第25話 届かない声、届いた想い

闘技場を揺るしていた万雷の拍手と賞賛の声は、控室へと続く石造りの通路に入ると、まるで分厚い壁に隔てられたかのように遠くなった。

けれど、私の耳の奥では、まだあの熱狂が鳴り響いている。

自分の足で歩いているはずなのに、地面に足がついていないような、ふわふわとした感覚。

胸の奥で、心臓がまだ熱をもって脈打っている。


(勝った……私が……あのレオルドさんに……)


じわじ-わと実感が湧いてくると同時に、膝から力が抜けそうになる。

壁に手をついて、ようやく体を支えた。

荒い呼吸を繰り返す。流れる汗が顎を伝い、石の床にぽつりと小さな染みを作った。

勝ったのだ。

予選の時のように、ただがむしゃらに戦ったわけじゃない。

彼と二人で積み重ねてきた修行の成果を、はっきりと形にして、格上の相手に勝利した。

それは、私の人生で初めて掴んだ、誰にも文句を言わせない、紛れもない「成果」だった。


「……っ」


込み上げてくるものを抑えきれず、腕で顔を覆う。

泣いてはいけない。まだ戦いは終わっていないのだから。

そう自分に言い聞かせても、熱い雫が次々とこぼれ落ちた。


控室の扉を開けた瞬間、中の空気が一変したのを肌で感じた。

あれほど私を無視し、憐れみ、あるいは軽蔑していた他の選手たちが、一斉に息を呑んでこちらを向く。

その視線に宿っているのは、もう侮りではない。

驚愕、警戒、そして――無視できない実力者を見る、真剣な眼差し。

先ほど私に「気の毒に」と言い放った騎士団長の息子は、バツが悪そうに目を逸らした。


心地良い、はずだった。

ずっと欲しかったもの。誰にも見くびられない、一人の実力者として認められること。

なのに、私の心は不思議と凪いでいた。

彼らの評価が変わったところで、私の何かが満たされるわけではなかったから。

私が本当に欲しいものは、ここにはない。


私は誰にも声をかけず、部屋の隅にある自分の席へと向かった。

腰を下ろし、俯いて目を閉じる。

そして、心の中でそっと彼に呼びかけた。


「……勝ったよ。……見ててくれた?」

声が震える。逸る気持ちを抑えられない。


《ああ。見てた。最初から最後まで、一瞬だって目を離さなかった》

すぐに、温かい声が返ってきた。

《最高だったぞ、ティナ。俺が今まで見てきたどんな戦いよりも、お前が一番輝いてた》


その言葉が、会場で聞いた何千もの賞賛の声より、ずっと深く、甘く、私の心に染み渡っていく。

ああ、そうだ。

私は、この言葉が聞きたかったんだ。

彼に褒めてほしくて、彼に「すごい」って言ってほしくて、その一心で戦ってきた。


「ほんと……? 私、ちゃんとできてた……?」


《できてたなんてもんじゃない。完璧だった。特に、懐に飛び込んだあの瞬間の判断力。あれはもう、一流の戦士の動きだ。俺が教えたことを、お前は完全に自分のものにしたんだ》

手放しの賞賛。一切の疑いも、お世辞もない、心からの言葉。

それがわかるから、嬉しくて、恥ずかしくて、顔がどんどん熱くなる。


《でもな、ティナ》

ふと、彼の声が真剣なトーンに変わった。

《これで終わりじゃない。お前がレオルドを倒したことで、他の選手はもう絶対にお前を侮らない。次の相手は、お前の戦い方を徹底的に研究してくるはずだ。本当の戦いは、ここからだぞ》


「……うん、わかってる」

浮ついていた心が、彼の言葉で引き締められる。

そうだ。まだ一回勝っただけ。私の目標は、こんなところじゃない。


「ティナ!」


その時、控室の入り口から、光が差し込んできたかのような明るい声が響いた。

声の主は、見なくてもわかる。

アリスだった。

彼女は自分の試合が終わったばかりなのだろう、少し息を切らしながらも、満面の笑みで私に駆け寄ってきた。


「すごい! すごいよ、ティナ! 見てたよ、今の試合! まさかレオルドさんに勝っちゃうなんて!」

彼女は私の両手を掴んで、ぶんぶんと上下に振る。

その瞳は、一点の曇りもなく、心の底から私の勝利を喜んでくれていた。

「本当にすごい! 私、ティナならやれるって信じてたんだから! 昔からすっごく努力家だったものね!」


「……ありがとう、アリス」

嬉しい、はずなのに。

ずっと姉に認めてほしかったはずなのに。

素直にその言葉を受け取れない自分がいた。


アリスの言う「昔から知ってるティナ」と、「今の私」は違う。

私のこの力は、アリスの知らない、彼との秘密の契約と修行の賜物だ。

その事実が、私とアリスの間に、見えない壁を作っていた。


「これで、また一歩近づいたね! 約束だよ、ティナ。決勝で戦おうね!」

アリスは屈託なく笑う。

決勝で戦う。それは、彼女にとっては美しい姉妹の物語なのかもしれない。

けれど私にとっては、人生を懸けた、たった一つの証明だ。


彼女の光が眩しくて、私は少しだけ視線を逸らした。

「……うん。頑張る」

そう答えるのが、精一杯だった。


アリスが去った後、控室の中央にある掲示板に、二回戦の組み合わせが張り出された。

選手たちが一斉に掲示板へ向かう。

私も立ち上がり、その人垣の向こうを覗き込んだ。


自分の名前を探す。

そして、その隣に記された対戦相手の名前に、息を呑んだ。


“セレス・ウォール”


彼女は、学年でも随一の防御魔術の使い手。

鉄壁の魔力障壁を何重にも展開し、相手の攻撃をすべて防ぎきってから、じわじわと相手を消耗させて勝つスタイルで有名だ。

“不動の壁”の異名を持つ彼女は、レオルドさんのような攻撃型の選手とはまさに対極の存在。


(……一番、戦いづらい相手……)


速さで翻弄し、一瞬の隙を突く私の戦い方とは、最悪の相性だ。

どうやって、あの鉄壁を崩せばいいんだろう。

掴みかけた自信が、早くも揺らぎ始める。


《……なるほどな》

彼の声が、私の心に響いた。

《確かに厄介な相手だ。真正面からぶつかっても、こっちが先に力尽きるだろう》


「……どうすれば、いいの?」

不安に押しつぶされそうになって、思わず彼にすがる。


すると、彼は不敵な笑みを浮かべた気配をさせた。


《心配するな、ティナ。どんな壁にも、必ずどこかに“隙間”はあるもんだ》

その声には、一切の迷いがなかった。

《次の試合まで、時間はまだある。二人で、あの壁をぶち壊す作戦を考えようぜ》


その頼もしい言葉に、私の心に再び小さな炎が灯る。

そうだ。私は一人じゃない。

どんなに高い壁が相手だって、彼が一緒なら、きっと乗り越えられる。


私は組み合わせ表を真っ直ぐに見据え、静かに闘志を燃やした。

次の戦いは、もう始まっているのだ。







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