第6話 まつ

『─…だから、ごはんを調達して来て欲しいニャ。』


 あれから無駄に数刻の時間を費やし、ようやく二人の喧嘩レスバは流された。

 完全に全く一切の問題は微動だにしていないのにもかかわらず、新たな問題というものは次から次にやってくる。そして今、彼らが解決すべき最も優先順位が高い問題は、『ごはんの調達』だった。


 寝入っているイシュチェルが起きた時、彼女の望むもの。それはおそらく、勇者ノクスとの再会。しかし、それは今は叶えることはできない。となれば、それを望まれたとき、魔人たちがするべきことは、どう誤魔化すか、だった。

 時間的にも、目覚めたときにはちょうどお腹がすく頃だろうし、お腹が満たされれば、また気がまぎれ時間が稼げる。そして、その頃にはもう、夜の帳が落ち始める。そうなってしまえばもうこっちのもので、夜を味方に言い逃れられる。

 そんな、何とも甘々な想定で立てられた作戦を彼らは考え、そして実行に移そうとしていた。


 イシュチェルのベッドとなっている自分の尻尾を動かすことが出来ないイラルギは、作戦の司令塔となり、他の二人に指示を出す。危機管理を考えると、イシュチェルの護衛に、動けないイラルギ一人という訳にはいかないので、アタエギナを残し、キュンティアに命令を下した。


『我々の食事だけニャら、そこいらの獣を狩って調達すればいいのニャけれど、イシュチェル様がその様なものをお召し上がりにニャるとは思えニャいのニャ。

だから、キュンティアの変身能力で人に化けて、人里まで降りて行って、人間の子供が食べられそうニャものを、調達して来て欲しいのニャ。』

 その理に適った命令を、キュンティアはしぶしぶ了解した。


”ψ©ЯǪЯÐβs♄♄Ǫ≡≡ψ”

 キュンティアが魔法を唱えると、どこにでもいるような町娘の姿へと変化した。声色まで変わった変化は完璧なもので、街中で人混みに紛れてしまえば、もう誰にも魔人であると見分けようがなかった。


 キュンティアたちが隠れているあばら家から、山を下り少し歩くと、すぐに賑わいのある町に着いた。

 その町は国の中心地からは遠く離れていたが、宿場町として栄えていた。町の真ん中を緩やかにうねりながら続く石畳の通りに沿っていくと、市場が開かれている広場へと辿り着く。

 そこでは、果物を詰めた籠を並べた青果商が威勢よく声を張り上げ、武具店の主人は手際よく武器防具を調えながら、客と世間話に興じている。どこからか漂ってくる焼きたてのパンの香ばしい匂いや、肉の焦げる香りは、旅人の足を止めさせていた。

 馬車が石畳を踏む音に混じって、子供たちの笑い声が広場を駆け抜ける。上の宿の酒場では、旅の吟遊詩人が竪琴を奏で、銀貨を落とす響きに弦を重ねて調べを紡ぐ。静かでもなければ、五月蠅くもない、都会の喧騒とはまた違う情景が広がっていた。


 その町中をキュンティアは堂々と歩いていた。もちろん、キュンティアは人間のお金など、一切持ち合わせていなかったが、何の問題もなかった。

 何故なら、ソコは流石のサキュバス。キュンティアが少し、目に留まった獲物の雄に視線を絡ませると、魅了を使うまでもなく、いとも簡単に釣り上げることが出来た。そしてそのあとは、この世界でも認められている十分合法的な方法で合意形成をした上で、相手から金銭を巻き上げた。

”──ごっつぁんです”


 キュンティアは手に入れたお金を持って、市場へと足を運んだ。

『はぁ…、人間の子供って何を食べるのかしら? イラルギに聞いときゃよかったわ……』

 そう呟きながら、並ぶ果物をひとつひとつ眺める。といっても、何がいいのか見てわかる訳もなく、注意が逸れて、思わず手にしたリンゴを落としてしまった。

 キュンティアは慌てて転がるリンゴを追いかけると、その先に立っていた女性の足元で止まった。女性はすぐにリンゴを拾い上げ、キュンティアへと差し出した。それを受け取るため、手を差し出しながら礼を言う。

『ありが──』 と、そこで途切れた。

 相手の足元から視線を上げたキュンティアの目に映ったのは、ほんの数刻前に命のやり取りを交わした相手、ロナだった。


 瞬時にキュンティアの毛は逆立ち、魔族のオーラが顔を覗かせる。しかし──

「? どうされました? 体調が優れませんか?」

 ロナはキュンティアを見ても全く気付いていない様子で、冷や汗を流すキュンティアの顔色を、心配そうにうかがう。

 その反応に、キュンティアは思いとどまった。今ここで事を構えても、おそらく他にいる仲間がすぐにやって来て、打ち倒されてしまうだろう。それは何の意味も持たないし、むしろ、仲間を危機に晒す愚かな行為だった。

『いえ……。ありがとうございます。』

 そう言ってリンゴを受け取ると、騒ぎにならないように、落としたリンゴの代金を店主に渡して、この場から少しでも早く離れようとした。

 だが、店主にお金を渡すために伸ばしたその手は、それを狙っていたように突然掴まれた。


 その手を掴んだのは、エルフの長い耳を鋭く立てた、トリウィアだった。


「──私に…、少しお付き合いして頂けますか?」

 それは、とても静かに、しかし、とても力強く握られた手だった。それは「絶対に逃がさない」というトリウィアの固い意志を覗かせた。

 キュンティアは悟る。おそらく、ここで戦いになれば、周りの人間にも犠牲が出る。事実、この不利な状況では、逃げるためにありとあらゆるものを利用する必要があった。

 それを防ぐこのトリウィアの手は、「互いに納得するところで決闘しましょう」という、種族を越えた果たし状メッセージに他ならなかった。


「ロナ! ごめんなさい…。私、急がないといけないのは、分かっているんだけど…。どうしても…、この人と──」

 その真剣なトリウィアの声に、ロナもそれが、ただ事ではないと察する。

「─…そうですね、確かに、私たちは急ぎ過ぎているのかもしれません……。

敵はきっと、その私たちの焦りを狙って、罠を張って待ち構えていることでしょう。あの魔人たちは、それほどに侮りがたい強敵です。

今日は、ここの宿に泊まって、じっくり作戦を立ててから臨むとしましょう。きっと…、それが一番良いです。」

 それは、トリウィアの思いを汲んだ、ロナの思いやりだった。

「ありがとう、ロナ。」 目はキュンティアに向けたまま、その気持ちに感謝する。

「ノクスと、セレーナには、私から伝えておきます。では…、待っていますから──」

 そう言い残し、ロナは静かに去って行った。

「─…それじゃあ行きましょうか。」

 トリウィアの気迫が籠ったお誘いを、キュンティアは無言で応えた。


 二人の向かった先は、町はずれの岩場。ここでは、何が起ころうと、誰にも見られず、聞こえず、邪魔も入らない。決闘をするのに、正にふさわしい場所だった。


 そして、二人は対峙する。

「─…何て、言えばいいのかしら…。この出会いは、運命…。だとしたら、とても皮肉な運命よね…。

出会ってはいけない時に、巡り合ってしまったのだもの……。」

 トリウィアは、長い耳を垂らし、とても悲し気な顔を浮かべる。それはキュンティアに、いや、自分自身に対する哀れみだった。

『─…私も、出会いたくなど無かったわ…。まだ、やることが残っているもの……。

だから、絶対に、こんなところで終わるわけにはいかない。』

 キュンティアには、仲間のため、イシュチェルのための任務おつかいがあった。自分の死は、仲間の死に直結していた。


 それはとても静かな、しかしとても熱い、二人の譲れない情熱のぶつかり合いだった。


「ねぇ、折角だから、お互い出し惜しみは止めましょう。あなたのその力、よく見たいの。」

『奇遇ね…。私は最初からそのつもりなの。』

「そうなの? それは良かった──」


 ──その最後の言葉を合図に、対峙する二人は、交差した──


 二人が接触するその瞬間に至っても、なぜかトリウィアは、得意の弓を持たなかった。それどころか、一欠片の殺意も持たなかった。あまりにも自然体のその動きは、武を極めた者の戦わずして勝つ奥義のごとく、キュンティアから変化の魔法を解くことすら、忘れさせた。

 そう、戦う前に勝負は決していた。勇者の最速の剣『びゃく』を躱したキュンティアの速さをもってしても、その結末を超えることは、敵わなかった。


 トリウィアは、何もできないキュンティアの胸に手を当て、そして──跳ね上げた……


「この、サイズと…、形と…、ハリと…、弾力と…、感触と…、サイズと…、艶と…、弾力は…

これこそが、私が探し求めていた魔力乳ホンモノっ!!」

 興奮するトリウィアは、歓喜の雄叫びを上げた。


『─…オゥ…、ヤメロや。オゥ。オメーも、サイズと弾力二回言ってんぞ、オゥ。』

 そしてそれは、キュンティアがキレるのに十分なラインを余裕で超えていた。


「ああっ! ごめんなさい。私ったら、つい……。本当にすいません。」

 我に返ったトリウィアは、手を止め頭を下げる。そして、顔を上げると、長い耳を垂らして懇願する。

「あなたのその…、そう、それは紛れもないあなたの…、あなた自身にとっての魔力乳ホンモノ

だから…、私は、ただ…、そう、ただ…、教えて欲しい!」

 トリウィアは魔力乳ニセモノの持つ意味を十分に理解した上で、キュンティアが魔力乳ニセモノを持っていることを十分に配慮した言葉を選ぶ。


 しかし、その配慮は逆に、キュンティアの埋没した地雷を踏む。

『こんな失礼を働く人に、教えることなど何もありませんっ!』

 激怒し、この場から去ろうとするキュンティアに、トリウィアは回り込んで、一切の躊躇いなく土下座した。

「この通りです、どうか! どうかっ!」

 その姿は、またとない敵を仕留めるチャンスだった。キュンティアは、無防備にうなじを晒すトリウィアに向けて、腕を振りかぶる。

 しかし、まさにこの状況は、グレティとの戦いを再現し、受けたばかりのトラウマを思い出させた。

 それに、今のキュンティアが何よりも優先するべきは、任務おつかいだった。


 この二つの理由いいわけは、キュンティアの腕を降ろさせるのに十分だった。


『─…。話を聞くだけなら……』

「ありがとうございます!!」

 それは、とても、とても奇妙な運命の廻り合わせだった─


「──一目惚れだったの。あなたの魔力乳ホンモノは、私が今まで見てきた魔力乳ホンモノの中で、一番美しかった。」


 ──それは、千年を生きるエルフの悲しい物語だった──


「最初は、エルフだからって諦めてた。でもね、それは自分に嘘をついていたの……。だって、エルフだって…、持っている人は、持っているのだもの。だから、私は…、自分に嘘をつくのをやめたの……」

「それから私は、自分の手で作り出そうと努力したわ…。でも…、上手くはできなかった……。何度も挑戦して、試行錯誤してみたのだけれど、どれも不自然なものにしかならなかった。私には、才能がなかった──」

「だから、色んな人の魔力乳ホンモノを見ようと思ったの。色んなところにいって、人の噂を聞きつけて…、そうして出会った人たちはみんな、私と同じとても寂し気な器を抱えた人たちだった……」

 トリウィアはそこまで語ると、これまでの思い出が溢れ出し、涙をこらえるように空を仰ぎ、そして目を閉じた。


 その物語は、キュンティアの魔力乳ニセモノで囲われた器の中の、ある筈のない胸を打った──


『私の魔力乳ホンモノを、一目で魔力乳ホンモノだって見抜いたのは、あなたが初めて……』

 トリウィアの思い出は、キュンティアの忘れた過去を思い出ルックバックさせる。それは、これまで感じたことのないほどの、強い共感シンパシーを生んだ。


 もし、トリウィアのもつ慧眼が魔力乳ニセモノ以外に向かっていたのなら、キュンティアの変化の魔法など、グレティ同様に簡単に看破していただろう。いやしかし、その想い、千年の執念こそが、キュンティアの魔力乳ニセモノをいとも簡単に見破らせたのだ。

 ああ……、それは、一つでは成り立たない、二つでなければ成立しない、左右に揺れて廻り続ける運命の輪廻ロンド──


 そのあと二人は、日が暮れるまで語り合った。二人にしか理解できない世界で、二人は繋がっていた。

 それは、キュンティアが初めて出会った本物ニセモノ理解者マブダチだった。


 別れ際──

「また、会えるかしら?」

『そうね…、たぶん…。 いえ、きっと──』

 そう言って二人は、振り返ることなく別れた。

 またの再会を想うだけで、キュンティアの魔力乳ニセモノで囲われた器の中の、ある筈のない胸は満たされた─ー


●○●○●


『満たされた──

じゃねーんだよ。リンゴ一個じゃなぁ、こっちの腹は満たされねぇんだよ、このボケが!』

 キュンティアを信じて待っていたアタエギナは、その結末に激怒ブチギレる。


『あのなぁ…、このリンゴ一個手に入れるのになぁ、人がどんだけ苦労したと思っとんのじゃ。』

『オイオイ、オメーのサキュバスの能力値ステフリ、どうなってんだよ。猿しか魅了オトせねーのか、オイ?』

『オゥ、それならなぁ…、オゥ、オマエのルサルカってなんだよ、オゥ、マイナー種族過ぎんだろ、ソッコーSiriだわ。』

『オッ、オッ、オッ…。オマエ…、オマエそれ…、言っちゃう? 言っちゃう?』


 二人のいつもの喧嘩イチャラブをイラルギと、起きたイシュチェルは観戦していた。イシュチェルは、思いの外この二人のやり取りが気に入ったようで、とても笑っていた。

「ノクスも喧嘩いちゃらぶしてたょ。」


 イラルギはイシュチェルの気がそちらに向いているうちに、全速力で町まで降りて、ごはんを調達して戻ってきた。そして無事に、四人はその日の夕食にありついた。


 そうして、魔人と勇者たちの長い一日は、ようやく終わりを迎えたのだった……。

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