第24話

◆視点:天沢 要


制御室のモニターに、二度目の投票結果が表示されていく。

その数字の動きを、俺は固唾を飲んで見守っていた。

橘は先ほどよりもさらに強力な、第二波の攻撃を仕掛けてきていた。

それはもはや投票結果の改竄というような、小手先の技ではない。

俺が構築した『ジェネシス』のシステムと占星盤の中枢を繋ぐ経路そのものを、物理的に遮断しようとする危険な攻撃だった。


もしこの経路が断たれれば、俺たちは占星盤の膨大な演算能力を失う。

プロジェクト『ジェネシス』は、その心臓部を失い、ただの出来の悪い演劇へと成り下がるだろう。


「……させるか」

俺はキーボードを叩く指の速度を、さらに上げた。

橘が経路を遮断するために構築してくる防御壁。

俺はその壁が完成するコンマ数秒前に、別の迂回経路を即席で作り出す。

それは学園のネットワークの誰も気づいていないような、わずかな隙間を繋ぎ合わせて作った、蜘蛛の糸のように細くか弱い経路だった。

だが、それで十分だった。

橘が俺の作った迂回経路に気づき、それを破壊しようとするその一瞬だけ、占星盤との接続を維持できればいい。

その一瞬の間に俺たちのシステムは、次の展開に必要な膨大な量の未来予測データを占星盤から引きずり出す。

そしてそのデータを使って、次の数分間の物語を自律的に生成するのだ。


これは綱渡りだ。

橘が壁を作り、俺がそれを避ける。

そのコンマ数秒の攻防が、途切れることなく何十回、何百回と繰り返される。

俺の全神経が、研ぎ澄まされていく。

もはやキーボードを叩いているという感覚すらない。

俺の意識そのものがシステムと一体化し、光の速さで情報空間を駆け巡っていた。


そしてついに、投票が締め切られた。

結果は、

『秩序の王を信じる』、3%。

『混沌の女王を信じる』、97%。


圧倒的だった。

観客は星野命が示す、混沌と創造の未来を選んだのだ。

だが物語は俺たちの、そしておそらくは星野自身の想像すら超えた、第三の道へと進んでいく。

投票結果が表示された、その直後。

観客席の一人の生徒が、叫んだのだ。


「どっちかを選ぶなんて、できない! 俺は、どっちも欲しい!」


その一言が、引き金だった。

次々と観客たちが、思い思いの願望を叫び始めた。


「そうだ! 王様の安定も、女王様の刺激も、両方なくちゃつまらない!」

「毎日、平和に暮らしたい! でも、たまにはめちゃくちゃな冒険もしたい!」

「世界一のパン屋になりたいけど、世界を救う英雄にもなりたいんだ!」

「最高の恋がしたい!」

「お金持ちになりたい!」

「空を飛びたい!」


講堂は、何千人もの欲望と夢と希望の叫びに包まれた。

これは脚本にない。

システムが予測したどの未来にも、存在しない展開だった。

日野がその観客たちの声を巧みに拾い上げ、一つの巨大なコーラスのように講堂全体に響き渡らせる。

それは不協和音のようで、しかし不思議なほどに美しい魂の歌だった。


◆視点:星野 命


観客たちのむき出しの叫びが、私の全身に突き刺さる。

そうだ。

それでいい。

あんたたちの本当の声が、聞きたかったんだ。

秩序か、混沌か。

そんな窮屈な二択で、満足できるはずがない。

人間の欲望は、人間の夢は、もっとめちゃくちゃで、わがままで、美しいものなんだ。


私は秩序の王を演じる三年生の彼に向かって、手を差し伸べた。

「なあ、王様。あんたの言う安寧もきっと必要だ。誰もが安心して眠れる夜がなきゃ、いい夢は見られない」

そして私は、観客席に向かって叫んだ。

「だけどな! 退屈なだけの平和なんてこっちから願い下げだ! 私たちは失敗して、道に迷って、めちゃくちゃな冒険をして、それでも笑えるような未来が欲しいんだ!」


私の言葉に、王はしばらく黙って私を見つめていた。

彼の完璧な演技の仮面が、少しずつ剥がれていく。

そして彼はゆっくりと、私の手を取った。

「……面白い。君の言う、新しい世界も悪くないのかもしれんな」


その瞬間、舞台の上で秩序と混沌が手を取り合った。

詩織の震える声のナレーションが、その奇跡の瞬間を美しい言葉で紡いでいく。

「こうして王と女王は争うことをやめました。彼らは互いの違いを認め合い、そして気づいたのです。光だけでも、闇だけでも、世界はこんなにもつまらない、ということに」


舞台の上が、これまでで最も美しい光に包まれた。

月島がありったけの素材を使って作り出した虹色の結晶が、天井から雪のように舞い降りてくる。

鉄くんのからくり人形たちが王の兵士も女王のしもべも一緒になって、楽しそうに祝福のダンスを踊り始める。

小鳥遊さんの動物たちが喜びの歌を歌い、双葉さんの植物たちが一斉に美しい花を咲かせた。


それは詩織の脚本にも要の設計図にもなかった、完全な即興のフィナーレ。

この瞬間、この場所にいた全ての者たちの魂が一つになって創り上げた、奇跡の光景だった。

私はその光の中心で、ただ笑っていた。

ああ、なんてめちゃくちゃで、なんて美しい世界なんだろう、と。


物語は終わった。

一瞬の静寂の後、講堂は割れんばかりの万雷の拍手と熱狂的な歓声に包まれた。

誰もが立ち上がり、涙を流し、笑いながら舞台の上の私たちに賞賛を送ってくれている。

客席の隅で、橘征四郎がただ呆然とその光景を立ち尽くしているのが見えた。

彼の信じてきた完璧な秩序が、私たちのめちゃくちゃな混沌に完膚なきまでに打ち負かされた瞬間だった。


そして私たちの最後の仕掛けが、発動する。

興奮冷めやらぬ観客たちの端末に、要が仕込んだ『未来の可能性の物語』が一斉に送信されたのだ。

あちこちで「うわっ、何これ!」という驚きの声が上がる。

そして生徒たちは、自分だけに送られてきた自分だけの物語を読み始め、ある者は静かに涙し、ある者は隣の友人と嬉しそうにそれを見せ合っていた。


私たちの革命は、ただの熱狂では終わらない。

一人ひとりの未来へと、確かに繋がったのだ。


舞台裏は成功の喜びに沸いていた。

「やった……! やったよ、命ちゃん!」

詩織が泣きながら私に抱きついてくる。

「ああ、やったな、詩織! あんたの物語は最高だった!」


日野も月島も風間も、そして新しく加わった仲間たちも、互いの健闘を讃え合い、涙を流し、笑い合っていた。

私もそんな仲間たちの輪の中心で、心の底から喜びを噛み締めていた。


その時だった。

舞台裏の薄暗い通路の向こうから、一人の男がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。

橘征四郎だった。

彼は周りの喧騒には目もくれず、まっすぐに私の前にやってきて立ち止まった。

仲間たちが緊張した面持ちで、彼と私を交互に見ている。

彼はしばらく何も言わずに、私をじっと見つめていた。

そしてやがて、重々しく口を開いた。

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