第11話
地下ドームの中は、水晶が放つ清らかな光に満たされ、静寂に包まれていた。だが、私の手の中にある端末は学園中から発せられる悲鳴を拾い続け、狂ったように振動している。画面には、詩織からの混乱した通信が何十件も表示されていた。
『命ちゃん、どうしよう! 星命図が、真っ黒になっちゃった!』
『みんな、自分の未来が見えなくなって、大騒ぎしてるよ!』
詩織だけではない。学園の公式掲示板も、生徒たちの絶望と混乱の書き込みで埋め尽くされている。
隣に立つ天沢要も、自身の端末を厳しい表情で見つめていた。
「占星盤が完全に暴走している。全生徒の星命図データが物理的に破損、あるいは初期化されているようだ。前代未聞の事態だ」
この大混乱は、間違いなく私たちが『失われた星』を起動したせいだ。私と要が、学園の秩序を根底からひっくり返してしまった。
「責任、取れるのかよ、あんたら」
風間が皮肉っぽく、しかしどこか不安そうな声で呟いた。
その時、私たちの頭の中に再びあの老人の声が穏やかに響いた。
『落ち着きなさい、我が子らよ。これは破壊ではない。再生の始まりなのだ』
続いて、あの凛とした女性の声が私たちの不安を優しく包み込むように語りかける。
『占星盤が示した未来は、あくまで数多ある可能性の一つに過ぎません。それを絶対の運命としてしまったのは、後の時代に生きた人間たちの過ち。今、全ての可能性が本来あるべき白紙の状態に戻されたのです』
「……どういうことだ?」
要が訝しげに問いかける。
「あんたたちは一体誰なんだ? この学園の本当の秘密を教えてくれ」
私も水晶に向かって強く語りかけた。
『よろしい。語ろう。長きにわたり、誰にも知られることのなかった、我々の物語を』
そして、初代学園長――名を、星見アキラという――と、その伴侶であった女性――月詠ルナ――の壮大な物語が、私たちの意識の中に直接流れ込んできた。
アキラは天才的な研究者だった。彼は星々の運行から未来の出来事を極めて正確に予測する力を持っていた。彼はその力を人々の幸福のために使いたいと心から願っていた。
そんな彼の前に一人の女性、ルナが現れる。彼女は特別な力を持っていたわけではない。だが、彼女にはどんな未来予測も覆すほどの強い意志と自由な魂があった。「運命は、決められるものじゃない。自分で創り出すものよ」と、彼女はいつも笑っていた。
二人は恋に落ちた。正反対の性質を持つ二人は互いに強く惹かれ合った。そして、共に未来を担う若者たちのための理想の学び舎を創り上げるという共通の夢を抱いた。それが、この星見森学園の始まりだった。
アキラは自身の力の集大成として『占星盤』を創り出した。それは生徒一人ひとりが持つ無限の可能性を道標として示してくれるはずだった。
だが、彼は同時に恐れていた。自分の力があまりにも強大すぎることを。可能性を示すはずの星命図が、逆に生徒たちの未来を一つの道に縛り付けてしまう呪いになるのではないかと。
そんなアキラの不安をいつも吹き飛ばしてくれたのがルナだった。「大丈夫。どんな未来が示されようと、それをどう生きるかを選ぶのはその子自身よ。人間の意志の力を信じなさい」と。
しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。ルナは若くして重い病に倒れ、アキラのどんな未来予測も覆すことができず、この世を去ってしまった。
最愛の人を失ったアキラの悲しみは計り知れないほど深かった。彼は絶望の淵で一つの決意をする。
彼女が信じた人間の「意志の力」。それを決して失われることのない永遠の仕組みとして、この学園に遺そうと。
そうして密かに創り出されたのが『失われた星』だった。
この水晶は、占星盤の完璧すぎる予測を根底から覆す「意志の力」の結晶。そして、その核には月詠ルナの魂の一部が宿っているのだという。
アキラ自身もまたその生涯を終えた後、その魂を占星盤とこの『失われた星』に宿し、愛するルナと共に学園の運命を見守る監視者となっていたのだった。
『白紙』の星命図。それは占星盤の予測を受け付けない、ルナと同じ自由な魂の資質を持つ者がこの学園に現れた証。
そして、『北極星の資質』。それは占星盤の全ての秩序を司るアキラの魂の資質を色濃く受け継ぐ者の証。
二つの対極の魂が同じ時代にこの学園で出会うこと。それこそがアキラとルナが未来に託した最後の希望。仕組みに組み込まれた必然の出会いだった。
「……つまり、私と、こいつは……」
私が呆然と呟くと、アキラとルナの声が優しく重なった。
『そう。君たちは我々の遺志を継ぐ者。この学園を古い運命の軛(くびき)から解放し、新たな時代へと導く二つの極星なのだ』
壮大すぎる真実に、日野も月島も風間もただ言葉を失って立ち尽くしている。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。学園の混乱は刻一刻と悪化している。このままでは生徒たちの暴動が起きかねない。
「話はだいたいわかった。だが、まずこの状況を何とかしなければ、あんたたちの愛の物語もただの悲劇で終わるぞ」
要がどこまでも冷静に、現実的な問題を指摘した。
その通りだ。私たちがこの騒ぎを収めなければならない。
『ならば、君たちの本当の力を見せる時が来たようだ』
アキラの声が力強く響く。
『占星盤の中枢制御室へと向かいなさい。失われた星の祝福を得た君たちならば、占星盤の暴走を鎮め、この学園に新たな、真の秩序を創造することができるはずだ』
その言葉と共に、私たちの目の前の壁が音もなくスライドした。その先には、学園の中枢タワーへと続く光の通路が現れていた。
◆視点:天沢 要
星見アキラと月詠ルナ。学園の創設者たちの記録に一切残されていない真実の物語。
俺が信じて守るべきだと考えていた完璧な仕組み。それは一人の天才研究者が愛する女性を失った絶望と希望から生み出した、あまりにも人間的な遺産だった。
俺の『北極星の資質』も、星野命の『白紙』も、全ては彼らの掌の上で仕組まれていた壮大な筋書き。俺たちはこの物語の新たな主役として選ばれたに過ぎないというのか。
馬鹿馬鹿しい。だが、不思議と不快ではなかった。むしろ、これまで俺を縛り付けていた完璧でなければならないという重圧から解放されたような奇妙な感覚があった。
しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。学園は未曾有の危機に瀕している。星命図という絶対的な指針を失った何千人もの生徒たちが混乱に陥っている。この混乱は俺たちが責任を持って収拾しなければならない。
俺は隣に立つ星野命を見た。彼女はこの途方もない真実を突きつけられても少しも臆してはいなかった。それどころか、その瞳はこれから始まる新たな物語への期待で爛々と輝いている。
「面白くなってきたじゃないか」
彼女はそう呟くと、にやりと笑った。
この女、やはり俺の理解の範疇を遥かに超えている。
だが、今のこの絶望的な状況を乗り越えるには、俺の論理的な思考だけでは明らかに力が足りない。彼女のその常識を破壊するほどの規格外の力が必要不可欠だ。
俺は覚悟を決めた。
「行くぞ、星野。俺たちがこの混乱を収める」
「言われなくてもそのつもりだ。先頭は私がもらう」
彼女は俺の返事を待たずに光の通路へと駆け出していく。俺は、やれやれと肩をすくめながらもその背中を追いかけた。日野、月島、風間も覚悟を決めた顔で俺たちに続いてくる。
光り輝く通路を走り抜けながら、俺は前を行く星野に尋ねた。
「怖くないのか? 星野。学園の、いや、もしかしたら世界の運命を俺たちが背負うことになるかもしれないんだぞ」
彼女は振り返りもせずに答えた。
「怖い? なんでだ? 白紙の未来に最高の物語をこれから書き込めるんだろう? これ以上の好機はないじゃないか。あんたもちゃんと手伝えよ、私の参謀」
参謀、か。悪くない。
彼女がこの革命の輝かしい象徴となるのなら、俺はその革命を一分の隙もなく成功へと導く最高の設計者になってやろう。
星見アキラと月詠ルナ。俺たちの奇妙な共犯関係は、図らずも学園の創設者たちの壮大な愛の物語を受け継ぐ形で、新たな段階へと進むことになったのだ。
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