蛍が遺した道
SHOKU=GUN
前編
山を切り拓く重機の音が、遠くからゴウンゴウンと響いてくる。
父の生まれ育ったこの町に帰省するたび、故郷の景色は少しずつ姿を変えていった。
最初は何かの工事かとしか思っていなかった。
数年前に帰省した時には、山の中腹に不自然なほどまっすぐな道路が走っていた。
そして今回、裏庭の縁側に座る僕と父の目の前に広がっていたのは緑の絨毯を切り裂くように並んだ無数の黒い板だった。
「ひどいもんだろ」
茫然と変わり果てた裏山の光景に目を奪われていると父がぽつりとつぶやく。
この人が自分に話しかけてくるなんて珍しい。そう考えながら視線の先を追う。
故郷の山は自分が子供の頃にカブトムシやクワガタを捕まえに走り回った山が今はもう見る影もない。
山肌は大きく削られそこかしこに銀色の支柱が突き立ち、その上にソーラーパネルがぎっしりと並んでいる。まるで果てしなく大きい巨大な昆虫の複眼のようだ。
「あれって、いつからこんなに増えたんだ?」
声に少しだけ不機嫌そうな色が混じるのがわかる。怒りか、悲しみか、自分でもよくわからない感情がこみ上げてきた。
「さあな。気づいたらこうなっていた。役場は『景観に配慮しながら進めています』なんて言ってたが、やっぱ政治屋ってのは利権の事しか考えていねぇ」
父は吐き捨てるように言った。その声には、諦めと怒りが入り混じっていた。
「でも、なんでこんなに……しかも、日本じゃなくて中国の会社って?」
僕はネットのニュースで読んだ話を思い出し、尋ねてみた。父は一度大きくため息をついた。
「なんでも、中国の企業が日本の土地や水源地を買い漁って、メガソーラーを作っているらしい。ここいらの山もずいぶん買い叩かれたって話だ
ここだけじゃない。日本のありとあらゆる水源地や島が買われてるって話だ」
父はそこで言葉を区切ると、僕の方を向いた。
「お前のばあちゃんが持っていたウチの山も一度売りに出ないかって話が来たんだ。ずいぶんいい値段だった
孫達の事も考えると財産も残してやりたい。もちろん悩んださ。でも…死んだおやじとおふくろや先祖様が代々守ってきた山だからな。
それに、もし売ってたらお前たちに故郷の山を見せてやれなくなってしまう。そう思って断ったんだ」
その言葉に何も言えなかった。子供の頃は「山は好きだけど気持ち悪い虫が多いのはいやだ」と父に言ったことがある。その言葉を父は覚えていたのだろうか?
言葉とは裏腹に恐らく父は結局手放すだろうと思っていた。
あまり会いたくない妹夫婦の顔が脳裏にチラつく。孫が出来てから随分とこの人は甘くなったと感じていた。
「土地、売った家もあるんだろ?」
「ああ。金に目がくらんだんだろうな。だが、悪いことだとは思わん…生活があるからな。
でも、この光景を見ると本当にこれでよかったのか?と自問してしまう。
景観がどうこうという話だけじゃない。山が削られて、大雨が降れば土砂崩れだって心配だ。それに、太陽光パネルの寿命が来たら、この山はどうなるんだろうな」
父の言葉に僕は改めてパネルの並ぶ山を見つめた。
故郷の山はもう二度と元には戻らない。子供の頃、僕たちを温かく包んでくれていたあの緑の山はもうそこにはなかった。沈黙が二人の間に重く流れる。
正直に言えば父の事はあまり好きではなかった。昭和気質のこの人は自分の教育に何度も体罰を使ったし、勉強中に自分を監視する癖にテレビを付けたりして集中力を奪いに来る。
友人やその他の人間から話を聞いて比較しても。あまり褒められた人間ではないと思っていた。
「まあ、仕方ないさ。もう決まってしまったことだ。だが、お前がいつか子供を持ったらこの山を見せてやってくれ。
そして、こう言ってやってくれ。昔はな、この山はもっと緑が深くて、いろんな生き物がいたんだよとな」
「…」
その言葉に胸が締め付けられるような気がして、何も言わなかった。父は再び遠い山に視線を戻した。
その横顔は少し寂しそうだった。この人は昔から日焼けした若々しい肌の印象があったが久しぶりに見たその横顔は随分と白髪が増え、老け込んで見えた。
何も言わず父から少し離れた場所に立ち、ただただ、変わり果てた故郷の山を眺め続けた。
「昔は少し歩くと蛍が見えたんだよなぁ…」
「…そう」
そんな父の言葉に適当な相槌を打ち、自室に向かった。
あの静かで穏やかな時間が流れる縁側での会話。父との久しぶりの…そしてどこかぎこちない触れ合いだった。
子供の頃から父は厳格で口数が少なく、滅多に無いが機嫌の悪い時には軽い暴力も振るってきた為かどこか父を避けるように生きてきた。
実家には最近は盆か正月に数年に一度に顔を出す程度で、ゆっくり話すことも少なかった。
裏庭の変わり果てた山の景色が、そんな僕と父の間に重苦しい沈黙を落としていたようだった。
翌朝、なんとなくあのメガソーラーができた山の方へ足が向いた。
子供の頃は毎日のように遊びに来ていた裏山だ。
懐かしさを覚えながらも今は見慣れない景色が広がっていることに、奇妙な感覚を覚える。
メガソーラーの敷地に近づくとフェンスが張り巡らされ、「関係者以外立ち入り禁止」の看板が物々しい。
黒光りするパネルが太陽光を反射し、辺りは独特の無機質な雰囲気に包まれていた。
パネルの上には何匹かのトンボが周回するように飛んでいた。反射する黒いソーラーパネルを水面と誤認しているのだろう。アスファルトに飛び出すハリガネムシに寄生されたカマキリと同じだ。
足元には工事の際に削られた土がむき出しになり、雨が降れば簡単に崩れてしまいそうだ。
こんな場所に大規模な手を加えたら、いつか必ず自然の力が反発するのではないか――そんな不安が胸をよぎる。
ふと、スマートフォンを取り出し、帰省前に見たネットニュースをもう一度確認した。
数か月前の記事だったが、与党推薦の知事が巨大な五星紅旗をバックに満面の笑みを浮かべつつ、中国企業の代表らしき小太りの眼鏡をかけた人物と握手している写真が掲載されている。
記事内に掲載された文章を読むと「危険な原発に頼らず、環境に配慮したクリーンエネルギー推進にメガソーラーの導入は不可欠」という知事のコメントが皮肉に響いた。
記事にはその中国企業の名前が『王龍建設』とあった。ここに来る前に赤い下地に簡書体で黄色の企業名が描かれた看板をいくつか見かけた。
まさか、こんなにも身近な場所にその影響が及んでいるとは。
フェンス沿いを歩き、メガソーラーの手が届いていないさらに奥の山へと分け入った。
木々の緑は濃く、夏場でも木陰に入ればひんやりとした空気が心地よい筈だったが記憶より気温が高く感じた。
足元には落ち葉が堆積し、時折、 小さな虫たちの羽音が聞こえる。
子供の頃に夢中で追いかけたカブトムシやクワガタの姿を探したが、見つけることはできなかった。
土をひっくり返してみても、以前はたくさんいたはずの幼虫すら見当たらない。
メガソーラーの開発によって、この山の生態系も大きく変わってしまったのだろうか。
さらに奥へ進むと鬱蒼とした木々の間から、かすかに水の音が聞こえてきた。
細い沢だ。子供の頃にはよくここで水遊びをした。懐かしい光景に心が安らぐ。
工事の騒音もここではほとんど聞こえない。この場所だけは、まだ昔のままの姿を残している。
僕は沢のほとりに腰を下ろし、 深く息を吸い込んだ。
失われたものは大きいがそれでも残された自然への安堵感がないまぜになった複雑な感情が胸に押し寄せる。
父との関係はこれから改善する気も起きないが、同じ故郷の山を心配する気持ちは、わずかに共有できているのかもしれない。
遠くにそびえるメガソーラーを横目に立ち上がり、再び静かな山の奥へと足を踏み出そうとした。
「!?」
一瞬視界の端に白いワンピースが映った気がしたのだ。思わず再び顔を向けるがそこには誰もいなかった。
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