第23話

◆視点:星野 命


眩い光と、地鳴りのような歓声。

舞台の幕が上がり、私は何千人もの観客の視線を一身に浴びていた。


心臓が高鳴る。

怖いんじゃない。武者震いだ。

これからこの場所で、私たちが歴史を創る。


舞台袖から、詩織の声が響き渡った。

少し震えているけれど、凛とした声だ。

「これは、まだ何者でもなかった一人の少女が、自分だけの物語を見つけるまでの、始まりの物語――」


彼女の語りを合図に、私たちの世界が動き出す。

月島が創り出した、霧のように立ち込める虹色の煙。

日野が奏でる、遠い世界の風のような不思議な音色。

そして私の頭の中に、風間の記憶投影が流れ込んでくる。

閉ざされた村の、穏やかで退屈な日々のイメージ。


観客たちが一瞬で息を飲むのがわかった。

彼らはもう、ただの観客じゃない。

私たちの世界の、最初の住人だ。


物語は詩織の脚本通りに穏やかに、しかし確実に進んでいく。

私が演じる村の少女が、外の世界への憧れを募らせていく。

鉄くんのからくり人形たちが演じる村人たちは、そんな私を心配そうに、あるいは訝しげに見つめている。

小鳥遊さんの鳩たちが、外の世界からの便りを運んでくるかのように、舞台の上を優雅に飛び交う。

双葉さんの植物たちが私の心情に呼応するように、舞台の隅でゆっくりと蕾を開いたり、閉じたりしている。


全てが、完璧に調和していた。

そして物語は、最初の大きな転換点を迎える。

秩序の王と、混沌の女王。

二人の使者が、私をそれぞれの世界へと誘いに来る。


舞台は一度暗転し、再び光が灯った時、私の前には二つの道が示されていた。

一つはどこまでも続く、まっすぐで美しい白亜の道。

秩序の王へと続く道だ。

もう一つは茨が絡みつき、道の先が見えない、険しくも魅力的な獣道。

混沌の女王へと続く道。


「さあ、選ぶがいい!」

詩織の語りが、講堂に響き渡る。

「君が、進むべき未来を!」


その瞬間、観客席の全ての生徒たちの端末に、投票画面が表示された。

『秩序の王』か、『混沌の女王』か。

講堂内が、一気にざわめきに包まれた。


「おい、本当に選べるぞ!」

「どっちにする!?」

「やっぱり、王道は秩序の王だろう」

「いや、混沌の女王の方が面白そうだ!」


観客たちが友人たちと顔を見合わせ、楽しそうに、あるいは真剣に、自分たちの選択について語り合っている。

これだ。

これこそが、私たちが創りたかった光景だ。

与えられた未来をただ受け入れるんじゃない。

自分たちで未来を選び取り、物語の当事者になる。


私は舞台の上から、客席の一番後ろで腕を組んでこちらを見ている橘征四郎の姿を捉えた。

彼の表情は相変わらず冷たいままだ。

だが、その瞳の奥にほんのわずかな動揺の色が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。

あんたが創り出した完璧な儀式では絶対に生み出せない熱狂が、今ここに生まれているんだ。


◆視点:天沢 要


制御室のメインモニターに、投票結果がリアルタイムで表示されていく。

秩序の王、48%。

混沌の女王、52%。


拮抗している。

生徒会の完璧な舞台を見た後ではもっと秩序の王側に票が流れると予測していたが、星野たちの創り出した世界の魅力が観客の心を掴んでいるようだった。


投票が締め切られ、システムが自動的に『混沌の女王』ルートのシナリオを選択した、その瞬間。

橘の攻撃が始まった。

リハーサルの時のような小手先の妨害ではない。

俺が構築した投票集計システムそのものに、直接介入してきた。

モニターに無数の意味不明なデータが流れ込み、集計結果を強制的に書き換えようとしてくる。


『投票結果:秩序の王 99%、混沌の女王 1%』


ふざけた数字が、一瞬だけモニターに表示された。

「……幼稚な手を」

俺は冷静に呟いた。

リハーサルの時、奴は俺の『論理』の裏をかこうとしてきた。

だが今回は違う。

より直接的に、力ずくで奴の望む『秩序』を押し付けようとしてきている。

よほどさっきの拮抗した投票結果が、プライドに障ったらしい。


俺はキーボードを操作する。

プランB、『混沌との共演』。

この妨害さえも、演出に変える。

俺は橘が送り込んできた不正なデータを、除去するのではなくシステムに取り込んだ。

そしてそのデータを、『世界の外部からの干渉』という新しいパラメータとして物語に組み込む。


舞台の上の照明が、再び激しく明滅を始めた。

だが今回はリハーサルの時のような、不気味な明滅ではない。

白と黒の光がチェス盤の上で駒がぶつかり合うように、激しく、しかしどこか規則的に点滅を繰り返す。


そして俺は風間に新しい指示を送った。

『観客の脳裏に、秩序の王と混沌の女王、二つの力が今、舞台の裏で激しくせめぎ合っているイメージを投影しろ』と。


観客たちが「おおっ」とどよめくのが見えた。

彼らにはこのシステムトラブルが、物語の壮大な演出の一部に見えているはずだ。

俺は橘の不正な介入によって汚染された投票結果を、そのまま舞台に反映させた。

つまり、観客の本当の選択は『混沌の女王』だったにも関わらず、舞台上の物語は強制的に『秩序の王』ルートへと進み始めるのだ。


舞台袖にいる詩織のイヤホンに、システムが自動生成した新しいナレーションが送られる。

彼女は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに俺の意図を理解し、その完璧な語りを始めた。

「少女が混沌への道を選ぼうとした、その時! 天から一条の光が差し、偉大なる秩序の王が、その選択に『待った』をかけたのです!」


そうだ。

これでいい。

観客は自分たちの選択が、何者かの力によってねじ曲げられたことを知る。

物語の理不尽な展開に、彼らはより一層感情移入するだろう。

そしてこの理不尽な運命を覆したいと、強く願うはずだ。

橘、お前の攻撃は俺たちの物語をより面白くするための、最高のスパイスになった。


◆視点:星野 命


舞台の上が、ありえない展開になっていた。

観客は混沌の女王を選んだはず。

なのに私の目の前には、白亜の道がどこまでも伸び、荘厳なファンファーレが鳴り響いている。

秩序の王の軍勢を演じる鉄くんのからくり人形たちが、私を迎え入れるように整然と並んでいた。


「どういうことだ、要!?」

私はイヤホンに向かって叫んだ。

「プランBだ。橘の妨害を演出に変えた。お前はこの理不尽な運命に抵抗する主人公を演じろ。観客はそれを望んでいる」

要の冷静で、しかしどこか楽しそうな声が聞こえてきた。


なるほど。

面白いじゃないか。

望むところだ。

私は秩序の王の使者として歩み寄ってきたからくり人形を、一瞥もせずに蹴り飛ばした。


「ふざけるな!」

私は舞台の上で、心の底から叫んだ。

「私の道は私が決める! 誰にも指図はさせない!」


私の叫びに、観客席から「そうだー!」という野太い声援が飛んだ。

見ると、屈強な体格をした体育会系の生徒たちが拳を振り上げている。

彼らは、おそらく秩序の王に投票したのだろう。

だが今や、そんなことは関係ない。

彼らもまた、この理不尽な展開に心を燃やしているのだ。


物語は完全に、脚本から逸脱した。

秩序の王の世界へと強制的に連れてこられた私が、その完璧すぎる秩序の世界で大暴れを始める。

私は整然と並べられた王の食卓をひっくり返し、完璧に演奏されていた宮廷音楽をめちゃくちゃに歌った。

そして双葉さんの協力のもと、美しく飾られた庭園の植物たちをジャングルのように生い茂らせた。


私の行動は、全てアドリブだ。

だが仲間たちが、完璧にそれに合わせてくれる。

私が食卓をひっくり返せば、月島が作った割れないお皿が派手な音を立てて飛び散る。

私が歌えば、日野がその歌声を世界を揺るがすロックミュージックへと変換する。


観客の興奮は、最高潮に達していた。

彼らはもはや静かに座って物語を鑑賞してはいない。

立ち上がり、拳を突き上げ、私の名前を叫んでいる。


「いけー! ホシノ!」

「全部、ぶっ壊せー!」


そして物語は、中盤の最も大きな選択肢へと差し掛かる。

私の前に、ついに秩序の王が姿を現したのだ。

王を演じるのは演劇課程のエースで、一度は私たちの誘いを断ったあの三年生の男子生徒だった。

いつの間にか彼は、私たちの革命に参加していたらしい。


彼の演技は完璧だった。

威厳に満ち、冷徹で、しかしどこか悲しみを湛えた絶対的な王。


「愚かなる娘よ」

王が静かに、しかし講堂の隅々まで響き渡る声で言った。

「なぜこの完璧な秩序を乱す。なぜ安寧を拒む。混沌の先に待つのはただの破壊と虚無だけだというのに」


「違う!」

私は叫び返した。

「あんたの言う安寧はただの退屈だ! 破壊の先には新しい創造が待っている! 虚無の中からこそ本当の希望は生まれるんだ!」


王と私の、理念の全面対決。

その時、再び詩織のナレーションが響き渡った。

「さあ、再び選ぶがいい! この世界に生きる、全ての者たちよ!」


観客の端末に、新しい選択肢が表示される。

『秩序の王の言葉を信じ、彼の元で世界の安寧を取り戻す』

『混沌の女王の言葉を信じ、彼女と共に全てを破壊し、新しい世界を創造する』


観客たちが固唾を飲んで、その選択肢を見つめている。

講堂は先ほどまでの熱狂が嘘のように、静まり返っていた。

誰もがこの世界の運命を、自分たちの手に委ねられていると理解していた。


客席の橘は苦々しい表情で、舞台を睨みつけている。

彼の仕掛けた妨害がことごとく、私たちの物語を盛り上げる燃料にしかなっていないことに気づいているのだろう。

だが彼もまた、もうこの物語から目を離すことはできないはずだ。

彼が信じる秩序が今まさに、観客たちの手によって裁かれようとしているのだから。

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