生年1920、回顧録
佐伯 裕一
第1話 彼の戦前
孫が学校で、先の戦争の話を聞いてきたらしい。「もしおじいさんやおばあさんといっしょにくらしているなら、せんそうのはなしをきいてみましょう」ときた。
昨今の教員は驚くほど無神経だ。質の低下が著しい。米軍に占領され、その後に赤共が蔓延ったこの国では、致し方ないのかもしれん。
孫に話をするつもりはない。聞かせられるものかよ。
しかし、老い先短い我が身である。全て抱えて行くには、苦いものがある。
そこで、思い出す端から連々と書き殴っていく。
遺品整理のときにでも息子が見つけて、とっておくならよし。捨てるのでもよし。書き上げた時点で
正気を保てる時間が徐々に短くなっている自覚がある。お迎えを待つだけの退屈な日々とはいえ、その前に全て吐き出せれば、と願う。
どうも親が言うには、己は大正九年(1920年)に生まれたらしい。しかしその後のことを考えると、どこまで本当かわからない。
生家は本家であった。親族を含めれば、同世代の餓鬼共がうじゃうじゃいた。その中の一人として考えれば、生年が怪しいのは無理からぬことと思う。己だって一人息子の生年月日が怪しくなることがあったほどだ。
場所は九州の離島だ。本家を名乗るだけあって、島の中では多少大きな家ではあった。おかげで、学校には不自由なく行かせていただいた。戦後も食うに困らなかったのは、文盲でなかったことが大きい。これには感謝している。
妙に腕っ節の強い餓鬼だった。喧嘩では負けず、大人だろうが中学校のあいだには、皆、のした。漁師や大工にと期待された。そのうち、女を引っ掛けて森の中で励むようになった。己の知らん血族が多少はいるかもしれん。
蛇を捕まえるのも特異だった。酒好きの親父に渡せば、ビンに漬け込みながら駄賃をくれた。蛇に限らず、禽獣を狩るのも得意だった。いつも腹が減っていたから、それを焼いては食っていた。
時代と言えばそれまでだが、そんな特技を持ったのは、己の幸いであったかもしれん。
中学校の頃から見習いに出ていた大工の下で働いていると、兵隊に出されることになった。
「己の年ではまだ早いのではないか」と考えたが、島の外に興味があったので、文句を言わず従った。このあたりの経緯から、己は出生年について懐疑的である。
訓練は嫌で嫌で仕方なかった。
島では己が大将であることばかりだった。しかし教官殿の言うことには従わなくてはならん。
始めの頃は何度か反抗した。ぶたれたし、何度腕立てをさせられたかわからん。それでも歯向かったら、寝る間を削っての便所掃除を言いつけられた。暗い中で足を滑らせ、片足を便器に突っ込み、縁で金玉を打って悶絶したことを覚えている。
訓練自体は然程苦ではなかった。島の森が庭だった。大工仕事もした。本土の連中より、体はずっと強かった。多少、いい気分がした。
訓練が終わった頃、教官殿から「任地では上官に従うように」と言われた。たしか、生返事を返したはずだ。
少しして、台湾へ向かった。分隊長殿が異常に気張っていた。
しかし己等のしたことと言えば、道を敷いたり何やら建てたり。己自身が鉄砲を撃って戦うことはなかった。拍子抜けだったが、気張っていた分隊長殿の肩透かしを思えば、いい気味だった。
己は本土の連中と違い、台湾の言葉が僅かながら理解できた。島にも、首里を通じて人は来ていたからだ。おかげで、他の隊に比べれば現地住民とよくやれたと思う。分隊長殿はそれも面白くなさそうであった。いい気味だった。
考えてみれば、この頃から御国の状況は悪くなっていたのかもしれん。俺は内地にいなかったので実情はわからんが、飯や嗜好品の類が不足気味になった。
そのあたりを現地住民に融通してもらっているうちに、女ができた。
それを分隊長殿に見つかり、折檻を食らった。己も気が緩んだのは悪いとは思うが、女の前で恥をかかされ頭に血が上り、分隊長殿へ一発くれてやった。罰則が待っていたのは言うまでもない。女とはそれきりだった。
冬。女の寄越してくれた飯と人肌を恋しく思いながら、比律賓(少々読みづらいため、以下フィリピン)へ向かった。昭和一六年だったはず。
戦争だ何だといいながら、なんだこんなぬるい様でも国境は広がるのか、と舐めていた。ここから地獄が始まるとは、思っても見なかった。
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