺だけが知っている。


(――反則だろ、それは……!)


俺は慌てて自分の胸を押さえた。ダメだ、俺の心臓が持たない。

ただのゲームのキャラクターだったはずの少女が、今、俺の言葉一つで、表情を、心を、未来を変えていく。

その事実が、とてつもない喜びと、少しの恐怖と、そして胸を焦がすような愛しさとなって、俺の全身を駆け巡っていた。

これが、推しが尊いという感情の最終形態か……。


◇ ◇ ◇


興奮冷めやらぬ観客たちに紛れて通路を歩いていると、あちこちからティナの名前が聞こえてくる。


「まさかティナ嬢がセレスを破るとは……」


「あれは本物だ! 次の試合も楽しみだな!」


その言葉を聞くたびに、俺はまるで自分のことのように鼻が高くなる。だろ? すごいだろ、ティナは! と、すれ違う全員の肩を掴んで自慢して回りたい衝動を、必死に抑え込んだ。


控室の近くにある掲示板に、準決勝の組み合わせが張り出される。

そこに記されたティナの次の対戦相手の名前に、俺は思わず目を見開いた。


“サイラス・フォン・ヴァイス”


(……最悪だ)


俺の脳内にある“ゲーム知識”が、警鐘を鳴らす。

サイラス・ヴァイス。通称“幻惑の道化”。

彼は、強力な魔術や卓越した剣技で戦うタイプじゃない。

幻術と、巧みな話術。そして相手の心の弱さを的確に突く、精神攻撃を得意とするトリックスターだ。

一回戦の相手は「速さ」。二回戦は「硬さ」。

そして準決勝の相手は、「心」を直接攻撃してくるタイプ。

今のティナにとって、これ以上ないほど相性の悪い相手だった。


俺は足早に、ティナが一人で休んでいるであろう中庭へと向かった。

噴水の縁に腰掛け、空を見上げている彼女を見つける。

勝利の余韻に浸っているのか、その横顔はどこか安心しきっていて、少しだけあどけない。


《ティナ》

心の中で声をかけると、彼女は嬉しそうに振り返った。


「あ、おかえりなさい! 私、やったよ!」


その笑顔が眩しくて、俺は一瞬、これから話さなければならないことの重さを忘れてしまいそうになる。


《ああ、見てた。本当にすごかった。……でも、ティナ。少しだけ、次の試合の話をしてもいいか?》

俺の硬い声に、ティナの表情が少しだけ曇る。

俺は、準決勝の相手、サイラスの戦い方について説明を始めた。


「……精神、攻撃……?」


ティナの声が、か細く震える。


「幻を見せたり、嘘をついたり……私を、惑わせるってこと?」


《そうだ。彼は戦いの最中、平気で君を侮辱するだろう。君の努力を、家族のことを、アリスとの関係を……君が一番気にしている部分を、的確に抉ってくるはずだ》

俺がそう言うと、ティナの顔から血の気が引いていくのが分かった。

彼女の自信は、まだ俺という支えがあって、ようやく成り立っているガラス細工のようなものだ。

それを内側から揺さぶられたら……。


「……私、大丈夫かな。そんなことされたら、また、心が……」


俯いてしまったティナの肩が、小さく震えている。

俺は、ぐっと拳を握りしめた。

作戦だけじゃダメだ。今、彼女に必要なのは、どんな攻撃にも揺らがない“盾”だ。


《ティナ。顔を上げて》

俺は、できるだけ優しい声で語りかける。

彼女が、おそるおそる顔を上げる。その不安げな瞳を、俺は真正面から受け止める。


《奴は、君の頭の中をくだらない言葉でいっぱいにしようとするだろう。だったら、どうすればいいか分かるかい?》


「……どうすれば?」


《君が、君の頭の中を、俺の声でいっぱいにしてしまえばいい》

俺は、少しだけ照れくさかったが、はっきりと告げた。

《奴の言葉が聞こえなくなるくらい、俺のことだけを考えるんだ。俺が叫ぶ応援の声を。作戦を立てた時の、俺のくだらない冗談を。さっき、君が俺の言葉で顔を真っ赤にした時のことを》


「……っ!」


ティナの顔が、また一瞬で赤く染まる。


《くだらない幻を見せられたら、俺との修行の景色を思い出すんだ。どんな汚い言葉を投げつけられても、俺が君に言った「ティナは俺の自慢だ」って言葉を、心の中で何度も繰り返せ》

俺は、一世一代の覚悟で、言葉を続けた。

《君の心に、奴が入る隙間なんてない。だって、そこはもう――俺たちの言葉で、いっぱいにしちゃえばいいんだから》


「……わたしたちの、言葉……」

ティナが、呆然と俺の言葉を繰り返す。


(あああああ! 言っちまった! 俺、今「俺たち」って言っちまった! カッコつけすぎだろ、俺! 調子に乗りすぎだ!)

内心の俺は、頭を抱えて床を転げ回りたくなっていた。

だが、もう後には引けない。


ティナは、真っ赤な顔のまま、それでも真っ直ぐに前を見据えていた。

その瞳に、さっきまでの怯えはもうない。

代わりに、熱を帯びた、強い光が宿っていた。


「……うん。わかった」


彼女は、はっきりと頷いた。


「私、あなたの声だけを聞く。あなたとの時間だけを思い出す。……私の心は、あなたに預けるから」


その言葉と、あまりにも真剣な眼差しに、今度は俺の心臓が大きく跳ねる番だった。

(……これは、ダメだ)

俺は、本気で、この世界のただ一人の少女に、恋をしてしまっているらしい。

準決勝を前に、俺たちの間には、ただの契約者と主というだけではない、もっと甘くて、もっと強い絆が、確かに結ばれようとしていた。

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