掌編小説「壊れない心の鐘」

マスターボヌール

前編


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雨音が窓を叩く夜、健太は部屋の隅で膝を抱えていた。砕けた心が濾過できなくて、涙はとうの昔に枯れ果てていた。


「もう一粒も流れなくて、可笑しいよね」


独り言が虚しく響く。就職活動は連続で失敗し、恋人にも去られ、家族からは失望の視線を向けられる。酷烈な人生という迷路の荊棘が、彼を四方から囲んでいた。


翌朝、コンビニへ向かう途中で健太は見つけた。段ボール箱に入れられた小さな子犬を。雨に濡れて震えている。


「君も雨が嫌いなのか」


健太は子犬を拾い上げた。この子もきっと、不遇な道を歩まされている。自分と同じように。


「僕は今、人間です。君は今、犬です。それくらいでいいよね」


健太はその子犬にハチと名前をつけた。ハチは人間を信用していないようで、最初の数日は健太が近づくだけで身を縮こまらせた。きっと捨てられる前に、ひどい目に遭わされたのだろう。


でも、健太にはハチの気持ちがわかった。自分も人間という存在が嫌いだった。その姿が嫌いなだけで、憎めないのは、きっと心のどこかで優しさを信じているからだ。


ハチの世話をするうちに、健太は気づいた。地面の色を見て歩く自分を。水溜りのない場所を選んでいる自分を。


「さては、不遇な道を逃れるため、自己防衛だってするんでしょう?」


ハチに語りかけながら、健太は自分のことを言っているのだと理解していた。


ひとひらの花が散るために、水も土も光もその種も必要なように、この出会いにも意味があるのかもしれない。健太の目の前にあるもの—ハチとの日々、その意味も過去も未来も、まだ見えないけれど。


就職活動は相変わらず上手くいかない。面接で落とされるたび、運命が通せんぼしているような気がする。


「勘違い、自業自得だよ。でも状況が良くないからね。逃げたいよね、生きたいよね」


ハチに愚痴をこぼすと、ハチは首をかしげて健太を見つめた。まるで「でも僕はここにいるよ」と言っているみたいに。


ある雨の夜、ハチが急に体調を崩した。息が荒く、ぐったりしている。


「雨に溺れることはないな。それでもなんだか息苦しいな」


健太は震え声でつぶやいた。まだこの子を失うわけにはいかない。この子がいなくなったら、自分はまた一人になってしまう。


動物病院へ駆け込む健太の脳裏に、ある思いが浮かんだ。


「いつか死ぬために生きてるなんて、それならさ、それならば...」


まだ答えは見つからない。でも、ハチのために何かしなければならない瞬間が、今ここにあった。


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