第42話 福と新しい家族
「およそ生後一ヶ月か二ヶ月くらいか・・
まずは動物病院だな」
眼鏡に手を当て、子猫を覗く秀夫。
「秀一、日曜も診療している近くの動物病院を探してくれ。
あとでケージや餌も買いに行かないとな」
春の小雨が降る日曜日。
秀一が拾ってきた子猫の処置を
父の秀夫が家族に伝えている。
「わかった。瑛里、ちょっとこの子持ってて」
こくりと頷いた瑛里が両手を差し出すと、
子猫はその手に優しく乗せられた。
小刻みに体を震わせて鳴く子猫。
瑛里の手には少しの重みと体温が伝わる。
「何か入れるものも必要だな・・・
物置に不要な段ボール箱があるから取ってこよう、
少し待っていなさい」
スマホで動物病院を検索する秀一に声をかけ、
秀夫は玄関を出て行く。
「・・この子、濡れてて可哀想・・
お母さん、タオルでこの子の体、拭いてもいい?」
手の上で鳴く子猫を母へ見せる瑛里。
子猫と娘を冷ややかな目で見下ろす佐智恵。
「駄目よ。うちには猫を拭くタオルはないわ」
温度のない母の返答に、
瑛里は黙って目を伏せるしかなかった。
「持ってきたぞ、これに入れよう」
玄関を開け、秀夫が入ってくる。
手に持つ段ボール箱は
所々ガムテープで簡易的に止められており、
口を開けている。
「瑛里、猫を貸しなさい」
瑛里が両手を差し出すと、
秀夫は子猫の首を片手でつまみ上げ
段ボールの口に放り入れた。
蓋が手早く閉じられた後も
子猫の弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
「お父さん、見つかったよ、
日曜にやってる動物病院」
スマホの画面を秀夫に向ける秀一。
「ふむ・・隣町か、さほど遠くはないな。
秀一、一緒に来なさい、
佐智恵と瑛里は留守番を頼む」
「わかった。じゃ、行ってくるね」
母と妹に声をかけ、秀一は父に続き玄関を出て行く。
瑛里は静かになった家に母と二人残された。
かすかに雨の音が聞こえる玄関の中。
家の前を走る町の自動車が
路面の水たまりを勢いよく跳ねていく。
瑛里はふと、湿り気の残る両手を
無意識に服で拭った。
「やめなさい。みっともない」
尖った矢のような佐智恵の声が飛び、
びくりと体を硬直させる瑛里。
上目遣いに映る母の目は、
重い冷淡の色を眼鏡の奥に宿らせていた。
瑛里はその色を、
今でもはっきりと覚えている。
秀一が子猫を拾ってから数日。
二階の部屋には猫用ケージや猫用トイレ、
餌皿などがきちんと設置され、
動物病院で健康診断を受けた子猫は
白石家の新しい家族として迎えられていた。
「こいつの名前さ、色々考えたけど・・
鼻の周りが黒いから『ハナクロ』にしよう」
「ハナクロ? 面白い名前~!」
子猫用の餌を食べるハナクロを
挟んで見守る秀一と瑛里。
「ハナクロ~、 早く名前覚えてね」
こうして瑛里は、
秀一の部屋で過ごす事が次第に多くなる。
反対に佐智恵は猫のにおいが不快だと言い、
息子の部屋に入る事は一切なくなった。
秀夫も時折り部屋を覗くが、
ハナクロを触る事はない。
ペットを迎え入れた事で子供たちがどう変化するのか、
父の興味はそれだけに向いているようだった。
佐智恵が部屋に入らなくなる事で、
秀一はこっそり漫画の単行本を集め出す。
母がくだらないと嫌う漫画本は
それまで白石家に置かれる事は一切なかった。
「お兄ちゃん、この漫画、面白いね」
「だろ? 主人公の設定が良いんだよな。
他の登場人物も個性豊かだしさ」
「うん、私、このキャラが好き!」
「はは、そのキャラ最高だよな!」
秀一の部屋に明るい笑い声が弾む。
兄の影響で瑛里もまた漫画に夢中になっていく。
ふたりの兄妹は、
共にハナクロの世話をし、遊び、
猫と一緒に過ごす日々を笑顔で送っていた。
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