第10話

◆視点:星野 命

天沢要たちが追いついてきたが、そんなことは、もうどうでもよかった。私の目の前には、この地下空間の、全ての謎の答えが、鎮座していたのだから。


螺旋階段を降りきった先は、プラネタリウムのような、小さなドーム状の部屋になっていた。壁一面に、精密な星図が描かれており、それが、ぼんやりと青白い光を放っている。


そして、部屋の中央。そこには、何もない空間に、人の頭ほどの大きさの、黒い水晶が、静かに浮かんでいた。


だが、その水晶からは、何の輝きも感じられない。まるで、光を全て吸い込んでしまったかのように、ただ、そこに、在るだけだった。


「これが、『失われた星』……?」


私の後ろから降りてきた月島が、呆然と呟いた。


「どうやら、そのようだな」


天沢要も、苦々しい表情で、黒い水晶を見つめている。


「君の勝ちだ、星野命。俺の完敗だ」


「ふん。わかっていればいい」


私は、目の前の水晶に、ゆっくりと手を伸ばした。ひんやりとした、滑らかな感触。私が、それに触れた、その瞬間だった。


膨大な映像と記憶が、濁流のように、私の頭の中に流れ込んできた。


それは、この学園の創設者、初代学園長の記憶だった。


彼は、偉大な研究者であると同時に、未来を憂う、一人の人間だった。彼が作り出した『占星盤』は、人々の未来を可視化し、進むべき道を示す、画期的な仕組みだった。だが、彼は、その力の、恐ろしさにも気づいていた。


未来が、あまりにも、はっきりと見えすぎてしまう。それは、人々の可能性という名の、不確定な輝きを、奪ってしまうのではないか。決められたレールの上を歩くだけの、魂のない人形を、作り出してしまうのではないか、と。


彼は、深く、深く、悩んでいた。


だから、彼は、もう一つの遺物を、密かに作り出した。それが、この、『失われた星』。


これは、占星盤の、完璧すぎる未来予測に、意図的に『乱れ』を混入させ、運命に、予測不能な『揺らぎ』を与えるための、対抗装置。いわば、安全装置のようなものだった。


そして、この安全装置を起動できるのは、唯一、占星盤の予測から、完全に逸脱した存在。


仕組みが、測定不能と弾き出した、規格外の魂の持ち主。


『白紙』の星命図を持つ者だけ、なのだと。


日野が聞いた「悲しい音」。それは、誰にも見つけてもらえず、本来の役割を果たせないまま、長い年月、この場所で眠り続けていた、この星の、嘆きの声だったのだ。


記憶の奔流が、止んだ。私は、目の前の黒い水晶を、改めて見つめた。


「どうすればいい……。どうすれば、あんたを、目覚めさせることができる?」


私が問いかけても、水晶は、沈黙したままだ。


「ただの飾りとは思えんな」


その時、要が、壁に描かれた星図を指差した。彼は、すでに、敗北の衝撃から立ち直り、冷静な分析を始めている。


「これは、何かの回路図だ。この部屋全体が、一つの装置として、機能している可能性がある」


「私も、そう思う」


月島も、いつの間にか、持参した小型の分析装置で、黒い水晶を調べていた。


「この水晶、内部に、ものすごい力が蓄えられてる。でも、何か、きっかけがないと、それを外に解放できないみたい。まるで、頑丈な鍵がかかった、宝箱って感じ」


きっかけ。鍵。それは、間違いなく、私だ。だが、血を捧げただけでは、足りないというのか。


「……そういえば」


それまで黙っていた風間が、ぽつりと口を開いた。


「あの農家の爺さん、こうも言っていた。『学園長は、いつも、二人で、星を見ていた』ってな」


二人? 一体、誰と?


その言葉に、はっとしたのは、要だった。彼は、壁の星図の一点を、鋭い目つきで睨みつけている。


「……北極星だ。この星図は、現在のものと、寸分違わぬ配置で描かれている。だが、一点だけ、おかしなところがある」


要が指差した先。そこには、不動の星、北極星が描かれていた。だが、そのすぐ隣に、本来なら存在しないはずの、もう一つの、名前のない星が、寄り添うように、描かれていた。


「まさか……」


俺の星命図は、『北極星の資質を持つ』。


そして、彼女は、『白紙』。


全てが、繋がった。この『失われた星』は、どちらか一方だけでは、起動できない。二つの、対極の存在が、揃って初めて、その、真の力を発揮するのだ。


「やってみるか、天沢」


私が、彼に視線を向けると、彼は、少しだけ驚いたような顔をして、だが、すぐに、不敵な笑みを浮かべた。


「非論理的極まりないが、現状、最も可能性の高い仮説だ。試す価値は、あるだろう」


私と要は、頷き合うと、二人、同時に、黒い水晶へと、手を伸ばした。


私たちの指先が、冷たい表面に触れた、その瞬間。


黒い水晶が、内側から、閃光を放った。それは、闇を切り裂くような、眩い、純白の光だった。


「うわっ!」


日野と月島が、思わず目を覆う。部屋全体が、地響きのように、激しく振動し始めた。壁に描かれた星図が、まるで、命を宿したかのように、猛烈な速さで、動き出す。


星創祭は、まだ、始まったばかりだ。他の優秀な生徒たちが、いまだに、地下書庫で、古い文献の埃を払っている頃、私たちは、この学園の、創設の秘密そのものに、誰よりも早く、辿り着いてしまったのだ。


やがて、凄まじい光と振動が、収まった。


目の前の水晶は、以前の、光を吸い込むような黒色から、どこまでも透き通った、清浄な輝きを放つ、美しい宝玉へと、姿を変えていた。


そして、私たちの頭の中に、直接、声が響いた。


それは、優しく、そして、どこか懐かしい、老人の声だった。


『ありがとう。我が子らよ。ようやく、私を、目覚めさせてくれたのだな』


だが、声は、一つではなかった。老人の声に、重なるようにして、凛とした、若い女性の声も、聞こえてくる。


『さあ、願いを、言いなさい。あなたたちは、その資格を得たのですから』


初代学園長と、もう一人。知らない、女性の声。


要と私は、顔を見合わせた。あの農家の老人が言っていた、「二人で星を見ていた」という、もう一人の人物。それは、この女性の声の、主なのかもしれない。


「待ってくれ」


私は、頭の中に響く声に、語りかけた。


「願いを言うのは、まだ早い。まずは、教えてほしい。あんたたちは、誰なんだ? そして、この学園の、本当の秘密は、何なんだ?」


要も、静かに頷いた。


「同感だ。我々は、まだ、何も知らない。この遺物が、我々の想像以上に、複雑な過去を背負っていること以外は」


『……よろしい。ならば、語ろう。我々の、そして、この星見森学園の、始まりの物語を』


私たちの問いに、二つの声は、そう答えた。


だが、その瞬間。私たちがいる地下空間だけでなく、学園全体が、再び、大きく揺れた。


中枢の塔にある、本物の『占星盤』が、活性化した『失われた星』の力に呼応し、暴走を始めたのだ。


学園中の、全生徒の端末に、緊急警報が鳴り響く。


そこに映し出されていたのは、自分たちの『星命図』が、激しく明滅を繰り返し、やがて、次々と、文字化けを起こしていく、信じられない光景だった。


既存の運命が、音を立てて、崩れ始めていた。

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