財布と誓い

 昼下がりの市場は、香辛料の匂いと商人たちの呼び声で満ちていた。


 フィオナは、袋から小銭を一枚ずつ慎重に数え、必要な食材だけを買っていく。


 その横で、アランは籠を抱えた老婆に声をかけられ、すぐさま銀貨を一枚、いや二枚、手渡していた。




「ちょっと、ご主人様! 何してるんですか!」


「困っていたのだ。助けてあげねば」


「もう……」


 ため息をつきながらも、老婆が笑顔で頭を下げて去っていくのを見て、フィオナは責めきれなかった。




 ――あの日のことを思い出す。




 父に呼び出されたのは、冬の終わりの冷たい朝だった。


「お前に頼みがある」


「またお使いですか?」


「違う。アラン様の……付き人をしてほしい」


 突然の申し出に目を丸くした。父は続ける。


「ありゃあ命知らずだが、根っからの善人だ。財布の紐も心の紐もゆるゆるでな……放っておけば、身代も命もすぐ無くす」


 苦笑しながらも、父の声には深い信頼と敬意があった。


「だから、お前が見てやれ。あの人を正しく生かすために」




 それからの日々は予想以上に慌ただしかった。


 金貨を抱えて孤児院に駆け込み、負傷した兵士に薬代を渡し、旅先では宿代まで知らない旅人に出してしまう。


 そのたびにフィオナは財布を奪い返し、支払いを立て直し、頭を抱えた。




 けれど――。




 誰かが泣いていれば、必ず立ち止まる。


 誰かが困っていれば、必ず手を伸ばす。


 その純粋さは、滑稽で、危なっかしくて……でも、温かい。


 気づけば、自分もそれに絆されていた。




「……ほら、もう一銭もあげちゃ駄目ですからね」


「わかっている」


 と言いつつ、アランは市場の片隅で迷子になって泣く子どもに膝をつき、笑顔で話しかけていた。


 フィオナは呆れながらも、その姿を目で追ってしまう。




 財布の管理人であり、監視役であり……そして、誰よりもその背中を信じてしまっている自分がいることを、認めざるを得なかった。

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