男を支える恋はダメですか? 女尊・腕力逆転世界で見つけた未来のオレ様英雄

つくもいつき

第1話~第2話




◇(1/6) 勘当される私◇




「ミルク。あなたは勘当よ」



 母の低く澄んだ声が、黒檀の長テーブルを滑って私の耳に届く。

 母は私と同じ褐色肌で黒髪であるが、性格は真逆。いつも忙しなく動き回り、私に厳しい言葉を投げかける。

 のんびりさんな私は、たったいま放たれた言葉を理解するのにも時間がかかった。


 

 背筋を伸ばして聞いていたから、ドレスの胸紐がきつい。

 聞き間違いだろうか? 息苦しさから、私は自分が幻聴げんちょうを聞いたかもしれないと疑う。



「……へ?」



 喉もからからで、口から情けない音が漏れる。

 室内飼いのオウムの鳴き声が、急に大きく聞こえた気がする。

 母は深緋こきあけのドレスを纏い、未だ鋭いまなざしを私に差し向け続けている。




「聞こえなかったのかしら? 女で十五歳にもなってレベル1。十二歳の妹のカウはもうレベル2に上がっているのに。ダンジョンに潜っても、あなたはまだ一匹もモンスターを倒せていない。まるで男みたいに料理と裁縫にかまけて屋敷に引きこもる──もう我慢の限界よ。軟弱者はバレンタイン家にいらないの。せめてもの手切れ金は用意したから、午前中に荷物まとめて出てきなさい。──でなければ」



「……で、でなければ?」



 舌が張り付いて、言葉が引っかかる。襟のレースが呼気で震える。

 一拍だけ目を伏せる。

 恐る恐る視線を再び上げると、母はすでに獰猛な笑みを顔にたたえていた。



「”殺すわ”」



「し、失礼しましたぁ!」



 私は勢いよく立ち上がった。長い黒髪が併せて揺れ、椅子脚がきしんだ音を立てる。裾を踏みそうになって慌てて摘み上げると、ペチコートの層がしゃらりと鳴った。形ばかりの会釈が、逃げ腰の前置きになる。耳の奥で自分の鼓動は高鳴り続ける。



 私──ミルク・バレンタインこと小岩井渚はきっと、不幸な転生者なのだと思う。

 だってそうじゃない? 

 異世界転生ものの悪役令嬢として生まれたわけでもないのに、十五歳を迎えた日にこうやって勘当されるはずないもの。私の誕生パーティどこ?



 私は、当主の間を走って出た。

 殺意を持った母親の前で、泣きわめかないという分別は、さすがの私も持ち合わせていた。




◇(2/6) 未来のオレ様英雄と出会う私◇




 多くの女冒険者とサポーターの男性がダンジョンを出入りしているのを、私は少し離れた場所で眺める。



 岩を穿った門が、灼けた鍋みたいに口を開けている。

 入り口の内側から低い唸りが風に乗って聞こえてくる。

 岩のダンジョンと呼ばれる低レベル冒険者向けダンジョンに、私はこれから挑もうとしている。



 私は首から下の装備を改めて見直す。

 持ち出しのスケイルアーマーと、ラウンドシールド。

 こんな重装備を身に着けても、飛び跳ねたりできるのだから、この世界の女性の体はすさまじい。



 このゲームみたいな世界に転生してから計四回目のダンジョン攻略。

 ひとりだと初だ。

 今まではお付きの従者たちと挑んだものの、前世の倫理観が邪魔して私は剣が振れなかった。

 そのせいでいまに至るんだから、笑えない。



 なんでこんな『女性が前衛で戦う』ような世界に転生しちゃったんだろう、と嘆く。

 弱音は言えない立場なのに、おのずとこぼれた。



「ええと、装備は……」



 震える指で腰の〈魔法の携帯袋〉の紐を開く。

 収納魔法で見た目以上に拡張された袋の中を覗き、もやの向こうから飴玉を一つつまみ上げた。



「……」



 かれこれ一時間、私は同じことを繰り返している。

 本当は武器を手に取ってダンジョンへ向かわなきゃいけないのに、心は背きたがっている。



「……無理だよぉ、私には──」



 怖い怖い怖い。

 勘当された元侯爵家のレベル1令嬢と組むようなおバカさんはいないし、私から声をかける勇気もない。

 見下されて、否定されるのが怖い。

 同じブロンズランクの冒険者たちに蔑まれるのは目に見えている。



 いっそ市井で仕事を探したほうがいいのだろう。

 家からゴールドランク相当の装備は持ち出せた。だから冒険者のほうがまだ勝算があると──思っていた。



 飴玉を片手に、私は腰を下ろす。

 岩を穿った門の前で、掲示の紙片がはためくのをぼんやり眺めた。



『女神教より告示──“レベルが下がらない男子”は保護・収容の対象とする』



「……?」



 チラシを見つめている間に、ふと右手に重みが増す。

 視線を落とすと、薄汚れた骨ばった指先が、私の飴玉に触れていた。



 私の影で、布切れみたいな上着が小さく揺れた。

 少年が、ひび割れた唇を舌で舐めとる。

 血の気のない白い手の甲に、細い傷跡が浮いていた。

 ぼさぼさの長い土まみれの髪の間から、瞳が覗く。薄い灰の中に、炭火みたいな橙が一点、かすかに灯っている。



「ひゃぁあっ!?」



 私は慌てて飛びのいた。

 お尻を打って痛みで眉をひそめたけれど、それどころじゃなかった。



 私の手の内から浮いた飴玉は、白く骨ばった指先に収まった。

 彼は透明な光沢のあるそれをまじまじと見た後、口の中に放った。

 がりがりと音を立てる。

 舐めるじゃなくて──食べていた。



「ちょ、ちょっとぉ。食べ方違う……」



「……うまい」



 そう言って彼は手を差し出してきた。

 よくよく見ると反対側の手に、彼は錆びたナイフを握り締めていた。

 刃に残る赤茶けた斑点の向こうで、指は細く、爪の間に黒い土が詰まっている。



 ……追剥かなんかなのだろう。

 怖くなって、私は袋の中に手を伸ばす。飴玉を三粒取り出した。

 柑橘の皮を削ったような香りに、遠いところでシナモンの辛さがほんの少し混じる。



 この飴玉は私の自家製。

 屋敷に居た時に、前世でよく食べていた飴を懐かしがって再現したものだ。

 蜂蜜色に澄んだ小さな球の芯に、髪の毛ほどの緋が一本、炎の舌のように細く通っている。薄く散らした金箔が日差しを拾って、砂粒みたいにきらりと瞬いた──屋敷ではこの配色を『焔の宮廷』と呼んでいた。


 

 彼は私の右手のひらから素早く飴を奪い取ると、全部口に入れた。

 またしても歯を使って咀嚼している。



 ひとしきり味わい終わると、彼はナイフを刃先が地面を向くよう握り直した。

 脅す気はないの合図だ。

 もう一度、手を差し出してくる。



「うまい」



「も、もうないんだけど……」



「……お前の、手作りか?」



 私は恐る恐るうなずく。

 なんとなく、左手に持つ盾はこの少年の前では意味をなさない気がした。

 歳は妹と一緒で十二歳ほどだろうか? 男の子だというのに、鋭い刃のような青みがかったまなざしを彼は私に向ける。



「女。オレは、もう一度これを食べたいが作れるか?」



「い、今は難しいよ。設備もないし……」



「設備? 設備があれば、作れるのか?」



「まあ、そうだけど……。そ、それよりいったん、落ち着いたところで話さない?」



「?」



 ここはダンジョンの入り口付近。

 冒険者ギルドの職員と思しき女性警備員が、私たちを不審な目で見ていた。

 中には足を止めて様子をうかがう冒険者たちの姿も。



 私は立ち上がる。

 右手を差し出し、彼の細い手首をつかんだ。



 彼の背丈は百五十八センチある私と同程度。

 目線の位置は一致した。

 彼の手を引いて、私は岩のダンジョンを後にする。 



 これが私と”未来の英雄”ダークとの出会いだった。



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