Cats & Dogs:超能力犬と宇宙猫が御主人様を捜して数キロメートル

二晩占二

第1話

 ユメオはとうとう心配になってきた。


 皿いっぱいの朝ごはんを平らげても、お決まりコースの散歩が終わっても、イロハが帰ってこなかったからだ。


 三崎家の広々とした庭は、成犬したジャーマン・シェパードが走りまわるのに十分な広さだった。しかし、お気に入りの赤いボールを投げてくれるイロハがいないのでは、その魅力も半減する。青々とした芝生も、クマゼミの鳴き声も、ユメオの寂しさを強調するために仕掛けられているように感じた。


 イロハが日をまたいで家に帰らないことなど、めったにない。少なくとも、ユメオが三崎家にやってきてからの三年間では、ほんの数回。そのすべてが学校の行事によるものだった。

 夏休み中盤の今、同様のケースが生じる可能性は、きわめて低い。


 ユメオは不安を落ち着けようと足先を舐めてみた。左右、交互に。しかし、思ったような鎮静効果はない。

 たまらず、二階の窓めがけて吠えた。


 ばうっ、——返事はない。

 ばうばうっ、——返事はない。

 ばばうっ、ばうっ、ばばばうっ、——返事はない。


 いくら吠えても、お目当ての相手からの反応は返ってこなかった。どれほど三崎家の屋敷が広いからといって、ユメオの声が届かないはずがない。それに、この時間のあいつは、定位置にうずくまって昼寝シエスタしているに決まっているのだ。


 面倒がって無視しているだけに、違いない。


 仕方がない。ユメオは体温調節のために垂らしていた舌を引っ込めて、”伏せ”のポーズで腹ばいになった。目を閉じ、眉間に意識を集中する。


『おい、バカ猫』


 意識を念力に変換し、時空を透過して二階の相手へ向けて突き刺す。

 念話テレパシーだ。

 そう、ユメオは、世にも珍しい超能力犬PSIドッグなのだ。


『バカ猫、おい。ルナ。聴こえてんだろ。いい加減、返事しろ』

『ああん、もう——うるさいわね、キモ犬。今何時だと思ってんの』


 気だるげな声で、ようやくお目当ての相手が二階の出窓に顔を見せた。

 ふさふさのブラウンの毛が、丸い顔全体を覆っていて暑苦しい。鼻が低く、目つきが鋭い。いつ見ても、猫という種族は奇妙な様相をしている、とユメオは思う。


 ルナは、ユメオと同様に、三崎家に飼われているペットだ。猫種はサイベリアン。だが、それは世を忍ぶ仮の姿であることを、ユメオだけは知っている。


『今何時、って朝だろ。』

『猫は夜行性なの。あんたたち野蛮な昼行性種族といっしょにしないで』

『この地球ほし支配種ヒトたちは朝起きて、夜眠る。そのパターンに迎合しなければ、諜報員は務まらんだろ』


 そう、ルナは猫に扮した諜報員。それも、他国ではなく、地球外からの使者なのだ。

 ものぐさな性格で、普段はめったに仕事をしないのだが。


『うっさい。クソ真面目。また鼻っぱしら引っ掻くわよ』

『次にやったら喉笛を噛みちぎるぞ、と警告したはずだがな。それより、本題に入ろう』

『何よ』


 ルナは、窓辺にちょこんと座り、体毛をぺろぺろと舐め始める。

 ようやく、ユメオの話に耳を傾ける気になったようだ。


『イロハの件だ。気にならないか? 昨日から家に帰っていない』

『イロハって――ああ、主人の娘のことね。そういや、見ないわね』

『お前、いつも一緒に寝てるんじゃなかったのか』

『冗談。こんなクソ暑い季節まで抱き枕にされたんじゃ、お互いに汗疹あせもまみれになっちゃうわ。でも、そうね。いつもよりも屋敷が静かな気がしたのは、そのせいかもね』


 ルナは、まるで無関心といった目つきを窓越しに放り投げた。

 ユメオは牙をむき出し、小さく唸る。こういう日頃の恩義をないがしろにした言い草には、猫への苛立ちを感じざるを得ない。


『お前、心配じゃないのか?』

『繁殖の時期とかなんじゃないの? そろそろ成体でしょ、あれでも』

『猫と一緒にするな。イロハは、まだ高校生だ。身体は成体でも、ヒトの社会的ルールでは、子どもに属する』

『めんどくさいめんどくさいめんどくさーい。この星のルールも、アンタの脳みそも。ガッチガチすぎてほんと嫌んなっちゃうわ』


 ユメオの視界から、ルナがフレームアウトする。おそらく、窓台に寝っ転がったのだろう。


『捜しに行かないか、イロハを』


 見えなくなった相手に向けて、ユメオが吠えた。


『嫌よ、なんでワタシが』

『何か、事件に巻き込まれているかもしれない』

『遊びに行ってるだけかもしれないでしょ』

『学校行事でもなく、家族旅行でもなく、イロハだけが二日も家に帰っていない。これは過去のいかなるパターンにも一致していない』

『じゃあ新しいパターンなんじゃないのー? もう、昼寝したいんだから話しかけないでよ。そんなに気になるなら、アンタだけ行って来ればー?』


 そう言ってルナは、出窓にしっぽだけを見せてフリフリと左右に振って見せた。

 それは、人間が別れ際に見せる”ばいばい”を模した動きだった。


 ユメオはため息を吐く。単身で捜索に向かいたいのはやまやまだったが、いくら超能力PSIの使い手とはいえ、複雑な人間社会に犬一匹でさまよい込むのは心許ない。ルナは性格こそ合わないが、地球外から持ち込まれた能力は、非常に優秀だ。なんとしても、旅の連れ合いに駆り出したかった。


『イロハが帰らなければ、しばらくは煮干しにも、ありつけないかもしれないな』


 正攻法で無理なら、とユメオは単純な駆け引きを持ち出した。朝晩のエサは三崎家の誰もが気にかけてくれるが、おやつは別だ。ルナの煮干しや、ユメオのジャーキーは、イロハがバイト代を工面して用意してくれている。彼女が不在の間は、自然とおやつ抜きになるのだ。


 窓の向こうから、反応はない。


 だめか――と、ユメオが諦めかけたその時。


『どうやら、由々しき事態のようね』


 出窓に飛び乗り直したルナが、先ほどまでとは打って変わって真剣な顔つきで、こちらを見下ろしていた。

 体毛が、わずかに膨らんで見える。

 ギミック式のパワードアーマーを着込んできた証拠だった。


『さあ、何をぐずぐずしているの。まずはワタシをここから出しなさい』


 ルナは、きわめて現金な性格だった。

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