第2話 ボクたちみんな、愚かな操り人形。
蒼い月明りの下、恋人のラーナをはじめとした、A級冒険者パーティー〈神の鉄槌〉の面々が、無表情で棒立ちになっている。
その傍らで、ぬいぐるみを抱えた少女が、ひとりで泣いていました。
(こんな森深くの未踏地に、どうして、こんな子供が!?)
驚いた僕は身を屈めて、少女の肩を掴みました。
「お嬢さん。大丈夫だよ。何があったの? 何を見たのかな!?」
少女が大事そうに握り締めていたぬいぐるみを差し出す。
僕が黙って手を伸ばし、ぬいぐるみに触れてみると、変な手触りを感じました。
見ると、ぬいぐるみのお腹に、五つのボタンが縫い付けてあり、そこに模様が浮かんでいたのです。
「なんだ、これ? 貸してくれないか、お嬢ちゃん」
少女は黙ってぬいぐるみを僕に手渡す。
ボタンの模様ーーよく見たら……。
(これーー顔なのか?)
僕は慌てて顔を上げる。
並んで突っ立った状態の、〈神の鉄槌〉メンバーの顔を見直しました。
そうしたら、確認が取れました。
ボタンに浮かんだ模様は、まさに彼らの顔だったのです。
「ラーナ……」
ぬいぐるみのお腹の中央に位置するボタンの模様は、ラーナの顔そっくりでした。
目の前にある、気をつけをしたままの身体にある顔は、無表情なままなのに。
それに比べて……。
(動いた? まさか……)
ボタンに浮かんだラーナの顔が、表情豊かに動き始めたのです。
『うう……ああ、ロイド……ロイドなのか?』
「ラーナさん、どうしたんですか、これは? いったい、何が?」
ボタンの
『わ、私は無事なのか……?』
僕は言葉を飲み込みました。
(魂を人格ごと、ボタンに封じ込めた?)
以前、著名な魔術師から聞いたことがあります。
魂を身体から取り出し、別の物体に凝固させる魔法がある、と。
人間や動物の魂を、人格ごと石などに封じ込めるというのです。
本来は、聖者や魔術師が、悪魔や魔王を封印するときに使う魔法でした。
(まさか、その封印魔法を、〈魔の森〉に巣喰う魔族が使うというのか?
やはり、魔王軍の残党ーーそれも幹部クラス……!?)
僕にとっては、初めて見る現象でした。
この目で見てみないことには、にわかには信じ難い魔法です。
ほとんど神の領域にあります。
僕は生唾を飲み込みました。
(超弩級の魔族が近くにいる、というのか?
いや。だったら、斥候職の僕に、その魔力を感知できないはずがない……)
魂を封印する魔法は、宮廷魔術師ですら、おいそれと使えるレベルの魔法ではないでしょう。
混乱する僕に、ボタンに浮かぶラーナが問いかけてきます。
『私はどうなってる……状況がわからない。何があった?』
ラーナさんも、何が起こったのか、わかっていないらしい。
ボタンに浮かぶ顔は、口を動かして話をするし、僕の声も聞こえているようです。
目も真っ直ぐ、僕を見詰めています。
(もし、このボタンに浮かぶ目で見えるのだったら、彼女自身の身体を見せるか?
しかしーー)
どうやらラーナは、自分の魂がボタンに封じ込められてるとは気付いていないようでした。
意識が身体と分離し、あまつさえ
誇り高いA級冒険者なのだから、その
僕は強く頭を振りました。
真実をこちらが教えるより、まずは情報収集です。
僕はボタン向けて語りかけました。
「いずれ組合から捜索隊が出発します。
対策のため、ラーナさんを襲った恐るべき敵について、できるだけ教えてください」
でも、ボタンのラーナさんは黙っています。
しかし、代わりに、多数の声が、折り重なって響き渡ってきました。
他の四つのボタンに浮かんだ顔が、一斉に騒ぎ始めたのです。
ラーナ以外の、〈神の鉄槌〉のメンバーでした。
『来るな! ここは人間が足を踏み入れて良い森じゃなかったんだ』
『みな、身体が動けなくなってーーそれだけじゃねえ。意のままに身体が動かされたんだ。あの化け物に!』
『あの術からは逃れられない……』
『先頭を切っていたラーナさんがやられて……みな、やられた』
四つのボタンの顔は、みな泣き始める。
『悔しい。どうしようもなかった』
『俺たちの他にも何人もやられた。誰も助けられなかった』
『こんなはずじゃなかった……なかったのに……』
『私たちは役に立たない、無力なパーティーだった。不甲斐ない……』
そんなことはありません。
勇者パーティーを除けば、魔族討伐において、最も業績を上げていたのが〈神の鉄槌〉でした。
A級冒険者パーティーの、憧れだったメンバーが、弱音を吐き、泣き
僕は、ぬいぐるみの腹に向かって大声をあげました。
「そんな悲しいこと、言わないでください!
先輩たちは無力ではありませんよ。
現に、こんな小さな女の子を助けているじゃありませんか。
これから、彼女にも事情を聞いてーー」
僕がここまで語ると、ボタンの
『少女!? 駄目だ、ロイド。逃げろ! 逃げてくれ!
その少女こそ、私が最後に見た化け物ーー!』
そこまで言ってから、悲鳴になった。
『ああああ! た、助けてくれ。
もう駄目だ。
闇がーー闇が降りてくる!
わあああん!
ごめんなさい。許してください。
もう、これからは魔族には逆らいません』
「し、しっかりしてください、ラーナさん!
師匠! あなたは僕なんかより、
すぐに味方を大勢、連れて来ます。
魂がボタンに封じ込められてますが、身体は無傷なんです。
なんとかーー」
ぬいぐるみの腹に向けて、僕は必死に呼びかけました。
ところが、ぬいぐるみのお腹にあるボタンの顔からは一斉に表情が消え、今度はいきなり、気をつけの姿勢で突っ立っていたラーナさんたちの身体の方が、バタバタと手足を動かして歌い始めたのです。
メチャクチャに音程が外れた歌声で。
『ハイホー、ハイホー。
ボクたちみんな、愚かな操り人形。
可愛いご主人様に従う下僕〜〜♬
ラララーー!
素敵、素敵な、魔王様!
月明りの下、僕ら下僕は歌を捧げますぅ〜〜!
この世で最も強いご主人様、それは魔王様!
勇者なんか、目じゃない、敵じゃない♬
今宵は月夜。
可愛い娘の合唱隊。
その歌に、魔王様は耳をお澄ましになるぅ。
素敵、素敵な魔王様!
不死身、不死身!
たとえ殺されても、可愛い娘がいる限り、父なる魔王様は必ず復活なさいますぅ!
素敵、素敵な魔王様ぁ♬』
みな、ニタニタ笑っていました。
ラーナなんかは、口から
呆気に取られてる僕の耳に、小さな声が響いてきました。
「お兄ちゃん、返して。わたしのぬいぐるみ」
「……」
急に狂ったように動き出し、歌う先輩冒険者たちーー。
その姿を見渡してから、僕は、恐る恐るぬいぐるみを少女に返しました。
ぬいぐるみを抱き締めて、女の子は満面に笑みを浮かべていました。
「お兄ちゃんは、わたしにいじわるしないから、人形にしないよ。
でも、この人たちはね、
『こんな魔物だらけの
って言って、わたしをぶったり、剣で刺したりしたんだもん。
でも……ふう。やっと歌い出してくれた。
わたし、歌う下僕が欲しかったの。
ーーあ、お兄ちゃん、〈味方〉を大勢、連れて来てくれるんでしょ?
楽しみだなあ。
大勢に歌わせると。
最近、
でも、立派な合唱隊を作って、月夜に歌わせたら、きっと機嫌を直してくださるわ。
それにしても、この子たち、声が揃ってないわね。
笛を吹けば、合わせて歌ってくれるかしら?」
僕は
悩んだ末に、組合には『捜索隊を出すのは得策ではない。〈神の鉄槌〉メンバーは全員、死んだ模様です』と伝えました。
これ以上、犠牲者を出したくなかったのです。
僕の報告が、組合でどのように評価されたのかは知りません。
僕はすぐに冒険者を辞めて、田舎に引っ込んだからです。
結局、僕は
今でも彼女のことを思うと、涙が止まりません。
(了)
魔の森の合唱隊 大濠泉 @hasu777
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