第14話 光と葉の温室

スタジアムを出て、さっき通って来た道のりを歩く。人の賑わいは途切れず、笑い声でたくさんだ。


「見たいところはあるか?」


ヘンリーさんに話しかけられるけど、周りの声で少し聞こえづらい。


「……え?なんですか?」


聞き返すとため息をつかれ、立ち止まるヘンリーさん。そこに近づいて歩くから自然と距離が近くなって拳ひとつぶん空いているかわからないくらいだ。


「見たいところは、あるか?」


「ああ!できるなら植物園のほうに行ってみたいです!薬草研究部?のやってるポーションを見てみたくて!」


「そうか。じゃあ、植物園に向かうぞ。」


校舎内を抜けた奥に植物園はあるようで、ヘンリーさんと並んで歩きながら、途中の教室や廊下のことも少しずつ案内してもらう。

校舎に入ってからの方が、生徒の姿が増えた気がする。文化祭ということもあって、外を出歩くより校舎内に集まっているのかもしれない。


「ヘンリー先生!こんにちは〜!」


「ねぇ、先生!私たちとも後で回ってよぉ!」


制服姿の生徒たちが、明るく声をかけてくる。目の前の教師が人気者であることは、一目瞭然だった。


「……俺はいま客人の相手で忙しい。学生は学生同士で楽しめ」


「え〜、冷たーい」


「いいよ、行こ」


あっさり引き下がった生徒たちは、笑いながら廊下の奥へと消えていった。

……なんという塩対応。まあ、ヘンリーさんらしいといえばらしいし、ここで置いていかれたら困るなと思っていたところに──


「──うそ、彼女いたの?」


「ていうか私、今日話しかけるつもりだったのにショック……」


背後から、ヒソヒソとした小さな声がいくつも届く。聞こうとしなくても耳に入ってくるようなボリュームで、思わずうつむきたくなった。


何を言われているかは全部は分からないが、ヘンリーさんが“人気”なことだけは、よく分かる。……こういうのは、やっぱり苦手だ。


「ヘンリーさん、人気ですね。疲れたりしませんか?イケメンは大変だ」


なるべく軽いトーンで言ってみたつもりだった。


「フン。相手にするわけないだろう。

……あくまで俺は“教師”だ。アイツらを躾ける義務がある。もしアイツらに至らないところがあれば……俺の責任だからな」


ぶっきらぼうな口調に聞こえるけど、言葉の端々に、生徒たちへの責任感や真剣さが滲んでいる。


「ヘンリーさんって実はかなり面倒見いいですよね。わたしが倒れてた時も救急車呼んでくれたって聞いたし」


思ったことをそのまま口にすると、彼は少しだけ肩をすくめて、


「普通だろ」


とだけ返してきた。


(……そういう”普通”がなかなかできない人もいるっていうのに)


「そういうことさらっと言っちゃうんだからなぁ。日本人にはなかなかいないタイプですよ」


「日本……?お前がいた国のことか?」


「あっ、はい。すみません、無意識に言ってました」


うっかり出てしまった“日本”という言葉に、自分でも少し驚いた。もうだいぶこちらの世界に慣れてきたつもりだったのに、根っこの部分はやっぱり簡単には消えないものらしい。


「いや、謝ることじゃない。元々そこにいたなら、自然だろう」


その言葉は、あくまで淡々としていた。でも、不思議と胸にあたたかさが残る。


「……そっかぁ。ありがとうございます」


つい、ぽろっとこぼれてしまった本音だった。


「変なヤツだな。

止まってないで……早く来い。置いて行くぞ。」


その言葉にハッとして、私は彼の背中を追いかける。


校舎を抜けた先に、光を柔らかく弾く、丸みを帯びたガラスの建物が現れた。曇りガラスのため、中の様子は外からではうかがえない。


──キィッ。


ヘンリーさんのあとに続いて中へ入ると、ほんのりと暖かく、土の匂いがふわりと鼻をかすめた。

天井には、いくつもの水晶がゆるやかに浮かんでいる。

それらは太陽の光を受けて、ゆっくりと回転しながら色を変え、植物たちに光を降らせていた。


赤やオレンジの果実がところどころで色鮮やかに実り、緑の葉が風に応えるようにきらめいている。

まるで、時間とともに移ろう光そのものが、植物園の“呼吸”のように感じられた。


遠近感が狂うほど大きな葉が茂る一角や、宙に浮いたまま根を伸ばす植物もある。まるで、夢の中に迷い込んだようだ。


色とりどりに変化していく光は、どこか──揺れ動く心にそっと寄り添ってくれるようで。

気づけば、心がふわっと浮き上がっていた。


園内には、幼稚園くらいの小さな子たちの姿が多くて少し驚いたけれど、それもそのはず。生物部と自然研究会が合同で、“植物観察ツアー”を開いているらしい。

この植物園には、普通の草花だけでなく、魔力で成長する“魔法植物”も多く育っているという。


わたしがどうしても見たかったのは、薬草研究会によるポーション展示だ。

それは、温室の奥にある薬草実験小屋に併設されているらしく、そこへ向かう途中、観察ツアーの様子を眺めていると──


「喋る草」や「睡眠誘導花」など、つい立ち止まってしまうような魅力的な解説がされていた。

ツアーの締めには“幻の花”を探すミニクエストも用意されているようで、それなら子どもたちに人気なのも納得だ。


「お前が見たかったのはここだな」


そう言って、ヘンリーさんは先に中へ入っていった。


わたしも続いて足を踏み入れると、そこには薬草が詰め込まれたガラス瓶がずらりと並んでいた。

棚には成功した薬の展示だけでなく、失敗作と思われるサンプルも置かれている。


成功している薬は、どれも液体状のものばかりで、わたしが思い浮かべるようなタブレットやカプセル型の薬はほとんど見当たらない。

“薬”といえば、病気を治すためのもの。

それが当たり前だったわたしにとって、この世界の薬の概念はまるで別物だった。


もちろん、ゲームで見たポーションも回復アイテムとして登場していたけれど──

対象者と入れ替わる薬に、動物に変身する薬、水中で呼吸ができる薬……。


考えたこともなかったような用途に、思わず感心してしまった。


「どうだ?」


「“病気を治す”以外にも、薬ってこんなに色々あるんですね……びっくりしました」


「“日本”では、病気を治す薬しかないのか?」


「うーん、さすがにそれだけってわけじゃないと思いますけど……。でも、やっぱり“健康”に関するものが中心ですね。病気とか、その予防とか」


「へぇ。魔法がないと、こうも違うもんか……。

……そういや、お前はなんでここに来たかったんだ?」


「ん〜……なんでしょうね。

こっちに来る前は、医療関係の仕事だったんです。だから、興味が出ちゃったって感じで」


そう言って肩をすくめる。


「ふむ。魔法医術士とか、魔法看護士……そういう類か?」


棚のガラス瓶を見やりながら、ヘンリーさんが問いかけてくる。

その口調は淡々としていたけれど、少しだけ目の色が変わった気がした。


「もしかしたら似ているかもしれません。」


「そうか。俺も詳しくはないが、医術士の補助をしたり、患者の世話をする職業だったと思う」


「じゃあ、ほぼ同じです。わたし、日本では魔法なしの“看護師”やってました」


言いながら、自分でちょっと可笑しくなる。

“魔法なしの”なんて、わざわざつける必要ないのに。


「……変な言い方だな。日本には魔法がないんだろ?

じゃあ、“魔法が使えない”って、わざわざ言う必要あるのか?」


「こっちは魔法が当たり前だから、つい出ちゃうんですよ」


苦笑いを浮かべながら答えると、ヘンリーさんはそれ以上突っ込まずに黙る。

その間に、わたしはふと、彼の横顔を見ながら前から気になっていたことを口にしてみた。


「……そういえば、ヘンリーさんはどうして教師に?」


彼の肩が、ほんのわずかに動いた。


「……教師だった親を見てたせいだろうな」


思っていたよりもあっさりと返ってきた言葉に、少し驚く。


「えっ、意外。なりたくてなったのかと勝手に思ってました」


「進路なんて、最初は案外そんなもんだと思うがな」


「それはわかります。でも、好きだから続けているんじゃないんですか?」


問いかけながらも、どこか自分の気持ちを探るような感覚があった。

わたしも看護師を続けていた理由──あれは、なんだったんだろう。


「……続いてるのは、俺が頑固だからだろう。

投げ出すのが嫌いなんだ、子どもの頃から」


静かに落ちたその声には、芯の強さがにじんでいた。背を向けたままの彼の姿は、不器用なだけの人じゃない。

この人には──どんな過去があるんだろう。


そんなことすぐにわかるはずなんてない……のに。

──知りたいって思うのは、何でかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る