第20話 王都鎮圧
翌朝、夜明け前の静寂を破って、男爵領の城下町に角笛の音が響いた。
魔導兵士部隊三百名の出発である。昨日の作戦会議で決定された『王都鎮圧作戦』が、ついに実行に移される時が来た。
石畳の大通りには、日の出前にもかかわらず、見送りの住民たちが詰めかけていた。家族や知人を部隊に送り出す人々の表情には、緊張と誇りが混在している。
「頼むぞ!」
「故郷の名に恥じない戦いを!」
声援が飛び交う中、三百名の精鋭が整然と隊列を組んでいく。二ヶ月間の厳しい訓練を経て、彼らは立派な兵士となっていた。
昨夜、技術者としての責任から同行を申し出たジョルジュは、既に馬車で待機していた。自分の技術がどのような結末を迎えるのか、作り出した者として見届ける義務がある。
馬車に乗り込むジョルジュの姿を、通りの向こうからダリオが目撃した。
「おい、ジョルジュ! どこに……」
しかし、既に隊列は動き出している。ダリオは慌てて城下町の宿に向かった。
「大変だ、リズ!」
息を切らして宿に駆け込むと、リズは起き抜けに茶を飲みながら、古い書物を読んでいた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ジョルジュが馬車に乗ってた! 隊列と一緒に王都に向かったみたい!」
リズの手が止まった。彼女は数日前の魔導兵士部隊の実戦演習を思い出していた。住民に混じって観戦していた時、リズは強い違和感を覚えていた。
『光よ、我に力を!』
三百名が一斉に放った詠唱。その声には何か根本的なものが欠けていた。思いのない、空虚な響き。しかもそれは、明らかに人を傷つけるための技術だった。
「あの技術が実戦で使われる……」
リズは立ち上がった。古代契約詠唱理論の書物を手に取り、手早く旅の支度を始める。
「ジョルジュを追いかけるの?」
「ええ。あの子が本当の戦闘に巻き込まれる前に」
リズは宿を出ると、馬を借り、すぐに王都への道を急いだ。王都までは一週間程度かかる。魔導兵士部隊より先回りするために全力で駆け抜けていった。
部隊が出発して三日目。行軍を続ける部隊のもとへ、王都から早馬がやってきた。
「報告します! 王都の暴動が制御不能な状態に!」
その後も街道の宿場で次々と届く報告に、ザルエスは表情を変えた。
粗悪模造品による中毒死事件が引き金となり、民衆の怒りが爆発していた。商人ギルドが焚きつけたとはいえ、民衆の暴動は完全に度を過ぎていた。『魔法解放』という理想的なスローガンは〝貴族皆殺し〟という復讐心に変わっている。魔導具店の破壊、無関係な建物への放火、一般市民への暴行──もはや〝適度な混乱〟ではなく、王都の平和を脅かす破壊行為だった。
「これは予定された鎮圧ではない」
行軍五日目の夜営で、ザルエスは部下に告げた。
「真の鎮圧が必要だ」
ジョルジュも行軍中の報告を聞いて、複雑な気持ちでいた。自分の技術の噂だけで、これほどの混乱が生まれてしまうとは。
リズは部隊より一日早く王都に到着した。
街の惨状は、彼女の想像を遥かに超えていた。あちこちで煙が立ち上り、略奪された店の残骸が散乱している。
王都中央部では、『賢者の塔』と呼ばれる古い学術施設に過激派が立て籠もっていた。王立図書館に付属する研究塔で、普段は学者や研究者が利用している建物だった。
立て籠もったのは百名近く。当初の穏健な運動から分離した過激派で、もはや対話の余地のない武装集団と化していた。
「貴族を殺せ!」
「技術独占者に死を!」
塔から響く叫び声は、理性的な抗議ではなく、純粋な憎悪に満ちていた。
一週間の行軍を終えた部隊が王都に到着したのは、正午頃だった。
馬車から降りたジョルジュは、目の前の光景に愕然とした。これが自分の「誰でも魔法を使える世界」への理想が引き起こした結果なのか。
「見ておくがいい」
ザルエスが冷静に言った。
「君の技術が、この混乱を終わらせる」
部隊は完璧な包囲陣形を構築した。三百名の精鋭が塔を取り囲む。
リズは包囲網の外から、その光景を見つめていた。威嚇のため、三百の宝珠が一斉に光を放つ様子は、確かに圧倒的だった。しかし彼女には、その美しさの裏に空虚さを感じられた。
ザルエスは塔に向けて最後通牒を発した。
「武器を捨てて投降せよ。さもなくば、王国への反逆者として処刑する」
塔からの返答は予想通りだった。
「貴族の犬に屈するものか! 最後まで戦ってやる!」
交渉は完全に決裂した。ジョルジュが「まだ話し合いの余地が……」と提案しても、ザルエスは首を振った。
「武装した反乱者に甘さは不要だ」
三百名が一斉に宝珠を構えた。
「光よ、我に力を!」
よく訓練された機械的な一斉詠唱が響く。しかし、その声に魂は宿っていない。ただ技術を操るだけの、空虚な言葉。
三百の宝珠が同時に輝きを放つ光景は、まさに圧巻だった。太陽をも凌駕する眩い光が、塔に向けて収束していく。石造りの古い建物が、その光の奔流の前に影のように浮かび上がった。
ジョルジュは息を呑んだ。これが自分の技術の到達点。三百という数による物量が生み出す、圧倒的な破壊力。
光の束が塔の外壁を直撃した瞬間──突如として、巨大な魔法障壁が塔全体を包み込んだ。
宝珠からの攻撃は完全に無効化され、光は虚しく障壁に吸い込まれていく。まるで湖面に投げ込まれた石のように、光の奔流が波紋となって消散した。
「何だ、あれは……!」
全軍が驚愕の声を上げた。これまで宝珠の威力を見慣れた兵士たちも、完全に防がれるという事態は想定していなかった。
ジョルジュも目を見開いた。こんな魔法は見たことがない。まるで生きているかのように脈動する光の膜が、塔を優しく、しかし確実に守っている。いったい誰がこんな魔法を──
包囲網の隅で、リズが古代エルフ語で詠唱を続けていた。
「スィリ・アン・ナス・トゥリエル……神との契約において、全ての力を無きものとせよ……」
深い思いを込めた真の魔法。空虚な詠唱とは対極にある、魂のこもった詠唱だった。古代より受け継がれた言葉の力が、現代の技術を圧倒している。
ザルエスは一瞬の動揺を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「過激派の中に、相当な実力の魔導士がいるようだな」
しかし、これは想定の範囲内だった。どれほど強力な魔法でも、一人の力では限界がある。
「古い魔法など、物量の前では無力だ。持続攻撃で押し切れ」
「第二波、発射準備!」
隊長の号令が響く。三百の宝珠が再び光を帯びた。
「光よ、我に力を!」
再度の一斉攻撃。しかし障壁は依然として堅固だった。光の膜に小さな波紋が生じるだけで、損傷は見られない。
「第三波!」
「第四波!」
執拗な連続攻撃が続いた。強固な魔法障壁も、絶え間ない攻撃の前に徐々に輝きを失っていく。リズの体力と魔力が、確実に削られていく。
十分……二十分……
ついに魔法障壁に最初の亀裂が入った。光の膜の表面に、蜘蛛の巣のような細い線が走る。
「割れたぞ!」
兵士たちの間に、勝利への確信が広がった。
「今だ! 集中砲火!」
ザルエスの号令と共に、三百の宝珠が一点に向けて放たれた。亀裂の入った部分への集中攻撃。障壁が耐えきれずに崩壊する瞬間、包囲網の隅でリズが膝をついた。
防御を失った塔に、三百の光が一斉に襲いかかる。古い石造建築は、その攻撃に耐えることができなかった。外壁が砕け、柱が折れ、基礎部分から亀裂が広がっていく。構造そのものが破綻し、塔は不気味な軋みを立てながら、徐々に傾きだした。
「崩れるぞ!」
兵士たちが後退する中、ジョルジュは塔を見上げて愕然としていた。
あの中には多くの人がいる。武装した過激派とはいえ、彼らも元は普通の市民だった。自分の技術への憧れから始まった運動が、こんな結末を迎えるとは。
「逃げろ! みんな逃げるんだ!」
ジョルジュは護衛を振り切って塔に駆けようとした。
「やめろ! 戻れ!」
護衛の怒声が響いたが、ジョルジュは既に包囲網を突破していた。塔に向かって走る彼の背中を、護衛たちが必死に追いかける。
ついに塔は、轟音と共に崩れ始めた。
数百年の歴史を刻んだ石造建築が瓦礫と化していく。塔に駆け寄ったジョルジュの周りにも石の破片が降り注いだ。
粉塵が舞い上がり、視界が白く霞む。ハッと頭上を見上げると、巨大な石塊が彼の真上に迫っていた。
その瞬間──
リズは最後の力を振り絞っていた。瞬間移動の魔法──古代よりエルフに伝わる緊急脱出術を、押し潰されようとしているジョルジュに向けて発動する。
「トゥエル・シン・ナロス!」
古代エルフ語の詠唱と共に、ジョルジュの体が光に包まれた。光に包まれる感覚と共に、ジョルジュの意識は闇に沈んだ。
次の瞬間、巨大な石塊が、彼がいた場所を直撃した。瞬きほどの僅かな時間。粉塵と煙に覆われた混乱の中での出来事に、気付く者はいなかった。
ザルエスは崩れた瓦礫を見渡し、冷静に状況を判断した。
「この倒壊では生きてはいまい」
身元を判別するのは困難だった。大量の瓦礫の下で、大半の過激派が生き埋めになっている。一人一人の生死を確認するには、相当な時間と労力が必要だろう。
「確認するまでもない。鎮圧完了とする」
魔導兵士部隊の圧倒的勝利だった。武装した過激派による反乱を、完全に制圧した。これで王都に平和が戻る。
部下が恐る恐る尋ねた。
「ジョルジュ殿は……」
「過激派の攻撃に巻き込まれて死亡した。不幸な事故だったが、やむを得まい」
ザルエスの声に感情はなかった。技術開発者の口封じと、同時に記録からの抹消。これで宝珠技術は完全に彼の独占となる。
「記録には『暴動に巻き込まれた被害者』として残せ。それだけでよい」
数日後から、塔だった場所の瓦礫撤去作業が始まった。
作業員たちは丁寧に石材を運び出していく。遺体の収容も兼ねた、慎重な作業だった。
「ジョルジュという男の遺体は見つかったか?」
「いえ、それらしきものは……完全に埋もれてしまったのでしょう」
ジョルジュの特徴を聞いた作業員の報告に、ザルエスは頷いた。予想通りの結果だった。あれほどの倒壊では、遺体が発見されなくても不思議ではない。
こうして、正式に死亡認定が下された。ジョルジュ・エルノアは、過激派の暴動による被害者として記録された。宝珠技術の真の開発者という事実は、記録から完全に消し去られた。
「我が領地独自の技術開発成果、か」
ザルエスは満足そうに呟いた。政治的にも軍事的にも、完全な勝利だった。
──ジョルジュが目を覚ますと、頭上に木々の葉が茂っていた。
柔らかな土の感触、鳥のさえずり、木漏れ日の温かさ。ここは森の中だった。体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走る。
「ジョルジュ!」
涙声が聞こえたかと思うと、リズが勢いよく抱きついてきた。
「生きてて良かった……本当に良かった……」
リズの肩が小刻みに震えている。ジョルジュは困惑しながら彼女の背中に手を置いた。
「リズ……俺はいったい……」
「王都郊外の森よ。瞬間移動の魔法で、あなたを移動させたの」
「瞬間移動? そんな魔法が……」
記憶が断片的に蘇ってくる。王都の惨状、賢者の塔での立て籠もり、三百の宝珠が放つ圧倒的な光、そして──崩れ落ちる石と瓦礫の轟音。
「あの塔は……」
「崩壊したわ。中にいた人たちは……」
リズの声が途切れた。ジョルジュの顔が青ざめる。
「みんな、死んでしまったのか……」
「ごめんなさい。あんた一人しか救えなかった」
リズの目に再び涙がにじんだ。ジョルジュは呆然と空を見上げた。自分の技術が、あれほど多くの命を奪ったのだ。
「俺は……もしかして、この世から消えたことになってるのか」
「そうなるでしょうね。でも生きているわ」
リズは優しく微笑んだ。
「今度こそ……理想のための技術を作り直しましょう」
「理想のための……?」
「そう。あんたが最初に抱いていた夢を、正しい形で実現するの」
ジョルジュは森の木々を見上げた。自分の技術が引き起こした悲劇、権力者による利用、そして自分自身の『死』。すべてが終わったように思えた。
しかし、リズの言葉には、まだ見ぬ希望が込められているようだった。
「あの魔法障壁……普通の魔法じゃなかったな。あれも、リズが……?」
「ええ。古い時代の技術よ。いずれ詳しく教えるわ」
「俺の宝珠技術と、何が違うんだろう……」
ジョルジュの瞳に、技術者としての探求心が戻ってきた。
権力に利用され、歴史から抹消された技術者。しかし、真の理想を追求する道は、まだ残されていた。
森の静寂の中で、二人は新たな出発への準備を始めた。木々のざわめきだけが、静かにその決意を見守っていた。
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