男子会とオタク会

『で、協力の件、結局どうするんだよ』


 ブーと無機質に鳴った通知音に、大納言はチラリと視線を移した。

 明るかった部屋は、日が沈んでいつの間にか薄暗くなっている。

 勉強中に当たり前のように突撃してくる妹は、珍しく、やってきた記憶はない。

『前向きに考えたい。明日話そう』

 暗い部屋の眩しい画面に目を細めて、返事を打った。

「協力はいいとして……博多と札幌、反対方向じゃねぇか」

 飛行機を予約するのすら大変だ。

 大納言はため息をつく。

「玉癸、いるか?」

「なに?ため息ついてると幸せが逃げるよー?」

 少し声を張って呼び掛ければ、向かいの部屋から、玉癸の声が返ってくる。

 なぜため息のことを知っているのかは謎だが。

 そこまで大きなため息だったか?と心の中で首を傾げた。

「悪い、やっぱチケットあといくつか取ってくれないか?」

「は?」

 ドタドタ足音がして二秒後、勢いよく部屋の襖が開け放たれて、玉癸が飛び込んできた。

「ちょっと、さっきはなくていいって言ったのに!もう予約しちゃったんだけどぉ!お金はお兄ちゃん持ちね!」

 ムスッと頬を膨らませる玉癸。

「数わかったら教えてよ!」

 そう言い残すと、長い髪を靡かせて戻っていった。


 ***


「――で、あるからして……この『いづれか歌を詠まざりける』というのは、『歌を詠まないことがあろうか』つまり歌を詠むという意味になり……」

 普段なら、推し活の時間に次いで楽しいはずの古典の授業が、ただの雑音に聞こえる。

 つまらない。

 頭の中は、昨日の乙姫の言葉がずっとグルグル渦を巻いていて、ほとんど寝られなかった。

 昼休みに四人の予定が合わなさそうなことも、少しラッキーに感じる。

 もし今日女子会があったら、気まずすぎて何も言えないはずだから。

「はぁ、」

 ため息をついて、教科書をパラパラ。

 何度もめくったページには、新鮮さなんて微塵も感じない。

「竹宮さん、ため息してると幸せが逃げるよ〜五十六ページの問三、答えてください」

 沈んでいることがバレたのか、先生まで気遣わしげな口調。

 これが百人一首の「しのぶれど」的なものかと、どうでもいい方向に現実逃避する。

 しのぶれどは、「悩みでもあるのかと問われるほど、恋心が顔に出てしまった」という意味の和歌。

 恋をしているのは、自分ではないけれど。


 ***


「では、これより男子会を始める」

 麻中が、机にそれらしく肘をつき、手を組んで顔を下げる。

 大納言は、とりあえず同じポーズをとった。

 昼休みの食堂。

 男子会といっても、集まった男子は二人だけだ。

 目の前には、食堂のおばちゃん作、激辛カレー。

 昨日の反省を生かして、カレーと合いそうなヨーグルトの飲み物(ラッシーと言うらしい)を追加注文した。

 麻中の趣味で、トッピング盛り盛りの甘々だ。

「男子会って、私もいるんですけど〜」

 そして、なぜか大納言の隣には妹の玉癸。

 スマホをいじって、ぷくっと頬を膨らませる。

 その目の前には、安くて美味しいと評判のオムライスと、期間限定のパフェ。

 いわゆるコスパ重視というやつだ。

 多分。

「ケチャップ、ハートにしてくれないかな〜」

 などと言いながら自分でハートを描く妹は、理解不能。

 大納言はそっと目を逸らした。

「で、改めて協力って方針でいいんだな?」

「おう。この協力は、両方に利益があるはずだ!」

「利益?」

 訝しむ大納言の横で、玉癸はとろとろ卵のオムライスを一口パクリ。

 目を輝かせて、頬に手を当てた。

「ヤバいよ、お兄ちゃん!めっちゃ美味しい!高等部のオムライス美味!中等部にはこんなん無いよ!」

「知ってる」

 玉癸の皿の中身はあっという間に減っていく。

 かなりの量があったはずのケチャップは、一筋もお皿に残っていない。

「めっちゃ美味しい!お兄ちゃんも一口いる?」

「いらないから自分で食べろ」

 玉癸の方も見ずに言葉を返せば、彼女はこちらに差し出してきたスプーンを自分の口元に運んだ。

「で、利益ってのは?」

「俺はクレーンゲームがプロ級に上手い」

 ドヤりと決めポーズまでする麻中。

 ふんす、と鼻息荒くまた次のポーズを決める。

「ゲーセンでお菓子全部取ったことがある!」

 もはや迷惑。

 さらに決めポーズをする麻中は、自慢げに口角を上げる。

 大納言は、ツッコミを入れたら負けな気がしてきた。

「……何が言いたい?」

「大納言の条件、札幌のゲーセンでぬいぐるみを取ってこいってやつだろ?しかも、チケット入手には爆食い必須」

 麻中は、珍しくニヤリと悪い笑みを浮かべた。

「助っ人に、俺はどうだって話。クレーンゲームは自信があるし、爆食いも力になれる」

「で、代わりに何をしろって――」

「お兄ちゃん!何このパフェ!最高なんだけど!」

 丁度いいところでまた玉癸が水をさす。

「あー、はいはい。そうだなー」

「期間限定ってずるいよね〜買うしか無いじゃん!」

「そーだなー」

 ものすごいスピードでパフェを食べ進める玉癸。

 大納言はそっと椅子を離した。

「で、俺はどう協力すればいい?」

「チケットとって欲しいんだ。一般枠だと倍率が高くて」

 つまるところ、ファンクラブ特権をお裾分けしてくれと。

「ルール的に無理なら、やらなくていいけど、何もせずに引き下がるのも悔しいんだ」

 輝姫かぐやの要求が無理難題なのも、自分たちが遠回しにフラれていることも、分かっている。

 けれども、はいわかりましたと素直に引くのも悔しいというもの。

 玉砕する未来は見えていても、やれるところまではやって、爪痕は残したい。

「近所のおっちゃんに、『ふぁんくらぶでうまく立ち回れるぞ〜』って言われて。頼む!」

 麻中は、両手をパチンと拝むように合わせる。

「それは――」

「お兄ちゃ〜ん、お腹いっぱい。あと一口食べて」

 玉癸がまたしても茶々を入れる。

「ちょっと静かにしててくれ!」

 思わず大きく発した声に、大納言は自分でも驚いた。

「――ごめん」

 玉癸は、いつもの様子とはかけ離れた、暗い声でボソリと呟く。

「悪い、責めるつもりは――」

「でも、お兄ちゃん達で勝手に話を進めるのは違うと思う。お金払ってくれてるのはお兄ちゃんだけど、ファンクラの名義は私だし、オタクやってるのも私だから」

 淡々と、玉癸は止まらない。

「お兄ちゃん達が頑張るのは応援するけどさ。ファンクラ使うなら、一個条件」

「「条件?」」

 玉癸は、指を一本立てる。

「二人とも、今度のミニライブに一緒に来て。そしたら、北海道と博多、私が代表者として、同行者枠のチケットあげる」

 玉癸は、にひひっと笑うと、大納言の口に強引にパフェを突っ込んで、「あとよろしく!」と食堂を出て行った。

「――大丈夫か?」

「甘!だから、アイツ……辛党のくせにパフェなんか食うから……」

 我関せずといった調子にひらりと翻るスカートの裾を、大納言は睨みつけた。

「――仲良い兄妹って見てほっこりするわ」

「そうかよ」

 どこからが「仲良い」に当てはまるのか。

 大納言は、クリームを飲み込んでゲホッとむせた。


 ***


「――あたっちゃった……」

 当選、と表示された画面に、輝姫かぐやは呆然と呟く。

 かねてから予定されていた、ドーム開催記念の握手会&ミニライブ。

 ファンクラブ会員選考で外れ、ダメ元で応募した倍率五十超えの一般選考でこのイベントに――当たってしまった。

「どうしよ」

 心の整理は、全くついていない。

 こんな状態で、堂々とイベントに行っていいのかな、と普段なら喜ぶはずの場面で、どこか冷めた気持ちになってしまう。

「本当にどうしよう」

 ちゃんと相手と向き合えてるか、と問いかける乙姫の目が、頭から離れない。

 そして、向き合ってると断言できない自分がいる。

「とりあえず、玉癸ちゃんに連絡するか」

 数年前のファンミーティングで知り合った玉癸とは、お互いに当選したら一緒に行こうという話をしていた。

『一般で当たったよ』

 メッセージを送れば、すぐさま既読がつく。

 若干恐ろしい。

『倍率五十超えてますよ⁉︎先輩すごすぎる!古参故ですかね……』

 玉癸が何気なく送ってきた言葉にも、ぎくりとしてしまう。

「末期だわ」

 こう言う時は、とにかく寝よう。

 パソコンを閉じて、布団に潜り込む。

 現実逃避に走る自分が情けなくて、大っ嫌いで。

 それからも目を逸らすように、瞼を閉じた。

 ブーと、掛け布団の奥に追いやったスマホが唸る。

 暗い視界に、煩わしく白く光るそれに、無視を決め込んで――一秒、二秒。

 十秒たって、輝姫かぐやはのっそりと身を起こした。

『一緒にイベント行けるの、楽しみです!私、竹宮先輩のお言葉のおかげで、推し活楽しめてるので!この機会をずっと待ってて……』

 鞠のように弾む玉癸の声が聞こえてくるような文面に、輝姫かぐやは目を細めた。

「そんなこと、言ったっけな……」

 なんだかカッコよさげなことを言ったのかもしれない。

 きっと今は見失っているけれど。

 パタリとスマホを伏せる音が、無機質な部屋に鈍く響いた。


 ***


「とーちゃーく!DOUWAプリンス初ライブの地!」

「おう……」

「よかったねー」

 ピョンピョンと飛び跳ねる玉癸と、後ろで呆れ顔の大納言、その様子を微笑ましく見つめる麻中。

 数日でもはやお決まりとなったこのやり取りに、玉癸だけが飽きることなくはしゃいでいる。

「見てよ!物販の列すでにとんでもないんだけど!ちょ、お兄ちゃんたち!早く!並ぶよ!」

 玉癸は、今日のために作ったと言う「痛バ」を手に、猛スピードで人の波をかき分けていく。

 あのくらいのスピードが出せれば体育祭も楽勝なのではとも思うが、そんなことは決していえない。

 普段の玉癸の足が遅いなんて言えない。

 たとえ体育祭で毎年ワーストな事実があろうとも。

 やっと追いついた玉癸は、スマホを片手に迷うことなく物販の列を遡っていく。

「待ち合わせする人がもう並んでるから、おいでって」

 玉癸はスマホをしまうと、バックの持ち手をギュッと握る。

 そして、迷うことなく進んでいった。

「わ、待って……」

 麻中と大納言は、慌ててその後を追う。

 少し開けた場所に出ると、玉癸は歩くスピードを緩めた。

「すごい人だね……ここにいる人みんな、そのアイドルが好きなんだ」

 麻中は、感慨深そうに呟く。

 玉癸は立ち止まって、小さく頷いた。

「だって、みんなオタクだもん。大好きだから、ここにいるんだよ」

「ガチ恋ってやつか?」

 時々ネットで見る単語。

 ポロリとこぼした途端、玉癸は「違う!」と声を上げた。

「推しは、恋愛対象じゃないんだよ」

「なら、ガチ恋オタク?って言葉は?」

「推しにガチで恋してる人。あんまりいいことじゃないよ。ストーカーに発展したりさ」

 玉癸は、スカートをいつもよりも丁寧に巻いたツインテールを靡かせる。

「じゃあ、推しってなんだ?」

「うーん、モチベ…勇気の源かな?特にアイドルはさ。歌とかダンスとか、頑張ってる姿を見せてくれて、勇気をくれる。私も頑張ろうってなる。で、私たちファンは、それを、『勇気をくれてありがとう』って、お金や時間をかけて、貢ぐ。お礼みたいな感じで」

 玉癸は、ゆっくりと会場の中央に掲げられたイベントのロゴに手をかざす。

 指の隙間から、まだ高い位置にある太陽の光が漏れた。

「つまりね。推しは、恋愛対象でも、神仏の類でもないんだよ。盲目的に一方通行な愛を押し付けるんじゃない。尊敬と、感謝で、推しとオタクは繋がってるの。これ、竹宮先輩談ね」

 玉癸は、楽しそうに笑う。

 彼女が目を細めて見る指先は、夜中までこだわっていたネイルで飾られている。

「ずぅーっと前、竹宮先輩に会った時、教えてくれたんだ。推し活って、楽しいでしょって」

 だから私、竹宮先輩が大好きなの!と玉癸は笑う。

 今まで見たことのない、キラキラした笑顔。

「玉癸って、あんなふうに笑うんだな」

 兄の自分でも見たことがなかった笑顔に、大納言は少し複雑な気持ちになる。

「で、そんな私の大尊敬する竹宮先輩が、今日一緒にイベント参加するの!本当最高!マジ前から20番目とか何時に家でたんだろ。本当に……」

 ブツブツとものすごい速さで喋る玉癸。

 それと同じ速さで人にぶつからずに歩けるなんて――と、感心している場合ではない。

「竹宮さん来るのか?」

「え?言わなかったっけ?」

 玉癸は心底不思議そうな顔。

「聞いてない」

「マジ?じゃあ今言うね、今日竹宮先輩と一緒だから」

 玉癸は、満足そうに笑った。

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