悪友と通学路
翌日、ふらふらとした足取りで通学路を歩いていると、「おっす」と背中をはたかれた。
「……」
その声に聞き覚えはあったが俺は無視することに決めた。理由は虫の居所がわるいから。
「おい、そんな堂々とした無視があるか」
つまらないダジャレに内心ほくそえんでいると、そいつは俺の前にまわりこんできた。ワックスで整えられた短髪が、初夏の風になびいている。
朝からうっとうしいノリで俺の寝不足の神経を逆なでするのは、クラスメイトの
「どちらさまですか?」
「ええっ!? 朝からヘヴィーなボケかましてくんなよ」
「あいにく、あなたみたいな日焼けヤローは僕の知り合いにはいないので」
「ああこれ。いやー、人間って六月でもこんなまっ黒になるもんなんだな。先週風呂入ったときやばかったよ。皮膚痛すぎて水でシャワーあびたもん」
こいつめ。聞いてもいないことをぺらぺらと。
上野智晴。高校入学時からの腐れ縁で、俺の唯一のオタク友だちだった男。
だったというのは文字通り、現在ではそうじゃないという意味だ。こいつと友だちだったのはむかしの話……というより今月初旬、十日前までの話だ。
上野と俺は絶交状態にある。理由は簡潔にして明快。やつが彼女を作るという禁忌をおかしたから。
高校一年の冬。俺は上野と約束を交わした。
『おたがいに彼女を作ったら絶交する』
それはリア充に対するありがちな僻みや劣等感からではなく、たがいの友情を強固なものにするための取り決めだった。いわば男と男の約束。
決してクラスのグループチャットで、俺らだけ打ち上げに誘われなかったからじゃない。その日上野と行ったファミレスで、メロンソーダがやたらと苦かったのはなにかの間違いだ。
そんな約束を、やつは今月の三連休に反故にした。
「秋友―、俺カノジョできちゃったよ。ごめんなー」
お相手は上野と同じ美術部員。無理やり写真を見せられたが、ふつうに可愛い。日焼けしたのも、その三連休で彼女といっしょに川遊びに行ったからだそうだ。以前は俺と同じ色白オタクだったのに、今では健康的な小麦オタクになっている。
「で、どうしたんだよ。そんな辛気くさい顔して。ガチャで爆死でもしたか」
上野がとなりに並んでくる。このままいっしょに登校する気らしい。
「ガチャ運はふつうだ。爆死なら誰かさんがしてくれないかなぁとは思ってるけど」
「リア充爆発しろ的な?」
「自覚があるなら話しかけないでくれますか?」
「わかった、わるかったって、約束破って。もう許してくれよ~」
すがるように腰にまとわりついてくる。なにが悲しくてこんな蒸し暑い日に男に抱きつかれなくちゃならないんだ。俺は上野を引きはがすと、ハンカチで首元の汗をぬぐった。
「まあ、秋友も意地はってないでたまには女子と話してみたらどうだ? えらそうに言うつもりはないけど、彼女ってけっこういいもんだぞ」
「そういうもんかね」
「ああ! 毎日の生活にハリが出るっていうか、単純に嬉しいだろ。自分のこと好きでいてくれる人がいるっていうのは。この前なんかお弁当作ってきてくれてさ。言ったつもりもないのに俺が好きなおかずばっかり入ってんの。うちの母ちゃんに事前にリサーチしてくれたみたいで、そういう健気なところまじ萌え──」
「……」
俺のジト目に気づいたか、上野はごほんと咳ばらいをする。朝から他人ののろけ話を聞かされるくらいなら、百匹の蝉とルームシェアしたほうがましだ。
「秋友は誰か気になる子とかいないのか?」
一瞬、昨日の女の子の顔が浮かんだ。黒縁めがねの奥に覗くきれいな瞳。全体的に野暮ったい印象のなか、その瞳の凛とした輝きが妙に鮮明に残っている。
そういえばあのとき、彼女はなんで俺を見て驚いたりしたんだろう。どこかで会ったことがあるのか? いまいち記憶にない。
まあいいや。あれこれ考えたところでどうしようもない。彼女にとって俺はもはや正義のヒーローではなく、ただの痛々しいオタクだ。よりにもよってエロさ全開の水着イラストだったのが運のつき。正直もう顔を合わせづらい。
校門をくぐると、より生徒の密度が濃くなった。青々と葉をしげらせた桜の樹が、そよそよと風に揺れている。朝練を終えた野球部が、汗だくになった顔を水道の水で濡らしていた。
夏だな、と漫然と思った。
「いいよ、俺にはそういうのは向いてない」
目の前を歩くカップルを見ながら、自嘲気味にこぼす。
「そっか」
上野が眉尻をさげる。なんとなく同情をしているような、そんな顔だった。
「でも秋友だって去年は会長のこと──」
「その話はするな」
ぴしゃりと言い放つ。
上野はやれやれと肩をすくめただけだった。
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