黒き侍と白き贄の契約結婚 ~ 相思すれ違い浪漫譚 ~

初美陽一@10月18日に書籍発売です

第1話 不遇からの逃亡と……契約結婚!?

「はあっ、はあっ、はあっ……」


 闇夜、宿場町の裏通りを駆ける、華奢な人影があった。

 それは暗がりにあって、月の光を反射するような、真白ましろの麗人。


 必死に走ってきたのか、不自然なまでに白い肌には汗が珠の如くに伝い、艶やかだが奇異なは乱れている。


 ほとんど肌着同然のの着物がはだけるのを、両手で抱きしめるようにして、疲れのままに長屋の壁を背にへたり込んだ。


「っ。……せつは……これから、どこへ行き……どう生きれば……」


 今、絶望のままに俯く者、その名は〝ゆき〟。

 末子とはいえ裕福な商家に生まれたが、生まれつきの白い髪と白い肌、そして赤みがかった瞳の色は、家中において気味悪がられる対象でしかなかった。

 小童しょうどうの頃などは地下の座敷牢に閉じ込められ、存在を恥とまでされ人目を避けるよう強要されたほどである。


 母の違う年の離れた兄どもは、特に雪を蔑み虐げた。

〝無駄飯食いの穀潰しめが〟

〝気味の悪い白頭を見ているだけで気が滅入る〟

〝本当は妖怪の子ではないか? この疫病神め!〟


 そんな誹謗を受けて育った雪の、唯一とさえ言える味方が、実母だった。

 雪を気味悪がった兄どもの嫌がらせにより、裕福な本家を追い出され、離れのあばら家に追いやられた際、けれど母親だけはついてきてくれた。


 うら寂しく細々とした生活の中で、実子の奇異な見た目に偏見を持つことも一切なく、常に穏やかに笑っていた母親は、雪にとって光り輝く目標だ。


 その母が、雪が十八になる頃、亡くなった。

 元々病弱ではあったが、彼女はそれでも最期まで、子を案じて言い残す。


『ここにいても、あなたは幸せにはなれません。この家を、出ておゆきなさい。私は体が弱くて、ついぞあなたを何処かへ連れ出すことは叶わなかった。本当に、ごめんなさい……でも、大丈夫。ここを出れば、あなたは幸せになれる、そういう星の下に生まれているから。あなたの不幸は、私が黄泉へと持ってゆきます。雪、あなたと出会えて、それが一番の幸せでした。心から愛しているわ』


 事切れた母の顔は、病の果ての結末とは思えぬほど、安らかに微笑んでいた。


 暫く泣き明かした挙句に茫然自失となった雪だが、あばら家とは離れた豪奢な家の外で作業していた使用人に、母の逝去を告げた。泣き腫らした目そのものが瞳ほど赤くなったことで怯えられたが、棒で打たれぬだけだと雪は思う。


 そうして後日、葬儀が行われたが、雪は参加すら許されず――けれど母の遺言どおり、その機に家を逃げるように去った。家の者に見つからぬようにと、華奢な体と足で必死に駆ける。


 そうして今に至る。しかしあの家を出て、果たして何処へゆけば良いというのだろう。どの星の下に生まれ、幸せになれるというのか、雪は夜空を見上げた。

 しかし今は分厚い雲に遮られ、月すら見えない。雪の心は一層、後ろ向きに沈む……と、その時である。


『……へへへ、なんだ? 婆さんでも行き倒れてるのかと思いきや……とんでもねぇ上玉じゃねえか!』

「!?」


 人通りの少ない裏道に、夜中にもかかわらず粗野な声が響く。雪が怯えて身を竦めると、風体の怪しい三人組が遠慮なしに詰め寄った。


『オイオイそう怖がるんじゃねぇよ、傷つくじゃねぇか! ちょっと心配して介抱でもしてやろうってだけだよぉ!』

『ゲヘヘ、まあ弾みで変なとこ触っちまうかもだけど、勘弁してほしいでゲス』

『………か、可憐じゃあ………』


「い、いえ……ちょっと待ってください! 拙は――」


『拙、拙だってよ! ケッヘヘ変わった子だなぁ、お上品かよオイ!』

『こいつぁお酌の一つでもして欲しいもんでゲス、ほらこっち来いでゲスよ!』

『……不思議系、たまらぬのう……』


「いえですから、話を聞いて……あっ!?」


 あまりにも細い雪の腕を、無頼漢が強引に引っ張ると、小さく悲鳴が上がった。

 すると、そのか細い声に引き寄せられたかのように、更に割り込む声が一つ。


『――オォイ糞餓鬼くそがきども、テメェら何の悪さしてやがんだァ?』


『アアン!? ……ゲッ!? あ、アンタは……』

『ゲスッ!? ま、まさか、あの眼帯、巷じゃ噂の……!?』

『ムウンッ……悪童あくどうらん〟じゃのう……!』


 途端、雲間から月が顔を出し、月光に照らされて現れたのは――乱雑に結わえられた黒髪と、眼帯が特徴的な剣士。黒を基調とした妙に派手な衣装と、歌舞伎の如くに派手な顔塗りを施した、いわゆる傾奇者かぶきものだ。


 そんな〝らん〟と呼ばれた謎の剣士の登場に、無頼漢たちは俄かに慌て、しかし多勢であることをたのんでか強気に出た。


『へ、へへっ……剣術道場の跡取りが、こんなとこで遊び歩いてイイのかよ?』

『あ、あっしらは調子の悪そうな娘を介抱しようとしてただけでゲスがぁ~?』

『おいどん心底から、月も恥じらうこちらの美女とねんごろにゃんにゃんしたいでごわす』


「要するに、か弱い女を取り囲んで狼藉を働こうって話で良いんだな? きょうの風上にも置けねぇ糞ならず者ども、見逃してやる道理はねぇよなァ?」


『馬鹿おまえがねんごろにゃんにゃんとか余計なことほざくから!』

『ち、ちくしょう、こうなったらヤケクソだ、三人いりゃ何とかなるでゲスゥ!』

『ウオオオ何かの間違いで良いから可憐な美女と接吻したいィィィ!!』


 もはや合図も統制もなく、三人のならず者が声を上げて襲い掛かる。

 一方で乱は、乱暴な喋りをしていたのとは反面、水を打ったような静けさで刀の柄に手をかける。直後、短い脇差を抜き放つや、目にも止まらぬ速さで幾つかの閃光が奔った。


 乱が何事もなかったように通り過ぎ、ちん、と刀が鞘に収まる――その音と同時に。


『ヒッ。き、斬られ……へ!? 帯が真っ二つに……!?』

『キャーーーッ! はき物が落ちたでゲス、悪童の助平すけべえ――!』

『ウヌウ! このような有様、花の如き美女が恥じらい蕾に顔を隠してしまうではないか……それはそれで、へきなり!』


「阿呆みてぇなことほざいてないで、とっとと失せろ。次は首と胴を泣き別れにしてやんぞ」


『ヒッ!? すすす……すいませんでしたぁ~~~!』


 着物の帯を一瞬で断ち切られた三人が、相当にみっともない格好で下半身を押さえながら去ってゆく。

 さて、ならず者三人組をあっさりと追い払い、呆れ気味にため息を吐く剣士・乱が、へたり込む雪に声をかけた。


「よう、災難だったな、お嬢さん。……チッ、アンタも悪いぜ、そんなナリで裏道なんてうろついてちゃ、変な連中に絡まれても仕方ねぇ。とっとと家に帰りなよ」


「あっ……た、助けてくれて、感謝いたします。でも、家には……その」


「アン? ……何だ、何か帰れない事情でもあるのか?」


「それは、その。………」


 どう説明して良いものか、と雪は答えあぐねる。そもそも頼る当てもなく家を飛び出し、説明できるほどの事情もない。かといって、下手なことを言って、自身を虐げるばかりの家に連れ戻されるのも困る。


 しどろもどろになる雪に、ふむ、と顎先に手を当てた乱が問う。


「察するところ、何かあって家には帰りたくない……だが行く当てもなく、途方に暮れている、と。そんなとこか?」


「う。……は、はい、お恥ずかしながら、仰る通りです……」


「だが家の者は、心配してるんじゃないのか? アンタを探す家族は?」


「それは、と思います。拙は……家中では疎まれ、かの如くに扱われていました。拙を大切にしてくれる者は……もう、一人も」


「へえ。……へえ、そいつは。ククッ」


「え? あ、あの、今なんと……」


 何やら怪しげな含み笑いを漏らす乱に、雪が細い首を傾げると――初めて出会ったばかりの傾奇者は、身なりに相応しくとんでもないことを言い出した。



「いいぜ、おまえを拾ってやる、衣食住の面倒くらいは見てやろう。

 その代わり、おまえはオレの嫁になれ――こいつは〝契約結婚〟だ」



「えっ。……え? ……え、えええええええっ!?」


 華奢な雪から、本人も信じられぬほど大きな声が出た。

 対して上機嫌な様子の乱は、一方的に条件を突き付ける。


オレにも色々と事情があってな。齢二十にもなって嫁の一人もいないでは、道場の跡取りとして示しもつかん。で、己は己に逆らわぬ、都合の良い嫁を探していた。さっきも言ったが、これは〝契約結婚〟だ。別に深い関係を望むわけじゃねぇ。あんたも行く当てがないのなら、そう悪くない条件だろ?」


「そ、それは……いえ、ですが! そもそも拙は――」


「己の嫁になれぬと言うなら〝契約結婚〟も白紙、おまえを拾ってやるという話もナシだ。それでいいのなら、己は潔く諦める。そしたらまた寒空の下で一人、今度こそならず者に襲われるかもな。残念な話だぜ」


「うっ……そ、それは、いやですっ……けどっ」


「よしっ! じゃあ決まりだな! よかったよかった、改めて……己の名は乱。あんたは?」


「あ、ゆきと申します……って、そうじゃなく!」


「へえ、色白……ていうか全体的に白いが、まあぴったりな良い名前じゃないか。よし、それじゃあ、住む場所に案内するから、ついてきてくれ」


「え、いえですから、あの……さま!? っ……」


 半ば強引に重大すぎる話を決めた乱が、先に先にと歩いていく。

〝契約結婚〟などと、とんでもないことを言い渡されて、雪が反論するのも当然……と言いたいところだが、実のところはそこではない。


 雪は、その〝あまりにも根本的な問題〟を――心の中で叫んだ。



(拙は、拙はっ……おのこなのですが――!?)



 ……とはいえ、本当に寒空の下に放置されても困るので、口には出せないのだった……。

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