第12話 スカイブルーに微炭酸

空を見上げると、北のほうへ向かって、何本もの箒がちらほらと飛んでいくのが見えた。

その姿は鳥のようで、でもどこか軽やかで、夢のようにも思えた。


(……いいなぁ)


空を飛ぶって、どんな感じなんだろう。風は冷たいのかな、気持ちいいのかな。

バランスを取るのは難しい?──そんな風に思いを巡らせる自分がいることに気づいて、少しだけ驚いた。


ピエモンテに来てから見た景色は、どれもこれも、自分がいた世界とはまるで違う。

でも、たぶんそれは、羨ましいと思えるくらいに、輝いていたからかもしれない。


──キィッ。


タイヤがアスファルトを擦る音とともに、一台のバスが目の前で止まる。

「ステラ・フォルトゥナ・アカデミー行き」と掲げられた表示が、太陽の光に反射して白く輝いた。


ピエモンテに来てから、バスに乗るのはこれがはじめてだ。

運転手に先にお金を渡し、ぎこちない動きで上段の席に腰を下ろす。


山に向かって登っていくバスの右手には、時おり森や集落が見えた。

左の窓の外には、青くひらけた海。

その鮮やかさが、目に染みるほどまぶしくて、思わず瞬きを繰り返した。


(……こんなに遠いのに、毎日通ってるなんて、みんな偉いなぁ。

ヘンリーさんも箒で出勤してたりするのかな? でも、箒を持ってるの、見たことないし……)


ガタン、とバスが揺れて思考が途切れる。

揺れに身をまかせながら、車窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめた。



ガクン、と首が跳ねるように揺れて、目が覚めた。どうやら、うとうとしてしまっていたらしい。思わず口もとに手をやって、濡れていないか確かめる。


(……よかった、よだれ出てない)


まだ頭はぼんやりしてるけれど、だらしない姿だけは見られたくない。なんとか思考を働かせようとしても、意識の奥にはまだ薄いモヤがかかっていた。


──キィッ。


「ステラ・フォルトゥナ・アカデミー前〜、終点でーす」


車内アナウンスが流れた瞬間、さっきまでの眠気が嘘みたいに吹き飛んだ。

ミアは慌てて荷物を手に取り、足元を確認しながらバスを降りる。


すでに降車口の前には、文化祭を楽しみ終えたお客さんたちが列を作っていた。中には、お土産袋を手に笑い合いながら帰っていく人たちの姿もある。


(……ほんとに、人気のイベントなんだなぁ)


目の前には、大きなロートアイアンの門。開かれたその奥にはすぐに校舎があるわけではなく、しばらく続く道が見える。

左手には運動場のような広いスペース。右手には、少し先に階段があり、その向こうにいくつか建物が並んでいた。


(……うん、これは確かに広い。ちゃんと連絡取らないと、絶対会えないやつだ)


ヘンリーさんに連絡を入れる。


⦅こんにちは!

無事にアカデミーに着きました!きっとお忙しいと思うので、ぷらぷら見てまわっています。

お時間あるときにお返事いただけたら嬉しいです。⦆


よし、と小さく呟いて送信を終えると、顔を上げて校舎の方へと足を向けた。


少し歩いた先で、パンフレットを配っている生徒がいたので一部もらう。どうやら、このまま道なりに進めば「キャラバン・スタンド」という露店エリアに出るらしい。


さらに、左手に見えていた運動場のほうでは、いくつかの部活が模擬試合をしているようだった。


(“アエリア”? あ、あれか)


前に図書館で読んだ雑誌に載っていた、この世界で人気のスポーツだ。

飛行魔法や箒で空を舞いながら、魔力で形成した“スフィア”を相手のゴールに入れるという競技。しかもこのスフィア、触れるたびに火から風、風から水と属性が変化するというから驚きだ。


確か、六人一組で試合をするんだったはず。


(さすが、魔法のある世界は少し違うなぁ)


そのときの驚きが蘇ってきて、胸の奥がふわりと高鳴った。


──ブー、ブー、ブー。


ポケットの中でスマホが震える。画面を覗くと、ヘンリーさんからの返信だった。


⦅わかった。申し訳ない。

いま生徒の研究発表を確認していてな。

抜けられそうにないから、1時間ほど待たせてしまいそうだ。好きに見てまわっていてくれ。⦆


(……ヘンリーさんって、ちゃんと先生なんだ)


疑っていたわけじゃないけれど、想像よりも“教師っぽい”文面にちょっと驚く。そのギャップが妙に嬉しくて、少しだけ得した気分になった。


⦅お疲れさまです!

キャラバン・スタンドをこれから見に行く予定です。

そのあと、運動場でやっているアエリアも観に行ってみようと思っています!⦆


すぐに返信が返ってきた。


⦅そうか。なら都合がいい。

アエリア部の顧問だから、あとで行くところだった。スタンドで試合でも観ていてくれ。⦆


⦅そうなんですね!

では、スタンドでゆっくり試合を観ながら待っています。よろしくお願いします!⦆


返信を終えたあと、そのまま露店の並ぶエリアへと歩き出す。

食べ物系に体験系と、並ぶ屋台はバリエーション豊か。魔法でふわふわと宙に浮かぶ綿飴は、箒型のスティックに刺して提供されていて、どこか“映え”を狙ったデザインらしい。

買った女の子たちが夢中で写真を撮っている姿が、とても可愛らしかった。


──だけど、なによりも驚いたのはその一角。


(……たこ焼き!?)


思わず小さく声が漏れてしまう。

まさかこの世界でも“たこ焼き”が存在するなんて。

看板には火を吹くドラゴンの絵、その上に「ブレイズソース」と書かれていて、どうやら辛口らしい。

上には赤いソースがたっぷりとかかっていて……。


(……辛いの、じゃなかったら、久しぶりに食べたかったな)


少し残念な気持ちで屋台から目を逸らした。

その先には、魔力入りのエフェクトがキラキラと輝く──まるで魔石のようなレジンアクセサリーを作れる工房風の露店があった。

さらにその隣では、好きなチャームや布を選んで、自分だけの“ミニホウキ”を作れる体験コーナー。

小さな子どもに教えるように、優しげな女の子たちが声をかけながら作業を手伝っている。


(やっぱり、魔法のある世界で箒って欠かせないんだなぁ……)


わたしも作ってみたかったけれど、気がつけばもう20分くらい経っていたので、今回は諦めることにした。


そして、その少し先にあったのは――


「フローズン・マナソーダ」

魔法抽出の炭酸ドリンクで、見た目も味も変化するらしい。


(これなら飲みながらアエリアの試合、観られそう)


「すみません。フローズン・マナソーダをひとつください」


「はーいっ!」


元気な声とともに、店員の女の子がパイナップルと氷、炭酸を混ぜてドリンクを仕上げていく。

ステアされた飲み物は、透明なソーダ──絵に描いてあった“マナのきらめき”みたいな色とは、ちょっと違った。


そこに、隣で様子を見ていた男の子が声をかけてくる。


「ねぇねぇ、おねーさん。好きな飲み物ってなに?」


「えっ……なんだろ。ジンジャーエールかな?」


「じゃあ、ちょっと待ってて!いくよ〜?」


男の子は指先をドリンクへと向けた。


「オーバー・シフト!」


ぱっと色が変わる。

ドリンクが淡い水色へと変化し、中のパイナップルがより鮮やかに映えた。


「わっ、すごい!」


「ふふっ。飲んでみて?」


差し出されたカップに口をつける。


「……え、ジンジャーエールだ!?」


「でしょでしょ?おねーさん、魔力ぜんぜん感じなかったからさ〜、味変えるのやってみたの!」


「えっ、魔力があるかどうかって分かるんですか?」


「なんとな〜くだけどね!

でも、そうやって喜んでもらえるの、なんか新鮮!」


「ありがとう!おいしくいただきます!」


しっかりと魔法に触れたのは、これがはじめてだった。

シュワシュワと弾けるマナソーダの炭酸が喉をなでていく感覚が、驚くほどはっきりと分かる。気持ちもどこかふわふわとして、運動場へ向かう足が自然と浮き立っていた。


飲み干してしまわないように、マナソーダをちびちびと口に運びながら進む。

やがて目の前に現れた運動場は、とても大きくて──まるで本格的なスタジアムのようだった。サッカーや野球の試合でもできそうな広さに、自然と目を見張る。


観客席にはすでに何人か腰を下ろしていて、中央には空中に浮かぶゴールや、飛行用のマーカーのようなものがいくつも設置されている。


(……あれが、アエリアのフィールド、なんだ)


空中には、淡く光るスフィアがいくつも漂っている。

手のひらほどの球体が風に乗り、ふわふわと舞いながら、くるくると軌道を描いているのが見えた。

まるで空間全体が、“試合の始まり”を静かに待っているようだった。


わたしも観客席に腰を下ろし、フィールドを見つめる。


やがて、コートの両端から選手たちが現れた。

箒に乗った生徒たちが、六人ずつ編隊を組んで入場してくる。


──ピーッ!


開始の笛が鳴り響くと同時に、選手たちは一斉に飛び出した。

“スフィア”と呼ばれる魔力球──属性が変化する不思議なボールが、空中を自由に舞っている。

さっき見た雑誌に書いてあった通り、魔法のエネルギーで囲まれたその球体は、キラキラと光って美しい。


ひとりの生徒が相手チームからの妨害魔法を防御魔法で弾く。

続いて、赤く光ったスフィアに触れた別の生徒が、水の魔法を用いて味方へとパスを出す。


「決めろ、レイ!」


(……レイ?)


ざわめく観客席の中、聞こえた名前に思わず目を凝らす。

パスを受けた生徒が、青く光るスフィアを風のように操り──華麗な弧を描いて、ゴールへと放った。


「……っしゃあ!」


キャメル色の外ハネの髪の毛──あの子だ。

そう思った瞬間、目が合った気がして息をのむ。

けれど彼は、へらっと笑って、こちらに向かって手を振ってきた。


その後ろから、チームメイトがレイくんの頭をぽんっと小突く。


「あだっ!!」


「こら、集中しろ」


「へーい」


熱気の中、笑い声と風の音が混じっていた。

マナソーダの甘さだけが、ほんの少し、舌の上に残っていた。

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