ミコトは世界を書き換える
☆ほしい
第1話
視点:星野 命
入学式が終わり、本当の意味での学園生活が始まった。ここ、星見森学園は、生徒一人ひとりの未来を示すという「星命図」によって、進むべき道が明確に定められている。ほとんどの生徒は、入学初日から自分の才能に合った専門課程のオリエンテーションへと向かっていた。
しかし、私にはその「進むべき道」とやらが、ない。何しろ、私の星命図は前代未聞の『白紙』なのだから。
教室の席で腕を組み、私は目の前に積まれた分厚い専門課程の案内書を睨みつけていた。『革新者』『治癒師』『為政者』『物語の紡ぎ手』。きらきらしい称号が並んでいるが、どれも今の私には関係ない。担任の教官は、あからさまに面倒くさそうな顔で私に言った。「星野、お前はとりあえず基礎教養の授業だけ受けていろ。専門課程については、追って沙汰がある」と。要するに、厄介払いをされたわけだ。
だが、それで引き下がる私ではない。追って沙汰がある、などと待っていられるか。私の目標は、この学園のシステムに私の実力を認めさせ、自らの手で伝説の称号『北極星』を勝ち取ることなのだ。基礎教養だけでのんびり過ごしていては、目標達成など夢のまた夢だ。
ならば、答えは一つしかない。
「詩織」
隣の席で、真新しい教科書に几帳面に名前を書き込んでいたルームメイトの鈴原詩織が、びくりと肩を揺らした。
「な、なに、命ちゃん?」
「決めた。私は、この学園のすべての専門課程を制覇する」
「……はい?」
詩織がぽかんと口を開けた。その手からペンが滑り落ち、コロコロと床を転がっていく。無理もない。彼女の星命図は『物語の紡ぎ手』。進むべき道は明確だ。私の突拍子もない宣言は、彼女の常識の範疇を遥かに超えているのだろう。
「すべての課程を、制覇って……そんなの、物理的に不可能だよ! 時間割だって組めないし、そもそも資格がないじゃない!」
「不可能かどうかは、やってみなければわからないだろう。資格がないなら、作ればいい。ルールがないなら、私がルールになればいい」
私は椅子から立ち上がると、案内書の中からひときわり古めかしい装丁のページを抜き出した。
『古代紋様学』。
星命図の中でも、特に解析や予言といった特殊な才能を持つ者にしか履修が許されない、最難関の課程の一つだ。
「まずはここからだ。手始めにちょうどいい」
「ちょ、ちょっと待ってよ命ちゃん! そこは確か、新入生総代の天沢要くんが選択したっていう……」
詩織の制止の声が背後から聞こえたが、私の足は止まらない。天沢要。あの完璧な星命図を持つ、秩序と調和の男。好都合だ。学園の頂点に立つと公言する男がいる場所こそ、私が最初に乗り込むべき舞台にふさわしい。
重厚な扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。教室は円形の講義室になっており、壁一面に見たこともない複雑な紋様が刻まれた石板が並んでいる。すでに席に着いている生徒たちは、皆一様に真剣な面持ちで、手元の資料に目を通していた。その中に、天沢要の姿はすぐに見つかった。最前列の中央、背筋を伸ばして座るその姿は、周囲から放たれる緊張感とは無縁の、絶対的な自信に満ち溢れていた。
私が教室に足を踏み入れた瞬間、何人かの生徒が顔を上げ、訝しげな視線を向けてきた。当然だろう。私はここにいるべき人間ではないのだから。
私は構わず、ずかずかと空いている席に向かって歩いた。その途中で、天沢要と視線がぶつかった。彼の瞳には、何の感情も浮かんでいない。まるで道端の石でも見るかのような、無機質な視線。だが、その奥に「なぜお前がここにいる」という冷たい問いかけが透けて見えた。
「君、ここは『古代紋様学』の専門課程の教室だ。基礎教養の生徒が入る場所ではない」
私が席に着くよりも早く、彼が静かに、しかしはっきりと響く声で言った。その声に、教室中の視線が一斉に私へと突き刺さる。
「知っている。だから来たんだろう」
私は悪びれもせずに答えた。
「ここは見学に来ただけだ。どんなものか、見ておきたくてな」
「見学? 履修資格のない者が見学など、前例がない。規則違反だ。速やかに退室したまえ」
彼の言葉は、どこまでも正しく、論理的だった。だが、そんな正論は私には通用しない。
「前例がないなら、私が前例になればいい。規則にないなら、今ここで新しい規則を作ればいいだろう」
「……話にならない。君のような存在は、この学園の秩序を乱すバグでしかない」
天沢要は、心底理解できないといった様子で、小さくため息をついた。その態度が、私の闘争心に火をつけた。
「バグで結構。システムが予測できない動きをするからこそ、新しいものが生まれるんだろう。あんたみたいに、決められたレールの上を走るだけの優等生には、一生かかってもわからないだろうがな」
「何だと?」
彼の眉が、わずかにぴくりと動いた。初めて彼の無表情が崩れたのを見て、私は少しだけ愉快な気分になった。
私たちのやり取りで、教室の空気は完全に凍りついていた。他の生徒たちは、固唾を飲んで私たちを見守っている。この状況を収拾したのは、教室に入ってきた白衣姿の老教官だった。
「騒がしいな。何事だね」
教官は私と要を交互に見ると、すぐに状況を察したようだった。
「天沢、説明したまえ」
「この生徒が、履修資格がないにも関わらず、教室に侵入し、退室勧告にも応じません」
要は淡々と事実だけを述べた。教官は、やれやれといった表情で私に視線を向けた。
「君が、あの『白紙』の星野かね。噂は聞いている」
「その『白紙』の星野だ。この授業に興味がある。だから見学させてほしい」
私は堂々と要求した。教官はしばらく腕を組んで何か考えていたが、やがて面白そうに口の端を上げた。
「よかろう。だが、ただで見せるわけにはいかん。君が、我々の研究対象たる紋様の、ほんの入り口だけでも理解できる素質があるか、試させてもらおう」
そう言って、教官は壁にかけられた一枚の小さな石板を指さした。そこには、渦を巻くような、単純ながらも不思議な引力を持つ紋様が刻まれていた。
「あれは、古代文明の遺跡から発掘されたものだ。意味は未だ解明されていない。だが、我々はこの紋様を『始まりの渦』と呼んでいる。さあ、星野。君には、この紋様が何に見える? 何を感じるかね?」
それは、明らかに試すような問いだった。周囲から、くすくすという嘲笑が聞こえてくる。天沢要も、冷ややかな目で見ている。「できるはずがない」と、その目が語っていた。
私は石板の前に歩み寄り、じっとその紋様を見つめた。理論も知識もない。だが、見ているうちに、頭の中に直接何かが流れ込んでくるような感覚に陥った。渦の中心が、まるで呼吸をしているように、かすかに明滅しているように見える。
これは、形じゃない。記号でも、文字でもない。
「……流れ、だ」
私は、感じたままを口にした。
「これは、力の通り道を示している。始まりでも終わりでもない。ただ、ここから力が生まれ、そしてここへ還っていく。循環しているだけだ」
教室が、しんと静まり返った。嘲笑は消え、誰もが驚いたように私を見ていた。教官は目を見開き、口を半開きにしている。
そして、天沢要。彼の完璧な無表情が、再び崩れていた。驚愕と、信じられないという色が、その瞳に浮かんでいた。
「……ほう。面白いことを言う。実に、面白い」
最初に沈黙を破ったのは、教官だった。彼は満足そうに頷くと、私に向かって言った。
「よろしい。星野命。君に、条件付きでこの授業への聴講を許可しよう。ただし、他の生徒の邪魔をするようなら、即刻つまみ出す。いいな」
「望むところだ」
私はにやりと笑って答えた。天沢要の、射るような視線を感じながら、私は空いていた席に堂々と腰を下ろした。
これが、私の革命の第一歩。白紙の星命図に、最初の文字を刻み込むための、始まりの狼煙だ。
その日の夜、寮の自室に戻ると、詩織が鬼の形相で待ち構えていた。
「命ちゃん! いったい何考えてるの! 学園中、もうその噂で持ちきりだよ! 『白紙』の子が、天沢くんに喧嘩を売って、古代紋様学の聴講許可を無理やりもぎ取ったって!」
「事実だから仕方ないだろう。それに、喧嘩を売ったつもりはない。意見が対立しただけだ」
私はベッドにどさりと腰を下ろしながら、あっけらかんと答えた。詩織は、そんな私に心底呆れたように大きなため息をついた。
「はあ……。もう、本当に命ちゃんは……。でも、すごいよ。あの紋様の意味を言い当てたんでしょう? どうしてわかったの?」
「わかった、というより、見えた、という感じだ。理屈は説明できない」
「見えた……」
詩織は何か考え込むように黙り込んだ。彼女は常識人で臆病だが、物事の本質を捉えようとする『物語の紡ぎ手』としての才能の片鱗を、時折見せることがある。
「命ちゃんは、やっぱり特別なんだよ。星命図が『白紙』なのも、きっと何か意味があるんだわ」
「そうだろう。白紙とは、すなわち無限の可能性。これから私が、最高の物語を書き込んでやる」
私は窓の外に広がる星空を見上げた。無数の星が輝いている。だが、私の目指す場所は、そのどれでもない。すべての星の中心で、不動の輝きを放つ、唯一の星。
「待っていろ、天沢要。あんたの完璧な世界を、この私が根底からひっくり返してやる」
白紙の未来に、確かな一歩を刻み込んだ満足感と共に、私は不敵な笑みを浮かべた。
視点:天沢 要
自室に戻り、俺は今日の出来事を反芻していた。星野命。あの『白紙』の女。
彼女の存在は、俺がこれまで築き上げてきた完璧な世界において、明確なノイズだった。俺の星命図は『北極星の資質を持つ』と示している。それは、秩序と調和の象徴であり、この学園のシステムそのものを体現する存在になるということだ。その俺の前に現れた、システムから逸脱した規格外の存在。
最初は、ただの無知で無謀な愚か者だと思っていた。秩序を理解せず、感情のままに行動する、取るに足らないイレギュラー。排除すべき対象。そう認識していた。
だが、あの教室での出来事は、俺の認識をわずかに揺るがした。
『始まりの渦』。あの紋様は、数多の研究者が挑み、誰もその本質を解き明かせなかったものだ。俺自身も、これまでの知識と理論を総動員して解析を試みたが、いまだに核心には至っていない。
それなのに、彼女は――星野命は、何の知識もないはずの彼女は、一目見ただけで、その本質を看破したかのような言葉を口にした。
『流れだ。力の通り道を示している』
あの言葉が、頭から離れない。あれは、ただの偶然か。あるいは、まぐれの勘か。いや、違う。あの時の彼女の瞳は、確かに何かを捉えていた。俺たちが見ることのできない、物事の根源的な何かを。
だとしたら、彼女は一体何者なのだ?
『白紙』の星命図。測定不能。それは、無能の証明ではなかったのか。だが、もし、システムが持ちうるあらゆる尺度を振り切るほどの、規格外の才能だとしたら?
馬鹿な。ありえない。占星盤のシステムは完璧だ。この学園の歴史そのものが、その正しさを証明している。彼女はシステムのバグだ。そうでなければならない。
しかし、胸の内に生まれた小さな疑念の染みは、消えてはくれなかった。星野命。彼女の存在は、俺の完璧な未来予想図に投じられた、予測不能な変数。
面白い。
そう思った自分に、俺は内心で驚愕した。苛立ちや警戒心ではない。未知の存在に対する、わずかな好奇心。そんな感情が、俺の中に芽生え始めていることを、認めざるを得なかった。
俺は机の上に広げられた、寸分の狂いもなく作成された自身の学習計画表に目を落とす。明日からの予定も、一分単位で完璧に組まれている。
だが、明日から、この完璧な計画に、一つの不確定要素が加わる。
星野命。
「システムのバグなら、俺がデバッグしてやるまでだ」
誰に言うでもなく呟いた言葉は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。彼女を理解し、分析し、制御する。それが、秩序を守る者としての俺の役目だ。
だが、心のどこかで、それが容易ではないことを予感していた。あの女は、俺の想像を、そしておそらくは、この学園のシステムの想像すら、超えてくるだろう。
静まり返った部屋で、俺は初めて、自分の完璧な未来が、ほんの少しだけ、色を変えて見え始めているのを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます