英雄と草刈り

 町に入った瞬間、空気がざわめいた。


 「ほら、あの人だ」「戦争を止めた英雄様だってよ」――そんなひそひそ声が、通りのあちこちで聞こえる。




 フィオナはその中心に立つアランの背中を見て、ため息をついた。


 英雄、ね。あの時、あたしは本気で死を覚悟してたんだけど――。


 もちろん戦が止まったのは事実だ。だが原因はアランの計算でも戦略でもなく、ただの天然暴走だ。


 それでも人は物語を求めるもので、真実よりも都合のいい伝説のほうが早く広まる。




 「アラン様、急ぎましょう。変に囲まれる前に」


 「なぜだ? 称賛を受けるのは悪いことではないだろう」


 「……悪いことにはならないかもしれませんけど、面倒にはなります」




 そして二人がたどり着いたのは――町外れの畑だった。


 英雄の仕事が、畑の草刈りである。


 報酬はわずかだが、宿代と食費を稼ぐには十分だ。




 アランは鎌を手に取り、不思議そうに雑草を見下ろす。


 「フィオナ、これは本当に刈ってしまってよいのか?」


 「もちろんです。これは――植物型の小型モンスターです」


 「ほう!」


 途端にアランの目が輝く。危険を前にしても退かないその性格は、こんな無害な雑草相手にも変わらない。




 カシャン、カシャンと鎌の音が響く。


 夏の陽射しに汗がにじみ、アランの額からも雫が落ちた。


 その姿を見て、フィオナはふと胸がちくりとした。




 この土地は、もともとアランの実家の領地だった。


 今は没落し、農民に貸し出されているが、かつては誇り高き領主の庭だった場所だ。


 そんな土地で黙々と草を刈るアラン――。


 哀愁と、どこか不思議な気高さが同居している背中だった。




 (……本当に、この人はただの変人なんだろうか)


 フィオナは、ここ最近の出来事を思い返す。


 あの戦争を止めた偶然の勇姿。


 看病してくれた夜の、意外なほど優しい手つき。


 誰にでも分け隔てなく与える、純粋で愚直な優しさ。




 (もしかして……本当の英雄になれる資格、あるのかも)


 そんな考えがふと心に浮かび、フィオナは慌てて頭を振った。


 ――いやいや、何を考えてるの、あたしは。




 だが、アランはそんな彼女の葛藤など露知らず、草刈りの手を止めて遠くを見ていた。


 視線の先には、風に回る大きな風車があった。


 それは、何度も「魔王の城だ!」と言い張って挑んできた、あの風車だ。




 アランの目が、ほんのわずかに鋭くなった。


 「……フィオナ。見えるか?」


 「え……何がです?」


 「やはり、あの風車――以前とは違う気配がする」




 フィオナは、嫌な予感に背筋を冷やした。


 英雄と呼ばれる男の次の暴走は、もうすぐ始まろうとしていた。

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