第27話

◆視点:星野 命


私の指がモニターに触れた、その瞬間。

世界から音が消えた。

目の前のモニターも、隣に立つ要の驚いた顔も、制御室の壁も天井も、全てが遠ざかっていく。

私の意識は黄金の光の奔流に飲み込まれた。


「うおっ、なんだ!?」


思わず叫んだ声は、自分のものではないように遠くで響く。

体の感覚が希薄になり、ただの意識の塊として光の中を漂っている気分だ。

これは占星盤の精神世界にダイブした時と似ている。

しかし、あの時とは何かが決定的に違った。

あの時は要と二人で、覚悟を決めて飛び込んだ。

今はもっと深く、根源的な場所に、私一人で引きずり込まれている感覚だ。


光が収まった時、目の前には信じられない光景が広がっていた。

そこは、無限に広がる宇宙空間だった。

無数の星々が、手の届きそうな距離で瞬いている。

一つ一つの星が呼吸をするように、優しく明滅を繰り返していた。

星々を結ぶように、複雑で美しい光のネットワークが張り巡らされている。


「……すごい」


思わず、ため息が漏れた。

これが、占星盤の本当の姿なのだろうか。

いや、違う。

もっと大きな、この世界そのものの設計図のようだ。

私の直感がそう告げていた。

ここは、この世界の全ての記憶が眠る場所。

星々の図書館だ。


光景に圧倒されていると、ふと隣に気配を感じた。

振り返ると、天沢要が立っていた。

彼も私と同じように、意識だけの存在になっているらしい。

そして目の前の光景に言葉を失っている。


「……よう、参謀。あんたも来てたのか」


いつもと同じ調子で声をかけると、彼ははっと我に返ったようにこちらを見た。

彼の表情には、冷静な分析者の仮面を突き破るほどの、純粋な驚愕と畏怖の色が浮かんでいた。


「星野……。これは、一体……」

「さあな。だけど、最高に面白いことになったのだけは確かだ」


私はにやりと笑い、目の前の星の一つに手を伸ばした。

ひんやりとしているが、どこか温かい。

星に触れた瞬間、膨大な情報が再び頭の中に流れ込んできた。


それは、誰かの人生の記憶だった。

この星見森学園の、初代卒業生の一人。

星命図に示された道とは違う、音楽家になる夢を追いかけた女性の物語。

何度も挫折し、それでも最後には小さな町の教会で、人々の心を癒す音色を奏でるようになった、名もなき一生だ。


「……なんだ、これ」

「星の記憶だ」


要が静かに答えた。


「ここに浮かんでいる星の一つ一つが、この学園に生きた、全ての人間の魂の記録なのかもしれない」

「魂の記録……」

「ああ。そして、我々が今いるこの場所は、占星盤のさらに奥深く。これまで誰も到達できなかった、仕組みの聖域。あるいは、この世界の法則そのものが記録された、根源的な領域だ」


要の言葉は、いつも以上に熱を帯びていた。

彼の知的好奇心が、目の前の未知の領域に極限まで刺激されているのがわかった。


「なぜ、我々がここに?」

「決まってるだろう。私たちだからだ」


私は、胸を張って言った。


「『無限の開拓者』の私と、『新世界の設計者』のあんた。この二人じゃなきゃ、この扉は開かなかった。そういうことだろ?」


私の根拠のない確信に満ちた言葉に、要は何も言い返さない。

彼も心のどこかで同じ結論に至っていたのかもしれない。


「……だとしたら、我々は、とんでもないものを手に入れてしまったことになる」


彼は、ごくりと唾を飲んだ。


「世界の過去、現在、そしておそらくは未来さえも記録された、禁断の書庫への鍵を」

「禁断、ねえ。面白いじゃないか。もっと探検してみようぜ!」


私がそう言って、別の星に手を伸ばそうとした時だった。

私たちの足元が、ぐらりと揺らぐ。

無限に広がっていたはずの宇宙空間に、亀裂が走り始めた。

私たちの意識が、この神聖な場所に長く留まることを、世界が拒絶しているようだった。


「まずいな。意識が、弾き出される」


要の声が聞こえた次の瞬間、私の意識は再び光の奔流に飲み込まれ、現実世界へと猛烈な勢いで引き戻されていった。


◆視点:天沢 要


意識が、肉体という器に叩きつけられるように戻ってきた。

目の前には中枢制御室の見慣れた光景が広がる。

床下の占星盤は、先ほどの神々しい黄金の光から、再び穏やかな虹色の光へと戻っていた。

だが、その輝きは以前よりも明らかに力強く、深みを増しているように感じられた。


「……はあ、はあ……」


隣で、星野が床に手をつき、荒い息を繰り返している。

彼女も、相当な精神的負荷を受けたのだろう。

俺自身も、立っているのがやっとだった。

全身の血が逆流したかのような、ひどい疲労感と目眩がする。

星々の記憶へのダイブ。

それは、これまで経験してきたどの精神世界の戦いとも比較にならないほど、危険な行為だった。


「……おい、大丈夫か、星野」

「……当たり前だ。これくらい……どうってことない」


彼女は強がりを言いながら、ゆっくりと立ち上がる。

その顔は真っ青だったが、瞳だけは爛々と輝いていた。

新しい遊び場を見つけた子供のような、純粋な好奇心と興奮の光だ。


俺は自分の端末を操作し、今しがた起こった現象のログデータを呼び出した。

画面には、理解不能な文字列と、見たこともないエネルギーパターンの波形が表示される。

俺の知識と論理では、到底解析できない。

だが、一つだけ確かなことがあった。

星野がモニターに触れた、あの一瞬。

彼女の『無限の開拓者』という資質と、俺の『新世界の設計者』という資質が完全に共鳴し、占星盤の仕組みに組み込まれた最後の封印を解き放ってしまったのだ。


それは、創設者である星見アキラすら意図していなかった、奇跡の産物。

占星盤の、最終進化形態への扉。

俺たちの手で、この世界の根幹を揺るがすパンドラの箱が開かれてしまった。


「二人とも、大丈夫か!?」


制御室の扉が勢いよく開き、詩織たちが血相を変えて飛び込んできた。

先ほどの黄金の光は、観測室まで届いていたらしい。


「命ちゃん! また何かやったの!?」

「まあな。ちょっと宇宙旅行に行ってきたところだ」


私のあっけらかんとした答えに、詩織は「宇宙旅行!?」と目を白黒させている。

風間は、俺と星野の消耗しきった様子を見て、すぐに事態の異常さを察したようだった。


「……ただ事じゃなさそうだな。何があったんだ、天沢」


俺は、今しがた体験したことを、できるだけ簡潔に、そして論理的に説明した。

星々の記憶。

世界の根源的な領域。

そして、俺たちがその領域への鍵を手に入れてしまった、ということを。

俺の話を聞き終えた観測室のメンバーたちは、ただ呆然としていた。


最初に沈黙を破ったのは、月島だった。


「……へえ。それってつまり、私たちはこの世界の秘密を全部、覗き見できるようになったってこと? 最高に面白いじゃないか!」


彼女は、目をきらきらと輝かせている。

さすがは、探究心の塊だ。


「面白い、じゃ済まないだろう!」


詩織が、悲鳴に近い声を上げる。


「そんな、神様みたいな力、私たちが持っていいはずないよ! きっと、何か悪いことが起こるわ!」


彼女の反応も、もっともだ。

常識的に考えれば、この力はあまりにも危険すぎる。


「で、どうするんだ? その星空ダイブとやらを、続けるのか?」


風間が、腕を組みながら俺に尋ねた。

彼の問いに、メンバー全員の視線が俺と星野に集中する。


「決まってるだろう! やるに決まってる!」


俺が答えるよりも早く、星野が宣言した。


「こんなに面白いことが目の前にあるのに、何もしないなんて選択肢はない! この世界の秘密、全部暴いてやろうじゃないか!」

「だが、星野。先ほどの精神的負荷を考えろ。あれは、下手をすれば意識が戻らなくなる可能性さえある。あまりにも危険だ」


俺は、冷静にリスクを指摘した。


「危険だから面白いんだろうが。それに、あんたがいれば大丈夫だろ、参謀?」


彼女は、何の根拠もなく、俺に絶対的な信頼を向けてくる。


「私が暴走して道に迷ったら、あんたがその優秀な頭脳で、ちゃんと現実世界に引き戻してくれる。違うか?」


その言葉に、俺は何も言い返せなかった。

そうだ。

それが、俺たちの役割なのだから。

彼女が無限の可能性へと突き進む、開拓者。

そして俺が、その道筋を照らし、安全な場所へと導く、設計者。


「……いいだろう。だが、条件がある」


俺は、覚悟を決めた。


「ダイブを行うのは、厳格な管理下でのみ許可する。事前に、俺が君の精神状態と身体状態を完全にモニタリングするシステムを構築する。少しでも危険な兆候が見られた場合は、即座にダイブを中断する。それでいいな?」

「望むところだ!」


彼女は、満面の笑みで頷いた。

こうして、私たちの新しい、そしておそらくは最も危険な冒険が始まることになった。

俺は、この新しい計画に、正式な名称を与えることにした。

プロジェクト『アカシャ』。

この世界の全ての事象が記録されるという、伝説のアカシックレコードにちなんで。

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