クレーマーから店員の女の子を助けたら、学園の三大女神に気に入られた

雨乃からす

ラブコメの神様はクレーマーだった……?


 毎週水曜、夜の八時。それは俺にとって至福の時間だ。

 この時間になると、俺は決まってこの本屋にやってくる。曜日と時刻が決まっているのは、単純にこの時間帯が一番都合がいいから。

 

 自分で言うのもなんだが、俺はそこらの高校生よりもはるかに忙しいと思う。父親はほぼ毎日残業で帰りが遅いし、母親にいたってはそもそも日本にいない。

 そんな両親にかわって、幼い妹の面倒を見るのは俺の仕事だ。

 日々の宿題や生徒会業務に加え、保育園の迎えに夕飯の支度。そういった諸々が介入しない唯一の時間、それが毎週水曜、夜八時のゴールデンタイムというわけだ。

 

「お、あったあった」


 俺が手にしたのは一冊のラノベ。

 今日発売の『陰キャぼっちの俺がハーレムラブコメの主人公になるなんて』略して『ぼちコメ』の最新刊。

 表紙には四人のメインヒロインの水着姿が描かれている。ビキニにパレオにスクール水着。各ヒロインの個性に合った素晴らしいチョイスだ。

 帯には「夏が弾ける! ドキドキ水着回!」と煽り文句が書いてある。最高のキャッチフレーズだと思う。考えた人には敬意を表したい。


 さらに特典として、表紙のイラストカードがつくとある。今日この店にきたのもそれが目的だ。なんなら、限定タペストリーとドラマCDがつく特装版を一月前から予約済み。


 俺は表紙を開かずに本を棚に戻す。

 今夜はラノベを肴にポテチとコーラをたしなむつもりだ。挿絵はそのときじっくり鑑賞するとしよう。どんなエロ可愛いヒロインたちと出会えるのか、今からわくわくが止まらない。

 

 期待に胸を膨らませていると、


「だからさあ! そういうことじゃないって言ってるだろ!」


 突如鳴り響く男の怒号に、俺の期待は吹き飛ばされた。

 なんだろうと思い、棚の影からこっそりとレジのほうを伺う。

 小太りの中年男性が、レジの女性につめよっているところだった。となりでは、めがねの気弱そうな店長がおろおろしながら頭を下げている。その平身低頭な姿勢につけあがったのか、男はカウンターに片腕をせり出すと、よりいっそう声を荒らげた。


「在庫があるって言ったのはそっちだろ。これだけ客を待たせておいて、やっぱり見当たりませんでしたってふざけてんのか?」

「も、申し訳」

「いいから早く用意しろよ。ここにないんだったら、今からほかの店舗まわってくるなりすればいいだろうが」

「それはさすがに……」

「あんたらが在庫あるって言うから、俺は平日のこんな時間になるまでずっと待ってたんだよ。ただでさえ仕事終わりで疲れてるってのに冗談じゃねえぞ!」

 

 なんて横暴な客だ。いや、こんなのは客でもなんでもない。ただの悪質なクレーマー。

 時折ニュースで話題になるカスハラ現場みたいな光景だった。映像越しではないリアルな生々しさが無加工で伝わってくる。


「なんだよ、あのおっさん」


 こぶしに力がこもる。

 俺はこの店が好きだ。自宅から徒歩十分にあるこの店は、幼いころから俺の遊び場だった。中学にあがってラノベにドハマりしてからは、毎週のように店に通った。それは高校二年になった今でも変わらない。店員さんもみんな親切だし、店長とはクラスメイト以外の他人で一番の顔なじみだ。


 だからこそ許せなかった。

 俺の大切な場所が、理不尽な暴力で踏みにじられようとしていることに。


「あ? なんだあるじゃねえか『スターゲイズ』。そこの棚のなかに」

 

 男がレジ後方の棚を指さして言う。


「こちらはほかのお客様のご予約ぶんになりますので……」

「いやいや、来ねえだろ、その客も。もう閉店なんだしそれ売ってくれ」

「そういうわけには……」


 スターゲイズ?

 はっとした俺は、いそいでラノベコーナーに戻った。

 平台の上。面陳された既刊本のなかに、あきらかに文庫本とはちがう大きさのマンガが一冊混じっている。


『スターゲイズ』


 ビンゴ。

 あいつの言っていたタイトルと同じ。背表紙を見ると、発売日には今日の日付が記されていた。六月十三日。店長も予約と言っていたし、あいつの希望はこの新刊で間違いないはず。


「なあおい、いい加減にしてくれや。ここにいねえ客より、目の前にいる客にちゃんと接客できなくてなにが客商売だよ。お宅んとこ、ただでさえ客少ないだろうに、そんなんでいいわけ? 店の評判落ちたら困るでしょ。ねえ、頼むよ」


 もはや本のことなんて関係ない、完全な脅迫。店の評判を盾に自分のフラストレーションを発散したいだけの卑劣なやりかた。

 閉店まで五分を切っているが、男が引き下がる様子はない。店長はすっかり委縮してしまっているし、女の子は嵐が過ぎるのを待つようにじっと顔をうつむけている。


「……ぐすっ」


 と、そこで誰かのすすり泣く声が聞こえた。

 店員の女の子だった。こらえきれず泣き出してしまったらしい。

 気づけば、俺の足は自然とレジへ向かっていた。


「泣くなよ、姉ちゃん。それじゃ俺が悪者みたいじゃねえか」

「うぅ……ごめん、なさ」 


 矛先を向けられ、女の子がびくりと身を震わせる。どうやら彼女は新人らしい。先週までは、五十代くらいのおばさんがレジをやっていた。


「謝るんだったら泣き止めよ。あんたバイトだよな。どこの高校だ?」

「この度は大変申し訳ありませんでした。こちらの本をお客様にお売りいたします。ですので今日のところはご容赦ください!」


 店長がかばうように、カウンターに一冊の本を置く。

 それを見た瞬間、俺のなかでなにかが弾けた。


「ちょっと待ってください!」


 思ったよりも強い声が出た。その場にいた全員が一斉に俺に振り向く。


「スターゲイズってこれのことですか?」


 手にした本をかかげる。みんなの視線が集中し、「あっ」という声が聞こえた。


「そうそれ! どこにあったんだい!? 探しても見つからなかったのに」


 驚く店長に、俺は店の後方を指さす。


「ラノベコーナーの既刊本にまぎれてました」


 男は口をぽかんと開けたまま、俺の持つマンガとラノベコーナーの方向に視線を往復させている。俺は男をにらみつけてから、一気呵成にまくしたてた。


「たぶん誰かが置いてったんでしょうね。元の場所に戻すのを忘れたのか、めんどくさくて放置したのか。どっちにしろ、これじゃ見つからないのも無理ないですね。だってそもそもんですから」


 しんとした静寂に包まれる。

 やがて状況を理解したのか、男は見るからにバツのわるそうな顔を浮かべ始めた。まさか自分以外にも客がいるとは思わなかったのだろう。どうやら多少の罪悪感はあるようだ。


「で、これ買うんですか?」


 あくまで冷静に。しかし咎めるような声色で、俺はマンガ本を差し出す。

 男は明らかに動揺した手つきで財布を取り出すと、そそくさと会計だけ済ませて、逃げるように店を出て行った。


「ったく」


 あれだけ偉そうな口たたいておいて謝罪の一つもなしかよ。まあ、逆上される可能性もあったわけだし、警察沙汰になるよりましか。ああいう大人にはならないようにしよう。


「ありがとう、宮内くん! きてくれてたんだね。いやー助かったよ」


 店長が感極まったように両手を合わせる。その様子を見て、やっと俺も肩の力が抜けた。


「全然いいですよ。警察呼ぶかどうか迷ったんですけど、あれで大丈夫でしたか?」

「もちろん! ごめんね。そういうのは本来僕がやらなくちゃいけないことなんだけど、頭がまっしろになっちゃって……」


 店長は申し訳なさそうにとなりを見る。

 女の子は暗い表情をしたまま、赤くなった目元を手でぬぐっていた。新品だったはずの黒いエプロンは、きつく握りしめたせいかしわが寄っている。

 

 まだ働き始めて日も浅いだろうに。見たところ、俺と同い年くらいか。黒髪黒目の黒縁めがね。ひと昔前のおさげスタイル。いかにも文学少女っぽい感じで、どう見ても自己主張が強いタイプには見えない。だからこそ、そこをつけ込まれたんだろう。ひどい話だ。


「これ、よかったら」

 

 あまりにも気の毒なので、俺は持っていたハンカチを差し出した。


「あ、ありがとうございます……えっ?」


 互いの視線が絡んだ瞬間、女の子はなぜか驚きの声をあげた。めがね越しにまばたきを繰り返す。

 一見すると地味な印象だが、よくよく見るとけっこう可愛い。これは数年後に化けるタイプだ。同窓会かなんかで、「こんな可愛い子うちのクラスにいたっけ?」となるタイプ。磨けば光る原石女子。

 そんな子がどういうわけか俺のことをじっと見てくる。わずかに上気した頬。熱のこもった視線。しばらく見つめ合っていたら、恥じらうように目をそらされた。おなかの前で組んだ手を、落ち着きなく動かしている。


 あれ、なにこの反応……?


「これ、いつ返せばいいですか?」


 女の子が見上げてくる。きれいな声だと思った。


「あー、いつでも……ていうかあげるよ、それ」

「いいんですか?」

「うん。商店街の福引で当たったやつだし。いらなかったら捨ててくれ」


 ハンカチはピンクの花柄模様。学校で使うのは抵抗があったしちょうどいい。


「いえ、持ってます。ずっと」


 なんだその意味深な言い回し。ご都合主義のラブコメみたいな展開に胸がざわつく。

 これはあれか? 助けてくれてありがとう! 今度お礼したいから連絡先教えてほしいなっていう王道パターン……。

 現実にラブコメの神様なんて存在しないと思っていた。今まで散々痛感させられてきたその信条が、今まさに揺らぎ始めている。


「宮内くん、今日はなにか買っていくかい?」


 店長に呼ばれ我に返る。そうだ。目的を忘れていた。


「はい。先月頼んだ本を受けとりにき──」


 言ったあとで気づく。しまった、やらかした!


「あれね。バッチリ入荷してるよ。ちょっと待っててね」

「ああいや。やっぱり今度に──」


 抵抗むなしく、俺と女の子のあいだに一冊の本が置かれた。


「『陰キャぼっちの俺がハーレムラブコメの主人公になるなんて』の特装版ね。限定タペストリーとドラマCDがついてくるやつ。あ、念のために本と名前の確認だけお願いね」


 さらけだされる、胸、尻、おへそ。

 ドキドキの水着回! のキャッチフレーズ。

 最低の文言だ。考えたやつはクビになるべき。


 俺は羞恥や諦めを通り越した死人のような顔で、自分の名前を復唱した。


宮内秋友みやうちあきとです。頼んだのもそれで合ってます」


 前言撤回。やっぱりラブコメの神様ってクソだわ。



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