第6話 禁じられた扉の向こうへ

夜の学院は、不気味なほど静かだった。

石畳を踏むたびに響く足音が、やけに大きく聞こえる。

私は息を殺し、廊下を進んでいた。

――誰にも見つかってはいけない。

分かっている。

けれど、それでも足は止まらなかった。

どうしても確かめなくてはならなかった。

あの禁術のことを。

あの本に記されていた、魂を代償にして異界の存在を呼び出す術。

常識からすれば狂気の沙汰。

失敗すれば死ぬ。いや、死ぬどころか、魂そのものが砕け散ると記されていた。

――そんなものに手を出すなんて、馬鹿だ。

頭では分かっている。

だけど。

私は、もう限界だった。

誰も私を見てくれない日々。

必死に努力しても、結果を残しても、それを「でもアリスはもっと」と片付けられる毎日。

笑顔を作るのも疲れた。

平気なふりをするのも、もうできない。

私はただ……ただ、自分を見てほしい。

「ティナ」という人間が、ここにいるんだと。

そのためなら――たとえ禁術に手を伸ばそうとも。

私は階段を下り、学院の最深部へと辿り着く。

そこには重い鉄扉があった。

幾重にも封印の紋が刻まれた扉。

誰も近寄らない。誰も知らない。

けれど私は偶然、この存在を知ってしまった。

そして今、その前に立っている。

手のひらに汗がにじむ。

心臓が痛いほど鳴っている。

――戻るなら今だ。

頭の片隅がそう告げる。

けれど、もう戻れなかった。

私は拳を握りしめ、封印を解く。

光の紋様が弾け、冷たい空気が吹き出す。

鉄扉が軋む音と共に、禁じられた部屋が姿を現した。

中はひどく静かで、ひどく暗かった。

けれどその中央には、間違いなく存在していた。

禁術の書。

古びた机の上に置かれたそれは、まるで私を待っていたかのように沈黙していた。

私は震える指で、それを開いた。

ページに刻まれた古代文字。

「血を以て契約を記すべし」

「魂を以て門を開くべし」

読み進めるたびに、背筋が凍る。

けれど同時に、胸が熱くなる。

恐怖と興奮。絶望と期待。

それらが入り混じり、心を掻き乱す。

私は机の上に蝋燭を並べた。

震える手で火を灯し、円環を描く。

刃を取り出し、自分の指先を切る。

痛みが走る。血が滴る。

赤い雫が床に落ち、描いた円を染めていく。

――これでいい。これでいいのだ。

私は深く息を吸い、呪文を唱え始めた。

舌がもつれる。喉が焼ける。

それでも必死に紡ぐ。

やがて、空気が震えた。

蝋燭の炎が大きく揺れる。

影が乱れ舞い、空間が歪む。


「……っ!」


膝が崩れそうになる。

魂が引きずられるような痛み。

頭の奥に、何かが侵入してくる感覚。

恐ろしい。怖い。

けれど――


「お願い……!」


私は叫んでいた。


「お願い……誰か……私を見て……!」


涙がこぼれる。声が震える。

その瞬間、闇の中心に光が生まれた。

眩しいほどの光。

けれど、それはただの清浄な輝きではなかった。

禍々しく、恐ろしく……それでも、どこか温かい光だった。

渦を巻く闇の中から、人影が浮かび上がる。

その瞳が、私を真っ直ぐに見ていた。

世界で初めて、誰かが――本当に、私だけを見てくれているように思えた。


「……っ」


嗚咽が漏れる。

私は震える声で契約の言葉を紡いだ。

魂を賭け、願いを託す。


「私を……見て……!」


その瞬間、光が爆ぜた。

世界が砕けるような衝撃。

そして――

私と“彼”の契約は結ばれた。





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