八月には椿の花をへの応援コメント
戦争が残す爪痕の深さ。
そして奪ったものの大きさ。
サカエさんは、そして椿さんのお母さんはどんな思いでそのあとの人生を過ごしてきたのかと思うと胸が痛くなります。
椿さん、本当に素晴らしい方ですね。
そういうひとが無差別に命を奪われる戦争の罪深さ。
タイトルも、ラストの一文も非常に印象的でした。
篠崎さん、ありがとうございました。
作者からの返信
未来屋さん
あたたかいコメントありがとうございます!
過酷な状況下でも椿さんのような慈悲深い人はいる。けれど戦争を始めるのもまた人であって、戦争は人間の残酷さを感じさせますね。
タイトルを回収するラストにしたかったので、褒めていただきとても嬉しいです!
八月には椿の花をへの応援コメント
認知症は死さえも忘れさせる沈痛剤として機能する役割を持っていると私自身は考えています。
生活にあるあらゆる痛みを忘れさせると同時に、人間としての習慣も忘れさせ、人を無の方向に導く作用を持っている非情な病。
しかし、そんな病でも戦争の記憶は消え去らない。人生に刻み込まれた恩人の記憶は、良くも悪くも消えることなく、苦しみと温もりを与えてくる。
サカエさんは自分の生に申し訳なさを抱いて、椿さんとともに生きていたのでしょう。そこには常に「生きていて良いのか」という疑念が付きまとっていたはずです。
ですが、その疑念も最期の最期に主人公が肯定してくれたことによって解消されたのだと思います。当時を何も知らない人、家族と無関係な人、そういう人が自らの生を肯定してくれたことがサカエさんにとって痛ましい記憶を慰める薬になったのではないでしょうか。
鎮魂と生の肯定、戦争の傷を八十年と言う時を経て描き切った作品でした。
素敵な物語をありがとうございました。
作者からの返信
鍋谷葵さん
あたたかいコメントありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありません。
鍋谷葵さんは認知症への理解度がとても高いのですね。「沈痛剤」という言葉には「なるほど…」と思いました。
「トイレに行くことを忘れるくらい」認知症が進んでる方でも
「当時のことは鮮明に覚えている」という対比で、
戦争の悲惨さや爪痕などを伝えたかったので、それが伝わってよかったと思っています。
コメントの通り、誰にも言えなかったこと、後悔したこと、辛かったこと、背負い込んでいたものが肯定されたことで、ようやっとサカエさんの人生が救われたんだと思っています。
作品を深く読み取って頂き、こちらこそありがとうございました。
八月には椿の花をへの応援コメント
お邪魔します。
忘れてはいけない、忘れられない、大事なお話を読ませていただきました。
ありがとうございます。
私の両親も戦争経験者で、それなりに辛い思いをしたはずですが、特に何も語らずに逝ってしまいました。
父は鉱山技師だったらしく招集免除があったそうなのですが、それでもいよいよ訓練と称して北海道に呼ばれ、口にできるものはウジの湧いたタラばかり。野菜不足で壊血病にもなって大変だったそうです。そのせいか、私の記憶にある限り実家でタラが食卓に上ることはなく野菜が切れることもありませんでした。
政治家とかなんで戦争をしたがるのでしょうね?
命よりもお金が大事なんでしょうか?
作者からの返信
@to-sanka-3さん
コメントありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありません。
お父様は(もちろんお母様もですが)、とても大変な経験をされましたね。
いくら食べ物が無い時代でも、ウジの湧いたタラを食べるのは辛いですね…。
年配の方が言う「(もっと)食べなさい」だとか「もったいない」という言葉には、そういった背景も含まれていることがあるのかもしれません。
政治家が戦争をしたがるのかは私もよく分からないです…。
お金は世を豊かにするのかもしれませんが、命を絶対守ってくれるかというと、そうではないと思います。
平和な世で、飢える心配をすることもなく過ごせている日々を噛みしめていきたいですね。
八月には椿の花をへの応援コメント
コメント失礼致します。
私の祖母は百歳を越え、認知症の症状も進んでいるのですが、子供の頃のこと、終戦の頃の事はしっかり覚えているのかしっかり話してくれました。
どちらかといえば苦しいというより、「そんな事もあったけれど生きてこられた」というような話し方をしますが、聞くほどに、生きているという事は当たり前ではないと感じます。
作中のサカエさんは、自分が生かされるだけの価値があったのかと自問しながらも、生かされた生命を感じながら最期まで生き抜いたのだろうなと感じました。
読ませて頂き、ありがとうございました。
作者からの返信
幸まるさん
返信が遅くなり申し訳ありません。
この作品を深いところまで読み取って頂き、大変うれしいです。
コメント、レビュー共にありがとうございます。
「そんな事もあったけれど生きてこられた」という
おばあさまの言葉には、長い人生の重みを感じさせられます。
「生きる・生きてきた」というのは当たり前でもなく、簡単なことでもありませんよね。
語ることが出来なかった人々の命を繋いで「今」があるのだと、幸まるさんのコメントを読んで改めて気づかされました。
これまでも、これからも、平和な世界で生きている尊さを大切にしたいですね。
八月には椿の花をへの応援コメント
認知症の症状を、感情論や精神論と一緒くたにしてはいけないと分かりつつ……。きっと、消せない記憶であり、大切なものだったのではないかと思います。
多くの認知症の人が、最近のことから忘れていく。
しかし、多くの場合、子供の頃の記憶というのは不思議と色濃く覚えていて、実際患者の方も幼少期のことを話す人が多いそうです。
記憶部分の違い。そう言ってしまえばそのとおりなのでしょうが、
なんとなく、大人になってから覚えたことは、経済的価値はあっても人間の尊厳にとってはあまり重要ではないことのほうが多いのではないかという気がしてしまいますね。
人間の脳は不思議なもので、忘れるという機能を有しています。それと同時に、思い出すという機能も。
人間が認知症になることを、「幸せに忘れていく」という表現で表すのがあまり好きではないのですが、一方で記憶に苛まれて精神をすり減らすことが多いのも事実です。
この人は、死の前に荷物を下ろすことができたのでしょうか。
そんな事を、今思います。
作者からの返信
天川さん
あたたかいコメントありがとうございます。
幼少期の、そして彼女にとって強烈な出来事だったからこそ記憶に残っていたのかもしれません。
「死の前に荷物を下ろす」
その通りですね……。
自分のせいで誰かが死んでしまったことは、生きていく中で心残りだったんだと思います。
娘さんのような近しい人にではなく、小森くんに言ったのは「自分はそういう人間だ(他人を犠牲にして生きてしまった人間)」という後ろめたさがどこかにあったのかもしれません。
誰が悪いというわけではないけれど、誰かに知ってもらって、けれど責められることもなく、安心して逝けたのだと思っています。
八月には椿の花をへの応援コメント
篠崎 時博さま
こんにちは。
子供のころの懐かしい思い出がこのように苛烈なものであるのは悲しいことですね。生涯忘れることのできなかった椿さんとの出来事。同様に、自分は人の命を押しのけてまで生きるような人間だったのかという忸怩たる思い。それがサカエさんの心には何よりも深く刻みこまれていたのですね。自分の生の是非を問わねばならないような状況に誰かを陥らせることは、それが戦争であろうとそれ以外の原因であろうと、極力起きないでもらいたいと強く感じます。
作者からの返信
佐藤さん
返信が遅れてしまい、すみません。
作品を丁寧に読み取って頂きとても嬉しいです。
「自分の生の是非を問わねばならないような状況に誰かを陥らせることは、それが戦争であろうとそれ以外の原因であろうと、極力起きないでもらいたい」
本当にその通りですよね。
この作品では空襲による犠牲でしたが、当時は食糧難による栄養失調なども多かったと聞きます。
戦争でも、戦争でなくとも(貧しさ故に)そのような状況が起こってはならないと思いますし、起こらないようにしなくてはならないのだと思っています。
戦争を体験してきた方の中には、決して明るみにはならない・出来なかった多くの出来事があるのだと思っています。
少しの知識と想像でしか、それらを表現することができないのが悔しいところですが、深く感じとって頂けたことに感謝します。
八月には椿の花をへの応援コメント
読ませていただきました
戦争のテーマと
認知症のおばあちゃんが描いた
夏の花ではない椿の絵
忘れていたのかと思ったら
その椿は防空壕で聞こえた名前でもあるということでリンクする部分がありますね
戦争は本当に二度もあってはいけない
忘れてはいけないものですよね
とても素晴らしい作品でした
ありがとうございました((* ´ ` )* . .))
作者からの返信
もちっぱちさん
あたたかいコメントありがとうございます!
認知症の方でも、昔の記憶(幼少期の記憶)って覚えていたりするなぁ、と思って書きました。
彼女にとってはきっと強烈な夏の日の出来事。それはトラウマに近いようなものでもあると思います。
戦争はあってはならないですね、本当に。
八月には椿の花をへの応援コメント
夏で椿なのが面白いと思いました。
前作の「夏を知らない僕たちは」の時も感じたんですけど、そもそも伝統的な「夏」のイメージが偏見でしかないっていう、常識への疑問や、テーマ自体を壊すようなアプローチが面白かったです。
人によって何が夏なのかって違うと思うし、ご老人が椿だなんていうと、夏にこそ咲かない花だよ(品種によってはあるとしても)と言われるかも知れないけど、年の功の知識って想像を超えるところから降ってくることもある。戦争こそが夏なんですよね。
「ふと思ってしまう。私は誰かから助けられるほどの人だったのかって。」この一文がすごく突き刺さりました。生き残ることは運だった。
頭ごなしに「これはこう!」って決めつけてしまわないで、どうして椿なの?って聞くようなおおらかな世界ならば、争い事も減っていくのかも知れませんね
素晴らしい物語ありがとうございました。
作者からの返信
こちらの作品も読んでくださり、ありがとうございます!
犀川様の企画では皆さま「夏」の捉え方がそれぞれでとても面白いなぁと感じてました。
今回私が選んだ「夏」は「戦争」が主とした内容ですが、タイトルの「椿」は夏の花ではないですし、「戦争の話だ」というのもピンときにくいものだったので、どういう印象を受けるのか正直不安でした。けれどこうしてあずまさんはじめ、いろんな方にしっかりと読み取ってもらえてとても嬉しいです!
話は少し逸れてしまいましたが、(作品でも書いてはいますが、)八月という月は至る所で「戦争」の話を聞くことが多い月だと思っています。けれど体験を語る人がそれなりにいる中で、ずっと言えないでいる人も確かにいて、そういう人にスポットを当てた作品に仕上げてみました。
「戦争」にいろんな想いを感じていても「経験したくはない」と多くの人が思えるような世の中になればいいし、なってほしいなあと思っています。
「決めつけ」がなく、互いが互いを認めて、思いやることが出来たら、争い事も減りそうですね。その考え、すごく大事だと思います^_^
長文にはなってしまいましたが、深く考えながら読んでいただいてとても嬉しかったです!