第四話

 この合宿に引率している教師らは全部で六名。

 女子バスケ部の顧問は青木葉子先生。二年の数学教科担任も務めていたため、ボクも週四で授業を受けている。縁の無いレンズだけのメガネを掛けていて、背は低く、ちょっとだけインテリ系。いつも静かでまあまあ綺麗な、というか可愛い女性。いつもはスンっとしていても、たまに優しく笑いかけて来ることがあるから、そのギャップにボクは好感を持っている先生だ。


 あとはブラスバンドの顧問、男性教師が一名、名前はよく知らないから仮名でモブ先生としておこう。そして軽音の顧問は男性教師が二名で、定年を控えたベテラン教師の蛇田太志へびた ふとしと、もう一人は先の参加式で怒鳴りまくっていた野生のゴリラだ。

 違う。ゴリ岩こと岩戸先生だ。


 続いて世界史の教師で、元医療従事者という経験と資格を有する岡野めぐみ先生だ。今は教師としてうちの学校で職務に就いているが、実家は北海道で大きな病院を経営する、おっとりお嬢様系の美人教師だ。受け持つクラブはないが、医療経験者とのことから、今回の夏合宿には医務担当として帯同することになったらしい。


 そして最後はうちの幽霊列車の顧問、狐澤きつねさわゆき子教師。もちろん女性で、すごく可愛い狐だ。

 違う。可愛い系の女子だ。


 昨年の春、東京の女子教育大を卒業してうちの高校にUターンして来た新任教師。まだ女子高生でも十分通じる容姿だ。

 ショートボブの髪がサラサラで、黒髪だけど光の加減で青く見える時があって、いつも青系のカッターシャツやワンピースを着ている。他の男子生徒からの人気の高さは計測不能域に達しているのは当然だろう。

 そして彼女の好みは、焼き鳥はタレよりも塩が好きで、いわしは頭から内臓まで全部食べられるし、美味しい物を食べると決まって「この蒼き海に囲まれた日本列島の中で一番美味しいよ」とキメ台詞ぜりふを放ち、ボクの反応を待つように顔を近づけて覗き込んで来る。

 ビールは苦いからという理由で全然飲めないけど、梅酒のお湯割りが大好き。

 でもすぐに酔ってしまって、いつもボクにダル絡みして来るので、嫌がっているフリはしているけど、実はそれも好き。

 「猫を見るとさ、可愛いぃ〜って言う女子って、極めて馬鹿そうだよね。私ね、ああいうモフモフ系の女子が好かんのよぉね。近くに居たら、ほっぺたとかギューーってツネってやりたいくらいだよ」が口癖だが、自分でも猫を見るたびに「かわゆいのぉー、君は自分がかわゆいってコトを知っとるんかい?」を連発していることを全然気が付いていないところも、好き。

 バイクのことを単車と呼んだり、国民的クッキーはムーンライトよりマリーが好きだったり、ソフトドリンクは柑橘系が大好きで、特にオレンジジュースやパイナップルジュースには目がない。

 でも飲むと毎回喉元を両手で抑えて「柑橘系はね、喉を通過する時にイガイガするんだよね。まるで栗とかウニを飲んでるみたいなんだよ。それとさ、飲んだらすぐに首筋が痒くなったり、背中に赤いポツポツが出来るんだよね。なんでこんなモンを商品化してるんだろう。商品開発者に会ったら製造の意図を訊いて見たいよ…」と顔をしかめながら言う。だったら飲むのを止めたら?と訊くと、

「でもその喉を通過する時のイガイガがたまらんのよぉー」とケラケラと笑う。このやりとりは、ボクらの間でもう何度も繰り返している定番のルーティンだが、実はこれも好き。

 それで彼女は実を言うとー、

「あー、ストップ、ストップ。私の個人情報公開Timeはいつまで続くのー?」と、ボクの言葉を慌てて制したのは、当のご本人狐澤ゆき子だった。


「うわっ驚いたー。いつからそこに居たの?」

「さっきからずっと居たよー。ロク君遅いなーって思ってたら、本堂の裏の方から声がボソボソと聞こえて来てー」


「あれ今の声って漏れてた?」

「うんうん。漏れてた」ふふふっと微笑む。


「聞いてたの?」

「聞いてたよ」うんうんと楽しそうに何度も頷く。

「どっ、どこから?」

「どこからってー、えーっとだからー、焼き鳥は塩が好きでー、ってそのあたりからかな」

「あー後半の方ね。ふー、よかった」

「よかった。ってなん?前半でなんかやましいこと言ってたの?」

「や、なにも言ってないよ」

「あやしー。すっごくあやしー。でもそっか、でもダル絡み好きだったんだ。嫌がってるのかと思ってたよ。安心してね、アレ、これからもやめないから」彼女は楽しそうにヘヘっと笑った。


 そう。ボクは教師である狐澤ゆき子には敬語を使わないことになっていた。

 それはボクから言い出したことではなく、「一応私は教師だしロク君は生徒なんだから、学校とかみんながいる前では絶対に敬語だからね。そこはほら節度ね」

「はあい」

「でも誰もいない所では敬語じゃなくて、今まで通り、普通のー、なんて言うのー」

「タメ口」

「そうそれ」

 去年の春、ボクがこの高校に入学した際、彼女も同じタイミングで新任の教師としてこの学校にやって来た。

 

 それは数年ぶりの再会だった。

 

 元々は幼馴染のお姉さんでご近所さんだったし、小さい頃からずっと仲良しだったから敬語なんか使っていなかった。

 久しぶりに再会して急によそよそしくデスマス調で話すのも変だから、ボクも彼女もそれで良いだろうと思っていた。

 当時はゆき子さんとかゆき子お姉さんと呼んでいたが、今は学校でみんなが呼んでいる“コンちゃん”に合わせている。

 狐澤という苗字から想定された“コンちゃん”というアダ名は、大学時代から始まっていたらしい。


「ところで話って何」

夏合宿が始まった初日の夜、時刻は消灯時刻を過ぎた二十三時。

ボクはコンちゃんから、寝室を抜け出してこっそりとお寺の本堂に来て欲しいと呼び出されていた。


「話というかー、不可解な事件が起きたの。それでー、」彼女はヒソヒソと耳元で話してくれたが、静まり返った本堂と張り詰めた空気がボクらの小さな声でさえも、シンシンと響いていて誰かに聞かれているように感じた。


「その前に、もう消灯時刻をとっくに過ぎてるよ。これって規律違反なんじゃないの?引率の先生がさーこんな消灯時刻を過ぎた時間に男子生徒をコソコソと呼び出してさあー」

「あれれー、ロク君、参加式の注意事項の説明聞いてなかったのー?消灯後もね、トイレとか補水とかの理由があれば部屋から抜け出しても良いんだよお」ふふーんと意地悪そうな目でボクを覗き込む。


「ああーそうですか。はいはい。ならばボクはトイレの用もないし、水も飲みたくないから部屋に帰るね。おやすみなさーい。センセっ」意地悪を返すような目で彼女を見やり、自分の部屋に戻る素振りを見せて背中を向けた。

「またまたーロクくーん。そんなー、つれないでゴザルよー」


「はい。つれなくないでゴザルです。おやすみでゴザル」後ろを向いたまま、つまらなそうな演技をしてそっけなく答えた。

「だからー、すねてないで、聞いて欲しいことがあるの。事件なのよ事件」彼女の声が真剣なトーンに変わり、ボクの手を後ろからキュッと握る。


「……」

「事件なんだけど、気にならないの?」


「…はい。気になりました」

「でしょー」


「で、何があったの?さっき先生らがバタバタと騒がしかったみたいだったけど」ボクも真剣なトーンに切り替えて、彼女からの次の言葉を待った。

「今から一時間ほど前なんだけどね、こんなメールが来たの」彼女は自分のスマホを開いて見せてくれた。



件  名:緊急事態。規律違反者発生

本  文:教師に告ぐ、至急女子浴室に集合せよ

送 信 者:不明(差出人名なし)

送信日時:7月3日21時54分18秒



月明かりだけが窓からうっすらと差し込んでいた真っ暗い本堂に、彼女が開いたスマホの光がボクらをコッソリと照らした。


彼女の横顔が視界の真ん中に入る。距離が近い。

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