第8話 クロノスの提案

「ごめんなさい、クロノス。私、どうしても食事がとれないの。食べようとすると、あの言葉が脳裏に浮かんで…」


 感情が高ぶり、一気に涙が溢れだす。


「どうしたのだい?急に泣き出して。あの言葉とは、一体何だい?僕に分かるように説明してくれ。アテナは何に苦しんでいるのだい?」


「あの日…隊長に退団届を出した後、ハード達が話しているのを偶然聞いてしまったの。私はがさつで汗臭いし、犬みたいにがつがつ食べるから、女として見られないとハードが話していて…確かに私、全く女性らしくないものね。歩き方もがさつだし、食べ方だって汚いし…」


「ハードはそんな酷い事を言っていたのかい?なんて男だ!アテナ、あいつの言葉なんて、気にしなくてもいいよ…と言いたいところだけれど、好きな人からそんな事を言われたら、傷つくよね」


 好きな人…


 クロノスも私がハードの事を好きだという事を、知っていたのだろう。


「確かに昔は好きだったけれど、さすがにあの事件で一気に気持ちが冷めたわ。それにハードは、お上品でおしとやかな令嬢が好きなのですって。私とは全くの正反対の人間が好きなの」


「お上品でおしとやかな令嬢ねえ。確かにアテナとは正反対かもね。ハードの事が吹っ切れているのなら、どうして食事がとれないのだい?あんな男の言う事なんて、無視してしまえばいいじゃないか」


「確かにそうなのだけれど。皆もハードと同じように、私の食べ方がみっともないと思っているのではと考えたら、食事をするのが怖くなって。本当に私は、女性失格だもの…」


 こんな男みたいな私を、誰も女性としては見てはくれないだろう。少し考えればわかる事なのに、私ったらハードに恋をしていたのだから。とんだ笑いものだわ。


「アテナは女性失格なんかじゃないよ!それにしても、ハードのやつ、許せないな!アテナ、このままハードの好き勝手言われていて、いいのかい?僕は腹が立って仕方がない」


「ハードが言った事は本当の事だし、仕方がないと思っているわ」


 ハードの言った事は、まさにド正論なのだ。だから仕方がない…


「ねえ、アテナ。君は侯爵令嬢だ。騎士団を辞めたのなら、これからは令嬢として生きたらどうだい?」


「私が令嬢としてですって?それ、本気で言っているの?確かに私は侯爵令嬢だけれど、それは名ばかりで、中身はがさつな男みたいな女なのよ。こんな私が、社交界になんて出たら、大恥をかくわ」


 きっとあまりにもがさつで下品っぷりに、貴族世界中の笑いものになるだろう。いいや…もしかしたら、皆引いてしまうかもしれない。そんな事になったら、さすがに家族にも迷惑が掛かる。


「確かに今のアテナがそのまま社交界に出ても、恥をかくだけかもしれない。だったら、完璧な令嬢を目指したらいいのではないのかい?」


「完璧な令嬢?」


「そうだよ!アテナは誰よりも努力家で、頑張り屋さんだろう?きっとアテナなら、マナーも勉学も完璧にマスター出来るよ。立派な令嬢になって、ハードを驚かせてやろうよ」


「私が立派な令嬢になんて、なれないわ。だって私、今まで令嬢としてのマナーレッスンなども受けていなかったのですもの」


 今更マナーや勉強をするだなんて、なんだか想像が出来ない。


「やりもしないのに、諦めてしまうのかい?アテナらしくないな。それにハードの事、悔しくないのかい?濡れ衣を着せられただけでなく、そんな酷い事を言われて」


「濡れ衣は私が勝手に被っただけだし、酷い事も…」


 ふと私の事を酷く言っていた時のハードの顔が、脳裏に浮かんだ。ニヤリと笑い、バカにしたような口ぶり。


「確かに、腹が立つわ…」


「そうだろう?それに僕はてっきり、ハードもアテナの事が好きなのかと思っていたよ。だって、そんなそぶりを見せていたじゃないか。表ではアテナにいい顔をして、裏でアテナの悪口を言っているなんて、最低だよ」


 確かにクロノスの言う通りだ。なんだか段々ハードに対して、腹が立ってきたわ。


「あなたの言う通り、私、完璧な令嬢になって、ハードを見返してやりたいわ」


「アテナならそう言ってくれると思ったよ。アテナが笑ってくれて、よかった。僕も極力アテナのレッスンに付き合う様にするから、一緒に頑張ろう」


「ありがとう、クロノス。でも、あなたは騎士団のお仕事と第4王子としての公務もあるでしょう。忙しいのに、さすがにわるいわ」


 クロノスはただでさえ多忙なのだ、これ以上迷惑をかける訳にはいかない。


「その事なら大丈夫だよ。僕はアテナを応援したいんだ。お願い、傍にいさせてくれないかい?」


 真剣なまなざしで訴えてくるクロノス。そこまで言ってくれるのなら…


「分かったわ。でも、無理はしないでね」


「ありがとう、アテナ。一緒に頑張ろうね」


 私の手を握り、にっこり微笑んだクロノス。彼のお陰で、なんだかやる気が出てきた。

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