働く車が好きな女の子と秘密の下着
きょうこ
本編
浦部美亜、小学三年生。ピンクのランドセルを背負い、いつものポニーテールを揺らしながら歩く姿は、どこからどう見てもごく普通の女の子だ。しかし、美亜には誰にも言えない、とっておきの「好き」があった。
美亜が心から愛してやまないもの。それは、フリルやリボンがたくさんの可愛い服でも、キラキラ光るおもちゃでもない。働く車だった。クレーン車が大きなアームを伸ばす姿、ショベルカーが力強く地面を掘り起こす音、ゴミ収集車がゴミを吸い込んでいく様子。どれもこれも、美亜の心をときめかせるものばかりだ。図鑑を眺めては、それぞれの車の名前や役割を暗記し、時には工事現場のフェンスの隙間から、食い入るように作業を見つめることもあった。
でも、この趣味を友達に話すことはできなかった。小さい時に言われたように、「女の子なのに変わってるね」「そんなの男の子の遊びだよ」と言われることが怖かった。普通女の子はピンクが好きで、スカートを履いて、お人形遊びをするもの——そんな世間のイメージが、美亜の口を固く閉ざさせた。だから、せめてもの抵抗として、美亜は誰にも見えないところでお気に入りの車たちを身につけていた。下着の引き出しには、可愛らしいキャラクターや花柄がプリントされたショーツに混じって、ミキサー車やブルドーザー、消防車がプリントされたブリーフがそっと隠されている。朝、こっそりと一枚を選び、働く車たちに守られているような気持ちで一日を始めるのだ。
梅雨明けが発表されたというのに、じめじめとした天気が続いていた。洗濯物がなかなか乾かず、美亜の心もどんよりとしていた。そして、最悪なことに今日は体育の日。朝、いつものように下着の引き出しを開けた美亜は、顔を青ざめさせた。女の子らしいショーツが、一枚もない。まだ乾いていないのだ。焦って奥を漁ると、一番下に、お気に入りのブリーフがあった。大好きなショベルカー柄のブリーフだ。
「うそでしょ…」
体育がある日に、これだけは避けたかったのに。仕方なく、美亜はショベルカーのブリーフをそっと身につけた。今日一日のテンションは、朝からだだ下がりだ。体育の時間が近づくにつれ、美亜の胃はキリキリと痛み始めた。「大丈夫、大丈夫。ささっと着替えれば誰も気づかないはず!」自分にそう言い聞かせ、更衣室に入ると、美亜は誰よりも早く体操服に着替えた。
なんとか無事に着替えを終え、体育の授業も滞りなく終わった。一安心したのも束の間、美亜の頭には次のミッションがよぎる。体育が終わった後の着替えだ。油断はできない。
授業が終わり、美亜は足早に更衣室へ向かい、再び誰よりも早く着替えるべく、ロッカーの前に陣取る。だが、美亜が体操服を脱ぎ始めた、その時だった。
「ねえ、美亜ちゃん、今日のパンツ、珍しいね?」
隣で着替えていた里香が、何気なく美亜の足元に視線を落とした。美亜はギクッとしたが、体操服の裾で隠れると信じ、慌てて体操服を引っ張り下ろす。
「え?あ、うん、別に…」
しかし、里香の目は、美亜のブリーフを捉えていた。ショベルカーの鮮やかなプリントが、体操服の隙間からちらりと見えている。
「あ、ショベルカーだ!これ、男の子のパンツじゃない?」
里香の声に、近くで着替えていた友達が何人か美亜の方を振り向いた。美亜の顔は、一瞬で真っ赤になる。里香の目が、驚きと、少しの戸惑いを含んで美亜のブリーフに向けられた。
「え…美亜ちゃん、それ…」
言葉に詰まる里香に、美亜の頭はフル回転した。何か、何か言い訳を…!
「あ、あのね!これ、弟の!雨で、洗濯物が全然乾かなくて、今日どうしても乾いてるのがなくって…。弟が、貸してあげるって…」
美亜は必死で説明した。里香は「へぇー、そうなんだ」と、まだ少し不思議そうな顔で頷いた。周りの友達も「大変だったね」と声をかけてくれた。なんとかこの場は乗り切った。しかし、心の中では、複雑な気持ちの美亜だった。
弟のブリーフを借りた、という言い訳でなんとか体育の着替えを乗り切った美亜だったが、心の中にはモヤモヤとした気持ちが残っていた。家に帰っても、そのモヤモヤは消えない。
「やっぱり、変なのかなぁ…」
働く車が好き。その気持ちは揺るぎない。油圧で力強く動くショベルカーや、巨大なアームを伸ばすクレーン車、整然と並んだダンプカーの列。どれもこれも、美亜の心を鷲掴みにする、最高に格好いい存在だ。でも、その「好き」は、どうしてこんなにも隠さなければならないのだろう。
周りの大人も、友達も、働く車が好きなのは「男の子みたい」だと言う。男の子たちは、休み時間には校庭でバカ騒ぎしたり、ゲームの話で盛り上がったり、ボール遊びに夢中になったりしている。美亜はそういうのはあまり好きじゃない。美亜が好きなのは、ただひたすらに働く車だけなのに。
嫌な考えを振り払うように、美亜は再び頭の中に働く車の姿を思い浮かべる。巨大なタイヤ、ごつごつとした車体、力強いエンジン音。ああ、やっぱり好きだ。こんなにも好きなのに、どうして好きなままでいちゃダメなんだろう。
「女の子用の働く車のパンツとか、ないのかな…」
ふと、そんな思いが頭をよぎった。フリルやリボンはついていなくてもいい。ピンクじゃなくてもいい。ただ、女の子でも堂々と履ける、働く車のショーツがあったなら。そうすれば、誰にも気兼ねなく、大好きな車たちに囲まれていられるのに。しかし、そんなショーツがどこにも売られていないことを、美亜は知っている。結局、また嫌な考えが美亜の心を支配し始める。自分の「好き」を隠し続けるしかないのだろうか。この秘密は、いつまで持ち続けなければならないのだろうか。美亜の心は、梅雨明けの空のように、どこかすっきりしないままだった。
次の日、担任の生天目(なばため)先生は、美亜が少し元気がないことに気づいていた。美亜の母から、美亜が「働く車」が好きだが、周りの目を気にして悩んでいるという相談を受けていたこともあり、先生は美亜を気にかけていたのだ。そんな折、里香から相談を受ける。美亜が男の子用の下着を着ていて、少し心配だったようだ。
先生は美亜を教室に呼び出し、美亜の目の前に座り、ふわりと微笑んだ。「美亜ちゃん、この前の体育の時、男の子の下着、履いてたんだってね。もう少し詳しく先生に話してみてくれないかな?」
美亜は一瞬ためらった。また、あの言い訳をするしかないだろうか。「あ、あの…洗濯物が乾かなくて…それで、弟の借りたんです…」ごにょごにょと、体育の日と同じ言い訳を口にする。
先生は全てお見通しだというような、優しい目で美亜を見つめた。「美亜ちゃん、本当は、乗り物が好きだったりしない?」
その言葉に、美亜はビクッと体を震わせた。心臓が大きく跳ねる。どうして、先生がそんなことを知っているんだろう。「そ、その、えっと…」しどろもどろになり、言葉に詰まる美亜に、先生の優しい声が続いた。
「好きなもの、人と違うからって我慢しないといけないなんてこと、ないからね。好きなものは好きでいいのよ。」
美亜は思わず顔を上げた。先生のまっすぐな瞳が、美亜の心を解きほぐしていくようだった。
「先生もね、実は新幹線が大好きだったのよ。ドクターイエローって言う、新幹線のお医者さんの新幹線があってね。とても大好きだったの。」先生はそう言って、少し懐かしそうに目を細めた。「でもそれで、たくさん苦労してきたわ。先生の時代は今と違って、女の子は女の子らしくって、本当に厳しかったのよ。だから、美亜ちゃんの気持ち、少しだけ分かる気がするわ。」
先生の意外な告白に、美亜の目は大きく見開かれた。「でも今は、そんなことない。美亜ちゃんが好きなら、好きって言っていいの。我慢することなんかないわ。」先生はそっと美亜の頭を撫でた。「次のホームルームで、お話ししてみよっか。もし、みんなに話すのが恥ずかかったり、怖かったりするなら、先生も一緒にいてあげる。大丈夫。」
その言葉は、美亜にとってまるで救いの光だった。長い間、心の奥底に閉じ込めていた「好き」を、こんなにも優しく受け入れてくれる人がいるなんて。「好きでいていいんだ…」美亜の心に、温かい光が差し込む。もしかしたら、憧れの、かっこいい乗り物の服だって、いつか着られるようになるのかもしれない。美亜の顔に、希望に満ちた明るい笑顔が浮かんだ。
美亜は先生に深々と頭を下げた。「ありがとうございます、先生!」そして、この後のホームルームで、みんなに自分の「好き」を話すことを決め、教室へと戻っていった。美亜の足取りは、いつになく軽やかだった。
ホームルームのチャイムが鳴り、少しざわついていた教室が静かになった。生天目先生が教卓の前に立ち、いつもの優しい笑顔で話し始める。
「みんな、今日は少し、大事な話があります。」
先生の言葉に、クラス全員の視線が集中する。先生は美亜の方を見て、優しくうなずいた。心臓はドキドキと鳴っているけれど、不思議と怖くはなかった。
「美亜ちゃん、前に。」
先生は美亜が前に立つと、まっすぐと生徒たちを見渡した。「美亜ちゃんはね、実は乗り物が好きなんだそうです。特に、働く車が大好きなんですって。」
教室に、わずかなざわめきが起こる。「え、美亜ちゃんが?」「女の子なのに?」といった声がどこからか聞こえる。しかし、先生は気にせず、優奈ちゃんを指名した。「じゃあ、優奈ちゃんは何が好き?」
指名された優奈ちゃんは、少し照れながら答える。「わたし、ケーキとかお菓子が好きです!」
先生はにこやかにうなずき、翔太くんを見た。「じゃあ、翔太くんは?」
翔太くんも笑顔で答える。「俺、アニメとかゲームが好きです!」
先生は、他にも一人一人訪ね、板書していく。みんなの答えに深くうなずいた。「そうですね。このように、好きなものは一人一人、ぜんぜん違うんです。同じアニメが好きだったとしても、違うキャラクターが好きだったりね?そして、何をどう好きになるかは、それぞれ自由なことなんです。」
先生の優しい声が、教室に響き渡る。「そして美亜ちゃんは、それがたまたま働く車だった。それだけのことなんです。」
先生は、美亜の方に視線を移し、再び生徒たちを見渡した。「人と違うからって、仲間外れにしたり、意地悪したりすることは、絶対にしないでください。みんなそれぞれ、好きなものがあって、それはとても素敵なことなんです。誰もが、自分の『好き』を大切にできるクラスにしていきましょう。」
先生の言葉に、クラスメイトたちは真剣な表情で耳を傾けていた。そして、一人、また一人と、納得したようにうなずき始める。
その時、一番後ろの席に座っていた男子の雄也が、はっきりと声を上げた。「俺、働く車、かっこいいと思う!ショベルカーとか、マジでヤバい!」
雄也は普段、あまり発言しないタイプだったので、クラス中が驚いた。それに続いて、女子からも温かい声が上がる。「うんうん、好きなものはそれぞれだもんね!」「美亜ちゃんの『好き』、私も応援するよ!」
教室は、じんわりと温かい空気に包まれていった。美亜は、前に立って、その光景をぼんやりと見ていた。優しい先生と、自分を理解してくれるクラスメイトたち。美亜の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。心の中にずっとあった重たい塊が、すうっと溶けていくような気がした。
それからというもの、美亜の毎日は、それまでとは全く違うものになった。
朝、学校へ行く支度をする美亜の姿は、以前とは見違えるようだった。引き出しから取り出すのは、大好きな働く車がプリントされたTシャツや、ショベルカーの刺繍が入ったズボン。足元には、かっこいい消防車の絵が描かれた靴下を履き、ドクターイエローのようなデザインの靴を履いた。ランドセルこそ、お母さんが選んだピンク色のままだったけれど、その脇には、キラリと光るショベルカーのキーホルダーが誇らしげに揺れている。
教室に入ると、友達はそんな美亜を当たり前のように迎え入れた。「今日の美亜ちゃんのTシャツ、かっこいいね!」「あ、新しいキーホルダーだ!」そんな声が上がるけれど、もう誰も「変だね」とか「男の子みたい」なんて言わない。むしろ、雄也や他の男子が「どんな車が好きなの?」と美亜に話しかけてくることも増えた。
美亜の顔には、もはや以前のような迷いや戸惑いは一切なかった。体育があっても、堂々と働く車のブリーフを履いていく。洗濯物が乾かなくて困ることも、もうない。
「私、将来、服屋さんになるんだ!」
美亜は心の中で、新しい夢を抱いていた。「そして女の子用の、働く車の服や下着を作るんだ!」
美亜の笑顔は、まるで淀み一つない水面のように澄み渡り、陽の光を浴びてキラキラと輝いているようだった。大好きな働く車に囲まれ、自分の「好き」を隠すことなく生きられるようになった美亜は、毎日が楽しくて仕方ない。小学三年生の美亜は、今、心からの喜びを全身で表現していた。
働く車が好きな女の子と秘密の下着 きょうこ @kyouko4126
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