広間から退出した信行は、その日のうちに家臣や土田御前と共に末森城へ入ったという知らせが届いた。

　

　そこに弟が籠もったということは、ただの拗ねや駄々ではなく、明確な対抗の意思を示すものにほかならない。

　信行が頼みとする勝家も手強いが、勝家一人の力でどうにかできるものではないのでそこまで焦る必要はないだろうが尾張が割れている状況は早めに何とかしなければいけない。

　考えを巡らせていた折、またも困った報せが飛び込んできた。

「鳴海城の山口教継が今川義元に城ごと寝返りました！」

　報告に広間はざわめいた。

　

　鳴海城は南に位置し、尾張と三河、駿河を結ぶ要衝にある。そこを失えば、今川の勢力が尾張に雪崩れ込むのは時間の問題であり、そこを拠点として今川家の侵略が始まれば桶狭間の前に負けてしまう可能性も考えられ早急な奪還が必要だ。

　俺は深く息を吸い込み、居並ぶ家臣たちを見渡す。

　利家と成政は刀の柄に手をやり。恒興は冷静に俺を見つめ、盛信、政秀は既に戦の算段を考えている様子だった。

　――なんて頼もしい家臣を得たんだ。

　俺は焦りや恐れなどの様子を見せない家臣たちにそう思いながら口を開いた。

「鳴海城に向けて進軍するぞ、俺に遅れるな！」

　そして俺はこの世界線で試みた利家たちのような者や庶民の中でも適正のある者を選抜した部隊を率いて進軍した。

　ただ、それだけで兵をそろえようとすれば莫大な銭がかかり、織田家の財政が持ない。だから俺が用意できたのは五百人ほどで、数としては決して多くはない。

　だが、この尾張の中で五百の常備兵を維持している大名はまずいないだろう。

　俺や利家たちと一緒に、日々訓練を重ね、武器の扱いから行軍、陣形の転換まで仕込んできた職業軍人である。

　そのため、農繁期に兵をかき集める必要もなく出立の号令ひとつで全員がすぐに整列した。

　

　行軍速度も従来の織田軍とは比べ物にならず、足並みも揃い、隊列は一糸の乱れもない。

　おかげで、鳴海城の山口教継が今川方の援軍を迎え入れるよりも先に俺の軍勢は鳴海の城下へと到達することができた。

　ひとまず陣を敷き、城を包囲する準備を進めていた時のことだ。

　俺たちの早い行軍に籠城の準備を整える暇もなく、兵糧の運び込みも不十分なまま包囲されるのを嫌ったのだろう。城門が開き、土煙を巻き上げながら山口教継自らが率いる800の兵が討って出てきた。

　――籠城されるよりも野戦に引きずり出せたのは幸運だ。兵数ではこちらが負けているが兵の質はこちらが勝っている。

「よし、望むところだ！　皆の者、恐れるな！　鍛え上げた力を見せてやれ！」

　軍扇を振りかざし、号令を下すと同時に利家と成政の部隊が中央へ躍り出た。

　戦場は一気に土煙と怒号に包まれた。

　利家は先陣を切り、血気盛んに叫ぶ。

「死にたくねぇ奴は道を開けろ！　前田利家が通るぞ！」

　槍を振るい、敵兵を次々と薙ぎ倒して突き進む。周囲の兵が気圧されるほどの猛攻だった。

　そこへ敵陣から一人、名乗りをあげる者がいた。

　「我こそは小野右衛門、小僧ごときに遅れを取るものか！」

　その小野右衛門と名乗りをあげた男は猛攻を見せる利家に臆する様子を見せなかっただけあり、武勇に自信があるようで馬を駆ると手にした大槍を突き出し、利家へ迫る。

　だが利家は怯まなかった。

　「面白ぇ！　受けて立つぞ！」

　火花を散らす槍の打ち合い。数合渡り合うが、利家は鍛え抜かれた腕力で敵槍を弾き飛ばすと、がら空きになった右衛門の胸へ必殺の一撃を叩き込んだ。

　右衛門は呻き声を上げ、落馬したところをすぐに首を刎ねた。

　利家はその首を掲げ、咆哮する。

　「小野右衛門の首、この前田利家が討ち取ったぞォ！」

　その雄叫びに味方の士気は大いに鼓舞された。

　一方、同じく利家と中央を攻める成政も奮戦していた。

　「利家ばかりに手柄は渡さん！」

　利家が敵将を討ち取ったことを聞き、対抗心を燃やす成政は敵の騎馬武者を見つけるや、迷わず槍を構えて突進した。

　

「む、我と一騎打ちか。木村権兵衛相手をいたす」

　そう敵が名乗ると両者の馬が激突し、槍がぶつかる。成政は体勢を崩しかけるが、咄嗟に手綱を締め、馬の首を思い切り捻った。敵の槍を外へ逸らしざま、渾身の突きを繰り出す。

　槍先が源八郎の喉を貫き、鮮血が飛び散った。　源八郎は鞍から転げ落ち、そのまま動かなくなった。

　成政は馬上で大声を上げた。

　

「木村権兵衛、成政が討ち取った！」

　利家と成政が相次いで敵将を斬り伏せたことで、織田軍の勢いはさらに加速していった。

　そして、将を二人も失った教継の軍は浮き足立ち、鳴海城に急ぎ戻ろうとする。

　信盛がそうはさせまいと真っ先に手勢を率いて駆け込む。

「者ども、敵の背を突け！　織田の力を見せてやるのだ！」

　必死に鳴海城へ戻ろうとする教継の兵を信盛の隊が側面から叩きつけた。既に将を二人も失った兵たちは抵抗らしい抵抗もできず、雪崩を打って崩れていく。

　利家と成政も後から迫り、槍を振るって逃げ惑う敵兵を片端から薙ぎ倒す。やがて織田兵は乱れる敵をそのまま押し込み、城門へとなだれ込んだ。

　急ぎ帰還した兵が門を閉じる間もなく、信盛隊が三の丸、二の丸と突破。さらに利家、成政が続き、最後には俺が本隊を率いて乗り込む。

　「もはやこれまでか……！」

　教継は必死に指揮を取ろうとしたが、すでに兵は戦意を失い、次々と武具を投げ捨てて逃げ出した。

　織田の旗が鳴海城の天守に掲げられるのに、そう時間はかからなかった。こうして、鳴海城は一日のうちに奪還され俺の手に戻ったのである。

　――

　小野某と木村某は作者が適当に名前をつけた武将なので実在していないということを後書きに書いておきます。