第8話
「⋯⋯それって、どうやってやるんですか?」
「じゃあ、立って」
私が立ち上がると先輩も立ち上がった。腕を開いて迎え入れるポーズをする。
「はい、いつでもどーぞ?」
先輩は余裕満々の笑み。思ってたのとなんか違う。
私から抱きつきにいくのはかなり抵抗がある。
「わ、私からいくんですか?」
「違った? あ、そうだよね、フツーちゃんされる側だもんね」
先輩は手を広げたままにじりよってきた。一方で私はあとずさりをする。
「し、正面から?」
「ん、じゃあいいよ、後ろから」
先輩は背後に回り込んでくる。今度は表情が見えない。いつ来るかもわからない。
失敗した。これ、後ろからのほうが危険では?
「はい、ぎゅ~~⋯⋯」
伸びてきた両腕が私の上半身に巻き付いた。胸ごと締め上げられる。思ったよりずっと強い力で。
もろに当たってるどころじゃなく、寄せてあげられてる感まである。
つい振りほどきそうになったけど、「あれ? どしたのフツーちゃん耐えられなかった?」なんて煽られること間違いなし。
ここはあえて直立不動のままでいると、耳の後ろから声がした。
「どう?」
「べ、べつに⋯⋯ふ、フツーですかね⋯⋯」
「あたしはやばい。すごいきゅんきゅんする。幸せ」
先輩の感想は聞いてない。
恥ずかしくなるからそういうこと言うのやめてほしい。
「フツーちゃん、耳真っ赤だよ?」
耳元で囁いてきた。近い。吐息がぶつかる距離。
どう反応したらいいかわからなくて、私はぶんぶん首を振った。
「かわいい」
声をかぶせられて、胸がきゅっとする。いや一瞬だけですけどね。
というか、かわいいと言われて嫌がる女子はいない。別にフツーなのだ。
「⋯⋯ん」
耳たぶが柔らかくあったかいものに挟まれる感触がする。
耳の中に鼻息らしきものが当たって、びくっと背筋が伸びた。
⋯⋯え? この感触って⋯⋯。
まさか、舐められた? 噛まれた?
効いてないアピールも限界だった。
私は振り向きざまに先輩の肩を突き放した。
「は、反則っ! それ反則です!」
「反則?」
「は、ハグっていう話じゃないですか! いま何したんですか!」
「いやぁ、耳がおいしそうだったからつい」
やっぱり食べられてた。
何? お腹へってたらお会計前に食べちゃう人? ていうか耳って食べ物じゃないんですが。
「これ耐えろって、そんなの無理に決まってるじゃないですか!」
「聞きました奥さん? このコはやくもカミングアウトしましたよ」
「とにかく今のナシ! ノーカンです!」
見えないと思ってやりたい放題しすぎ。
やっぱり後ろからハグはダメだ。選択を誤った。
「じゃあ、小細工抜きで真っ向勝負で」
そう言うなり、先輩は私の体を正面から抱きしめてきた。
今度はちょっと強引だった。私があれこれ言う間もなかった。
先輩は無言だった。
私の目線にある薄めの唇は閉じたまま、かすかに両端が持ち上がっている。
胸に柔らかい感触がぶつかる。いい匂いがする。
体を抱え込まれて、背中をさすりさすりと撫でられた。背中を触られているはずなのに、なぜか胸のあたりがきゅうっとなった。
先輩の体はとても柔らかかった。背中撫でられるのも心地良い。安心する。
ハグってこんな、気持ちいいんだ⋯⋯。
「⋯⋯あれ? 抵抗しなくなっちゃった? おーい」
はっと我に返って目の焦点を合わせる。
目の前ではそら先輩がいたずらっぽい笑みを浮かべていた。私は慌てて密着した体を引き剥がす。
「あーあ、フツーちゃんの負けだね」
「な、なんでですか? な、なにをもって負けですか!」
「そんな顔真っ赤で言われても説得力なし」
え? と頬に手をやる。
たしかに顔が熱い。でも熱いのは全身の気がする。さっきからずっと。
「はいこっち見て~~」
すっかりパニクっていた私は、言われるがままに顔を上げた。
その先ではそら先輩のスマホがこっちを向いていた。
「はい、フツーちゃんの敗北メス顔激写しました」
「へっ⋯⋯? あっ! け、消して! 消してください!」
「えっ? 本当にそんな恥ずかしい顔だったの? べつに消す必要なくない?」
今のは完全なる誘導だ。敗北メス顔なんてしてません。
「か、勝手に撮られたら嫌じゃないですか! 悪用されるかもだし!」
「じゃあお返しにあたしの写真撮っていいよ? いぇい」
そら先輩はダブルピースしながらかわいく首をかしげてきた。
いやそういうことじゃないんだけど、とにかくなにかやり返さねば、と思った私はスマホを取り出した。
そして撮ってしまった。
先輩の近距離カメラ目線ピース。
⋯⋯なんかくやしいけどめちゃかわいい。
こうやって写真の中で大人しくしてさえくれれば。
なんてやってるうちに昼休み終わりのチャイムが鳴った。
しまった、まただ。もともとこんな長居する気はなかったのに。
「と、とにかくそういうわけですから! これ以上私にかまわないでください!」
「いやそういうわけってどういうわけ?」
流されておかしなことになってしまったが、私はそれを言いに来ただけなのだ。
冷静に考えればこんな屋上でこっそりハグしてるとか、フツーじゃない。フリョーのすることだ。私は断固としてフツー女子。フリョーにはなりません。
「そしたらさ、放課後ちょっと付き合ってよ。あたしさ、転校してきたばっかで知り合いもいなくて、土地勘とかもあんまなくて」
「いやそれべつに、私なんかじゃなくても⋯⋯」
「てかフツーちゃんは勝負に負けたんだから拒否権ないんだよ? ハグだけで堕ちちゃったんだから」
「お、オチてないです! 勝手に決めつけないでください!」
ほんというとさっきのはやばかった。まだドキドキしてる。
このままずるずる流されるのはまずいって思う一方で、なんだろう⋯⋯これだけ謎に好意を向けられてて、そこまで悪い気もしないような気がしないでもない。
「ねえいいでしょ? ねえねえねえ~」
そら先輩はおねだり駄々っ子モードに入った。これはちょっとかわいい。けどこれ先輩の振る舞いじゃない。
でもちょっと付き合ってって、どういうこと? そんな安請け合いしていいんだろうか。
なにやら不安と期待が入り混じったような⋯⋯期待?
期待って、私はなにを期待してるの? いやいやいや。
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