第19話
◆視点:星野 命
観測室の白板は、天沢要が書きなぐった数式と設計図で真っ黒になっていた。
プロジェクト『ジェネシス』。
私たちの革命、その全てを懸けた壮大な計画だ。その心臓部となる脚本会議が今、始まろうとしていた。
テーブルの中央には、詩織が震える手で差し出した一冊のノートが置かれている。
『白紙の地図を広げて』。
そのタイトルだけで、私は胸が熱くなるのを感じた。
「よし、始めようか」
要がシステムの設計図から顔を上げ、静かに言った。
彼が指名したのは、この物語の産みの親である詩織だった。
「鈴原、まずは君が考えたこの物語のあらすじを皆に説明してくれ」
「は、はい!」
詩織は緊張で顔を真っ赤にしながらも、こくりと頷きノートを開いた。
「えっと……これは、生まれた時から自分の村から一歩も出たことがない、一人の女の子が主人公の物語です。村には古くからの掟があって、誰もがその掟に従い、決められた役割を果たして生きています。でも、主人公の女の子だけは空を見上げて、いつも『この山の向こうには、どんな世界が広がっているんだろう』って夢見ていて……」
詩織の語る物語は、素朴で優しく、そしてどこか切ない響きを持っていた。
それは星命図という絶対的なルールに縛られていた、この学園の生徒たちの姿そのものだった。
「ある日、女の子の前に二人の旅人が現れます。一人は世界中のあらゆる知識が記された完璧な地図を持つ賢者。もう一人は地図を持たず、自分の直感だけを頼りに見たこともない場所へと突き進んでいく冒険家。二人は女の子にそれぞれ違う世界の魅力を語り、一緒に旅に出ようと誘うんです。女の子はどちらの旅人と共に村を出るべきか、生まれて初めて自分の意志で未来を選ばなければならなくて……」
「なるほどな。賢者が『秩序』、冒険家が『混沌』の象徴というわけか」
風間が腕を組みながら呟いた。
「素晴らしい物語だ、鈴原。君の優しさが詰まっている」
要も静かに、しかし心の底から称賛しているのがわかる声で言った。
だが、私はこのままでは少しだけ物足りないと感じていた。
詩織の物語は確かに美しい。だが橘たち生徒会が作るであろう、荘厳で完璧な舞台に対抗するには、もっと強烈な毒と刺激が必要だ。
「なあ詩織。この物語、もっと派手にしないか?」
私の言葉に、詩織が「え?」という顔でこちらを見た。
「賢者と冒険家っていうのもいいけど、いっそ『世界の全てを支配する絶対的な秩序の王』と、『世界の全てを破壊しゼロから創り変えようとする混沌の女王』っていう設定はどうだ!」
「お、王と女王!?」
詩織が目を白黒させている。
「そうだ! そして主人公の女の子は、どちらかの誘いに乗るだけじゃない! 王を倒して自分が新しい世界の秩序になるか、女王を倒して混沌の中から自分だけの楽園を創り出すか! いや、いっそ王と女王、二人まとめて倒して全く新しい第三の道を選ぶことだってできる! その選択を全部、観客に委ねるんだ!」
私の過激な提案に、月島が「それ、面白い!」と目を輝かせた。
「混沌の女王、最高じゃないか! その女王が身につけるアクセサリー、私が作るよ! 普段は漆黒だけど、女王の感情が高ぶると虹色に輝き出す特殊な鉱石があるんだ! それを使おう!」
「そ、それなら秩序の王の玉座がある城は、僕の音響で作れます!」
日野も興奮した様子で続いた。
「音が全くしないんです。自分の心臓の音と息遣いだけが嫌でも耳につくような、絶対的な静寂。でもその静寂自体がものすごい圧力となって観客に襲いかかる……そんな特殊な音響空間を作り出せます!」
「王と女王、ねえ。くだらない神様ごっこみたいだが」
風間はそう言いながらも、その口元は楽しそうに歪んでいた。
「どうせなら観客がどっちに感情移入するか、俺の記憶投影で裏から操ってやるのも面白いかもな。秩序の王を支持する観客には世界の崩壊の記憶を。混沌の女王を支持する観客には抑圧された自由への渇望の記憶を、それぞれサブリミナル効果のように脳に送り込んでやる」
みんなのアイデアが、詩織の優しく小さな物語をとてつもなく壮大で危険なエンターテイメントへと作り変えていく。
詩織はあまりの展開の速さに、頭が追いついていないようだった。
「そ、そんな……! 私が考えた物語が、なんだかすごいことに……!」
「いいんだよ、詩織! これが私たちのやり方だ!」
私は彼女の肩を力強く叩いた。
そして話は自然と、この壮大な物語の役者を誰がやるのかという方向へと進んでいった。
「まあ、やるからには主役は私だろうな!」
私が当然のようにそう言うと、誰も異論は挟まなかった。
「混沌の女王役、面白そうだ! 世界をぐちゃぐちゃにしてやる!」
「じゃ、じゃあ、私は語り手として舞台の隅から物語の進行をお手伝いするわ! 私の書いた物語がみんなの力でどんな風に変わっていくのか、一番近くで見ていたいから!」
詩織も自分の役割を見つけたようだった。
だが問題は、他にもたくさんの役者が必要だということだった。
秩序の王、王に仕える騎士たち、女王に心酔する革命家たち。そして物語の鍵を握る村人たち。
私たちは早速、学園の演劇課程の生徒たちに声をかけて回った。
だが反応は予想以上に冷ややかだった。
「……新生評議会の出し物? すまないが、協力はできない」
演劇課程のエースと呼ばれる三年生の男子生徒は、申し訳なさそうな、しかしきっぱりとした口調で私たちの誘いを断った。
「橘生徒会長から通達があったんだ。『新生評議会の計画に協力する者は、旧体制への反逆者と見なす』とね。俺たちは上級生だ。橘会長が守ろうとしているこの学園の伝統の重みも理解できる。君たちのやろうとしていることは面白いとは思うが、あまりにも危険すぎる」
彼の言葉は、他の生徒たちの意見を代弁しているようだった。
橘たちの圧力は私たちが思う以上に、学園の隅々まで浸透していた。
特にこれまでの秩序の中で高い評価を得てきた優秀な生徒ほど、保守的な考えに傾いているようだった。
「どうするんだ、命。これじゃ役者が一人も集まらないぞ」
何人もの生徒に断られ続け、観測室に戻ってきた私たちは重い空気に包まれていた。
風間が苛立たしげに舌打ちをする。
「ちっ。くだらない連中だ。自分で考えることもできず、ただ権力者に尻尾を振るだけか」
「……仕方ないよ。みんな自分の立場を守るのに必死なんだ」
詩織が悲しそうに俯いた。
このままでは私たちの計画は、始まる前に頓挫してしまう。
私が「こうなったら私一人で全員分の役をやってやる!」と無茶苦茶なことを言い出そうとした、その時だった。
コンコン、と観測室の扉が控えめにノックされた。
「……どうぞ」
要が訝しげに答えると、扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、私たちが見たこともない数人の生徒たちだった。
その誰もがどこか普通とは違う、独特の雰囲気を醸し出していた。
「……あの、ここが新生評議会のアジトで合ってますか?」
先頭に立っていた小柄な女子生徒が、おどおどと尋ねた。
彼女の肩にはなぜか、一羽の真っ白な鳩がちょこんと乗っている。
「アジトじゃないが、まあそうだ。あんたたちは?」
私が尋ねると、彼女は少しだけ頬を赤らめた。
「私、動物言語学課程の小鳥遊(たかなし)そらって言います。この子たちとお話するのが得意で……」
彼女がそう言うと、肩の上の鳩が「ぽっぽー」と鳴いた。
「噂、聞きました。皆の投票で結末が変わる演劇をやるって。なんだかすごく面白そうだなって思って。それで、もし動物の役が必要なら、私とこの子たちに手伝わせてもらえないかなって……。この子たち、結構演技上手なんですよ?」
彼女の後ろからも次々と生徒たちが名乗りを上げた。
「俺は工学課程の鉄(くろがね)はじめ。機械いじりだけが生きがいでさ。あんたらのその無茶苦茶な舞台装置、作るの手伝わせてくれよ。俺の作った自律思考型の小型からくり人形を使えば、村人役くらいなら自動でできるぜ」
「わ、私は植物栽培課程の双葉(ふたば)めぐみ……。あの、お花の役とか森の役とかありませんか……? 私、植物の気持ちが少しだけわかるので……」
現れたのは、動物と話し、からくり人形を作り、植物の気持ちがわかるという、風変わりな才能を持つ生徒たちばかりだった。
彼らはこれまでのどの専門課程の枠組みにも、うまくはまれなかった者たち。
私たちと同じ『はぐれ者』だった。
「……面白い。あんたたち、全員採用だ!」
私は満面の笑みで彼らを観測室へと招き入れた。
私たちの革命に、新しい頼もしい仲間が加わった瞬間だった。
◆視点:天沢 要
星野たちが新しい仲間たちとわいわい盛り上がっている間、俺は一人、観測室の隅で自分の端末と睨めっこを続けていた。
プロジェクト『ジェネシス』の心臓部となるシステムの構築。
それは俺にしかできない、孤独な戦いだった。
俺がやろうとしていることは、控えめに言っても前代未聞の領域だ。
学園の中央管理ネットワークに、管理者権限を強制的に乗っ取る形で不正に侵入する。
そして暴走が鎮まったとはいえ未だ不安定な占星盤の、膨大な演算能力の一部を俺たちの私的な目的のために借用する。
かつての俺ならば、秩序を乱す最も忌むべき行為として絶対に許さなかっただろう。
だが今の俺にためらいはなかった。
新しい秩序を創造するためには、古い秩序を一度破壊する必要がある。
皮肉なものだ。俺は今、俺が最も軽蔑していたはずの星野命と全く同じことをやろうとしている。
俺は指先に意識を集中させた。
何百行にも及ぶ複雑な命令文を、驚異的な速度で端末に打ち込んでいく。
まずは学園のメインシステムへの侵入口を探す。
通常のルートは全て厳重な防御壁で閉ざされている。
だが完璧なシステムなどこの世には存在しない。
必ずどこかに設計者が意図せぬ形で残してしまった、小さな歪みがあるはずだ。
俺はシステムの膨大なログデータを解析し始めた。
数時間後。俺はついにそれを見つけ出した。
数年前に一度だけ行われたシステムの緊急点検作業の際に一時的に開けられ、そして閉じ忘れられていた裏口。
俺はそこから音もなくシステム内部へと侵入した。
だが俺の侵入は即座に検知されたようだった。
端末の画面に警告を示す赤い文字が点滅する。
『警告:管理者権限外からの不正なアクセスを検知。アクセス元を特定中。直ちに接続を解除してください』
そしてその警告文の下に、もう一つ短い個人からの通信文が表示された。
『……君か、天沢。やはり動いたな』
橘征四郎。
彼は生徒会長としてシステムの一部の監視権限を持っている。
俺が動くことを予測していたのだろう。
次の瞬間。システムの内部構造が目まぐるしく変化し始めた。
橘が俺を排除するために、防御壁をリアルタイムで再構築しているのだ。
俺が進もうとする通路が次々と塞がれていく。
「……面白い」
俺は口元にかすかな笑みを浮かべた。
ただのお飾りの生徒会長ではなかったというわけか。
ならばこちらも少しだけ本気を出させてもらう。
俺は思考の速度をさらに加速させた。
橘の思考パターンを読む。
彼は『法の守護者』。彼の行動は常に規則と論理に基づいている。
ならば彼の防御は予測可能だ。
俺は彼が次にどの通路を塞ぐかを正確に予測し、そのコンマ数秒前に別の通路へと駆け抜ける。
まるで未来予知でもしているかのように、俺は彼の仕掛ける全ての罠をすり抜けていった。
これはもはやハッキングではない。
システムという盤上で行われる、俺と橘の思考のチェスだ。
そして数十ターンに及ぶ攻防の末。
俺はついに彼の王の首にチェックメイトをかけた。
俺が送り込んだ最後の命令文が、彼の全ての監視権限を一時的に凍結させる。
『……見事だ、天沢。今のこの学園で、俺をここまで追い詰められる者がいるとはな』
画面に表示された彼の最後の通信文には、悔しさと、そしてどこか好敵手を見つけたかのような奇妙な賞賛の色が混じっていた。
俺は彼の通信には答えず、ただ黙々と作業を続けた。
占星盤の中枢。その無限とも思える演算能力のほんの一部へと、俺たちのプロジェクト『ジェネシス』を接続する。
数日後。俺は観測室にメンバー全員を集めていた。
システムの基礎部分がついに完成したのだ。
「……これから最初の小規模なリハーサルを行う」
俺は観測室の中央に設置した簡易的な舞台と、観客席に座る星野たちを交互に見た。
舞台に立つのは新しく仲間になった、からくり人形使いの鉄はじめが作った二体の小さな人形。
観客役は詩織と動物たち、そして植物たちだ。
「それでは始めるぞ。プロジェクト『ジェネシス』、第一次起動実験、開始」
俺が端末の起動ボタンを押すと、観測室の空気が変わった。
日野が作り出した不思議な音響が部屋を包み込む。
風間が観客役の詩織の脳裏に、物語の導入部の記憶の断片を送り込む。
舞台の上で二体の人形がぎこちなく動き始めた。
そして物語は最初の選択の時を迎える。
俺の端末に、詩織からの投票結果が表示された。
『選択:冒険家と共に旅に出る』
俺はその結果を即座にシステムに反映させる。
舞台の人形が動きを変え、日野の音響が勇壮な音楽に切り替わり、風間の記憶投影がまだ見ぬ広大な世界のイメージを映し出す。
それはまだあまりにも荒削りで、おもちゃのような小さな演劇だった。
だがそこにいる誰もが確信していた。
私たちは今、誰も見たことがない新しいエンターテイデントが生まれる、その最初の瞬間に立ち会っているのだと。
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