第17話 沈む陽、昇る星
シャワーを浴び、タオルで髪を掻き上げながら部屋に戻る。
ベッドの上に置きっぱなしだったスマホが、暗い部屋の中でチカチカと光っていた。
拾い上げて電源をつける。
差出人を見た瞬間──息が、ふっと止まった。
⦅再来週の土曜日、暇か? いつも使っている紅茶屋に行くからお前も来い。おにぎりにも合う茶葉があると思う。⦆
文字を追い終えると、胸の奥がじわりと熱くなった。
耳の奥で自分の心音がやけに大きく響いて、呼吸の仕方を忘れそうになる。
身体に残っている酸素をすべて吐き出し、スマホを強く握った。
⦅お誘いありがとうございます!
紅茶のこと詳しくないので、よかったらいろいろ教えてくれたらうれしいです。楽しみにしてますね!⦆
送信前に、何度も読み返す。変な言葉遣いになっていないか、句読点の位置はおかしくないか。
毛が逆立った猫みたいに皮膚が引っ張られていて、シャワーを浴びたばかりなのにもう乾いてしまったみたいだ。
こんなとき「え〜?勢いが大事だって!送っちゃうよ〜!えいっ送信!」と、勝手に背中を押してくれる友だちがいたらどれだけ楽だろう。
けれど、そんな人はいない。
だから、自分で指先に力を込めて──送信ボタンを押した。
ふぅ。
ひと仕事終えたみたいなため息が漏れると同時に、きゅっと締まっていた胃に自然と空気が入ってくる。
──ぴろん♪
“ダッ”と効果音が出そうな勢いでスマホを持ち上げ、画面を確認する。
《ああ、わかった。近くなったらまた連絡する。
ゆっくり休め。おやすみ。》
……いまのわたし、多分、絶対に誰にも見られたくない顔をしてる。
それは分かっているけど、止められない。
理由なんてどうでもいい。ただ、明日はきっといい一日になる。
⸻
「マスター! おはようございまーす!」
「ミアおはよう。なんかいつもより元気だね?」
「そうですか? テラスの準備に行ってきますね!」
「うん。頼んだよ」
ドアを開けると、鮮やかな青と高く盛り上がった雲がもくもくと広がっていた。
それが、浮かれていると自覚している自分の心と重なる気がして、思わずぐっと背伸びをする。
脚立を持ち出し、カタカタと登ってブラシでオーニングテントの埃を払う。
ふと振り返ると、海が陽を跳ね返してギラギラと光っていた。眩しさに思わず目を細める。
(……ん?)
見慣れない船が、港の端に停まっている気がした。
漁師さんたちは風邪から復活したのだろうか。けれど──どこか、聞き慣れないイントネーションの声が混じっている。
まあ、この港にはわたしのような異邦人だっているのだから、珍しいことではないのかもしれない。
脚立の上でぼうっと海をもう一度眺め、静かに地面へ降り立った。
⸻
夕焼けが水面の影にキラキラと光る頃、レイくんとノアくんが並んで座っていた。いまはテスト週間前で部活が早く終わるようだ。
カウンター奥の棚の上では、小さなラジオが低く鳴っている。
ニュースキャスターの声が、コーヒーの香りの中に混じった。
『本日未明、港町近郊で魔法士に対する抗議デモが行われ、一部が暴徒化しました。魔法警備隊が鎮圧にあたりましたが、関係者への聞き取りが続いています──』
「……あ。なぁ、ノア。これ、今日アカデミーで言ってたやつじゃね?」
「ん? なんだ? 聞いてなかった」
「だーかーらー! 魔法士への抗議デモ!」
「ああ……なんか言ってたな。夜明けの国の中でも、うちは魔法士学校として有名だから気をつけろってやつだろ? まぁ、どう気をつけたらいいのかは分からないけどな」
「まぁな〜。ほんと、厄介ごとはごめんだわー」
ソーサーを拭きながら、ふたりの会話が勝手に耳に入ってくる。
魔法士の暴動って、どういうことなんだろう。
魔法で戦うってことなのかな……魔力のないわたしには分からない。
そんなことを考えている横で、マスターがふよふよとコーヒーカップを引き寄せていた。
拭いたソーサーとコーヒーカップを棚へとしまっている時に、ふと思い出してキッチンへ向かう。それを準備して口を尖らせているレイくんと、余裕そうな表情のノアくんの前に置いた。
「はい、ふたりとも。これどうぞ。
勉強疲れるだろうから。少しだけど食べて」
「え!まじ?サンキュー、ミアさん!」
「わざわざありがとうございます」
差し出したのは、自分のおやつ用に作っていたクッキーだ。
「じゃあ遠慮せずに──いただきまーす!……うま!」
「あ、このクッキー甘くないんですね。食べやすいです」
「うん。紅茶のバタークッキーと、チーズとベーコンのクッキー。結構好きなんだよね」
そう言うと、レイくんは少し上を向き、頭の上にハテナを浮かべたみたいな顔をした。
「ねえ、ミアさん?」
「ん? なに? レイくん」
「もしかしてさぁ、ホワイト先生にこのクッキーあげたことある?」
予想外の質問に、一瞬だけ視線が揺れる。
「あ、うん。でも何か月も前のことだよ?」
「あー、やっぱり? ……そっかそっか〜」
ひとりでこちらを探るように見て、勝手に納得しているレイくんの視線に、なんだか困ってしまう。
「うわ、なんだよレイ。ニヤついちゃって」
「うっせーな!……前に補修で魔法技術室に呼ばれたわけよ。だいたい行くと紅茶飲んでるんだけどさ、一回だけクッキー食べてたことがあって。
『めずらしいっすね』って言ったら、『ああ。これは紅茶とよく合うんだ』って笑ってたんだよ。……なんか、妙に印象に残ったっていうか」
「確かにそれは印象に残るかもな。お菓子とか食べるイメージなかったわ」
(美味しかったって言ってくれたのは、社交辞令じゃなかったんだ……)
お世辞を言う人じゃないのは知っていたけど、第三者の口から聞くと、なおさら耳の奥が熱くなる。
心の中で、小さな種がそっと芽を出したような気がした。
「ふふ、そうだったんだね。教えてくれてありがと」
窓に目を向けると、いつの間にか空は暗くなり始めていた。
沈みかけの夕陽が海を飛び越え、地面を赤く染めていく。
たぶん今日も、昨日みたいによく眠れるだろう。
でも──今日はきっと一段と輝くであろう一番星を、眺めてから眠りにつこうと思った。
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