第25話
◆視点:星野 命
舞台裏の喧騒が嘘のように、私の周りだけが静まり返っていた。
目の前に立つ男、橘征四郎。
旧体制の守護者。完璧な秩序の信奉者。
そして、私たちに完膚なきまでに打ち負かされた、敗軍の将。
仲間たちが固唾を飲んで、私たちを見守っている。
彼はしばらく何も言わずに、私をじっと見つめていた。
その瞳にはもう、以前のような冷たい光はない。
怒りでも、憎しみでもない。
ただ、燃え尽きた後のような、空っぽの静けさだけが広がっていた。
やがて、彼は重々しく口を開いた。
「……見事だった、星野命」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「私の、完敗だ」
彼はそう言うと、深く、深く頭を下げた。
その潔い態度に、私は少しだけ驚いた。
もっと言い訳をしたり、悪態をついたりすると思っていたからだ。
「あんたが信じてきた秩序は、美しかった。完璧だった。それは認める」
私は腕を組みながら言った。
「だけどな、完璧すぎて、誰も入り込む隙間がなかったんだ。あんたの世界は、あんた一人で完成してしまっていた」
私の言葉に、彼はゆっくりと顔を上げた。
その表情には、かすかな自嘲の笑みが浮かんでいた。
「……そうかもしれんな。俺は、俺が正しいと信じて疑わなかった。俺が示す道こそが、全ての生徒を幸福に導く唯一の道だと。だが、君たちの舞台を見て、気づかされた。未来とは、道とは、一つではないのだと」
彼は講堂の方へと視線を向けた。
そこではまだ、興奮冷めやらぬ生徒たちが自分たちだけの物語について熱く語り合っている。
「彼らのあの顔を、俺はこれまで一度も見たことがなかった。星命図に示された完璧な未来を前にしても、彼らはどこか不安そうで、受け身だった。だが今は違う。誰もが自分の未来の主役になろうとしている。……あれが、君の言う『新しい世界』か」
「そうだ。めちゃくちゃで、予測不能で、失敗だらけかもしれない。だけど、最高に面白くて、わくわくする世界だ」
私は胸を張って答えた。
彼はふっと息を吐くと、再び私に視線を戻した。
そして、自分の胸につけていた生徒会の腕章を、ゆっくりと外した。
「俺は、生徒会長を辞任する。そして、この腕章を君に託したい」
彼が差し出した腕章に、私は眉をひそめた。
「いらない。そんなもの、窮屈なだけだ」
「だろうな」
彼は苦笑した。
「だが、これからのこの学園には、君のような混沌を導くための新しい秩序が必要になる。その役目は、君の隣にいる彼が担うのだろう。そして、俺は俺なりに、この学園の未来に貢献したいと思う。一人の生徒として、君たちが創る新しい世界を見てみたい」
橘征四郎は、もう私の敵ではなかった。
彼もまた、この学園の未来を真剣に考える、一人の仲間になろうとしていた。
「……面白い。いいだろう。気が向いたら、私たちの評議会に遊びに来いよ。あんたのその石頭でも、役に立つことがあるかもしれないからな」
私の言葉に、彼は初めて少しだけ楽しそうに笑った。
「ああ。検討させてもらおう」
彼はそう言うと、私たちに背を向け、雑踏の中へと静かに消えていった。
その後、星創祭の閉会式と表彰式が執り行われた。
結果は、言うまでもなく私たちの圧勝だった。
学園長が壇上で震える声で結果を発表する。
『生徒会チーム、支持率8%! 新生評議会チーム、支持率92%! よって、本年の星創祭は、新生評議会チームの勝利とする!』
その瞬間、講堂は再び地鳴りのような大歓声に包まれた。
壇上に上がった私たちは、学園長から巨大な優勝トロフィーを受け取った。
私がそれを高々と掲げると、観客席から「ホシノ!」「ホシノ!」という大コールが巻き起こる。
最高に気分が良かった。
「そして!」
学園長が、興奮した様子でさらに声を張り上げた。
「新生評議会からの提案により、本年の『最優秀夢想家賞』は、特定のチームではなく、この新しい時代の始まりを共に創り上げてくれた、ここにいる生徒諸君、全員に授与することとする!」
そのサプライズ発表に、講堂の興奮は最高潮に達した。
生徒たちは互いに肩を組み、喜びを分かち合っている。
もう革新派も保守派もない。
誰もが、新しい時代の当事者として一つになっていた。
表彰式の最後、学園長は改めて私たちの前に立つと、全校生徒の前で厳かに宣言した。
「ここに、星見森学園の全ての運営権限を、暫定的に新生評議会へ委任することを、正式に発表する! これからのこの学園の未来は、彼らに託された!」
こうして、私たちの革命は公式に認められた。
白紙の落ちこぼれだった私が、この学園の頂点に立ったのだ。
その夜、学園中が祝賀会ムードに包まれていた。
大食堂は解放され、生徒たちが遅くまで歌い、踊り、語り合っている。
私も仲間たちと共に、その輪の中心にいた。
「命ちゃん、本当に、本当におめでとう!」
詩織が、涙ぐみながらジュースの入ったグラスを掲げる。
「乾杯!」
「「「乾杯!」」」
私たちのテーブルは、いつの間にかたくさんの生徒たちに囲まれていた。
「星野さん、最高の舞台でした!」
「俺、自分の未来が見えなくて不安だったけど、なんだか勇気が出ました!」
「あんた、マジで俺たちのヒーローだよ!」
次々と差し出されるグラスに、私は片っ端から応えていく。
「当然だ! 私についてくれば、もっと面白いものが見られるぞ!」
私がそう言って笑うと、周りからまた大きな歓声が上がった。
日野も月島も風間も、そして新しく加わった仲間たちも、少し照れくさそうに、でも誇らしげにその輪の中にいた。
しばらく騒ぎの中心にいたが、私は少しだけ酔いを覚ますために、そっとその場を抜け出した。
向かった先は、夜風が気持ちいい中庭だ。
月が明るく、祝賀会の喧騒が遠くに聞こえる。
私はベンチに腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「……ここにいたのか」
静かな声がして、隣に誰かが座った。
天沢要だった。
彼も、あの騒がしい場所が苦手なのだろう。
「よう、参謀。あんたもサボりか?」
「サボりではない。システムの最終安定化作業を終えてきたところだ」
彼はそう言いながら、手にした端末を操作している。
相変わらず、仕事熱心なやつだ。
「……ご苦労なこった」
「君こそ。今日の主役は、さぞかし疲れただろう」
「これくらい、どうってことない。それより、あんたがいなきゃ、今日の勝利はなかった。それは、認めてやる」
私は、素直にそう言った。
私の無茶苦茶なアイデアを、完璧な形にしてくれたのは、間違いなくこいつだ。
「……礼を言う。参謀」
私の言葉に、彼は端末から顔を上げ、少しだけ驚いたように私を見た。
そして、ふっと息を吐くように笑った。
「……当たり前だ。全て、俺の計画通りだからな」
照れ隠しなのが、バレバレだった。
しばらく、二人で黙って夜空を見上げていた。
星が、綺麗だった。
「なあ、要」
「なんだ」
「あんたの星命図、『新世界の設計者』だったか」
「ああ」
「私の『無限の開拓者』っていうのと、なんだかお似合いじゃないか?」
私がそう言ってからかうと、彼は一瞬言葉に詰まったようだった。
そして、私の顔を見ずに、ぼそりと呟いた。
「……非論理的な発想だが、否定はしない」
その反応が面白くて、私は声を上げて笑った。
◆視点:天沢 要
祝賀会の喧騒は、俺の思考を鈍らせる。
俺はシステムの最終チェックを終えると、人混みを避けるようにして中庭へと向かった。
プロジェクト『ジェネシス』は成功した。
俺たちの革命は、ひとまずの勝利を収めた。
だが、これは終わりではない。始まりだ。
ベンチに腰を下ろすと、先客がいた。
星野命。
今日の、正真正銘の主役。
彼女は、俺の存在に気づくと、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
彼女との会話は、いつも俺の論理的な思考をかき乱す。
だが、不思議と不快ではなかった。
「あんたの星命図、『新世界の設計者』だったか」
「ああ」
「私の『無限の開拓者』っていうのと、なんだかお似合いじゃないか?」
彼女の、からかうような言葉。
俺の胸の奥が、わずかに熱くなったのを感じた。
非論理的な感情だ。
だが、この感情を否定したくないと、俺は思った。
「……非論理的な発想だが、否定はしない」
そう答えるのが、精一杯だった。
彼女の楽しそうな笑い声が、静かな中庭に響く。
彼女は、俺の完璧な世界を破壊した。
そして、俺が想像もしていなかった、新しい世界を見せてくれた。
彼女は、俺の計画における最大の変数であり、そして、俺の世界を完成させるための、唯一の答えだ。
「なあ、要」
「……なんだ」
「これから、どうするんだ? 私たち、この学園の王様になっちまったわけだが」
「王様ではない。管理者だ。そして、やるべきことは山積みだ。まずは、新しい学園の規則を制定する必要がある。それから、新しいカリキュラムの構築。生徒たちの自主性を尊重しつつ、無秩序な混乱に陥らないための、最低限のルール作りも必要になる」
俺がいつもの調子でそう答えると、彼女は「うへえ」と、心底面倒くさそうな顔をした。
「そういう細かいことは、全部あんたに任せる! 私は、もっと面白いことを考えるからな!」
「……だろうと思った」
俺は、ため息をついた。
だが、それでいい。それが、俺たちの役割分担なのだろう。
「一つだけ、懸念事項がある」
俺は、少しだけ真剣な声で言った。
「なんだ?」
「占星盤だ。俺たちの手で生まれ変わったあの仕組みは、まだ完全に安定しているとは言えない。そして、俺にも、おそらくは創設者である星見アキラにさえ予測できなかった、未知の変化を起こし始めている」
俺は、端末の画面に、あるデータを表示した。
それは、星野命の『無限の開拓者』という称号が、占星盤のシステム全体に与えている影響を示すグラフだった。
彼女の存在そのものが、仕組みの根幹を、今この瞬間も、緩やかに、しかし確実に、書き換え続けている。
「なんだ、これ。ミミズが這ったみたいな線だな。さっぱりわからん」
「……君のその規格外の力が、占星盤に、そしておそらくは、この世界の運命そのものに、予測不能な影響を与え始めているということだ」
俺は、彼女にわかるように、できるだけ簡単な言葉で説明した。
彼女は、しばらくその複雑なグラフを眺めていたが、やがて、にやりと笑った。
「面白いじゃないか。予測不能、望むところだ」
彼女は、少しも動じていなかった。
「世界の運命がどうとか、難しいことはわからん。だけどな、要」
彼女は、俺の目をまっすぐに見て言った。
「どんな未来が来たって、あんたが隣にいれば、なんだってできる気がする」
その言葉は、何の計算も、駆け引きもない、彼女のまっすぐな心からの言葉だった。
俺は、何も言い返せなかった。
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