【第十五話】「宰相の影」


 崩れた壁から舞い込む砂煙と炎の熱気の中、俺たちは目を見張った。

 現れたのは、かつて魔王軍の四天王の一人と呼ばれた戦士――ガルドだった。

 巨躯に似合わぬ俊敏さで大剣を肩に担ぎ、牙を剥いた笑みを浮かべている。


「ガルド……!」

 アルトが呟いた声には驚きと、わずかな安堵が混じっていた。


「久しぶりだな、アルト。……お前が人間の城に忍び込んでると聞いて、まさかとは思ったが」

「情報が……早いな」

「俺を誰だと思ってる? 今も魔界に残った古参は、この手の匂いを嗅ぎ分けるのが得意なんだよ」


 ガルドは大剣を軽々と振り下ろすと、目の前にいた影を一撃で吹き飛ばした。

 石壁ごと叩き割られ、影の兵は呻き声を上げる間もなく沈黙する。



---



「貴様……魔族が何故ここに!」

 影たちの一人が叫ぶ。


「決まってんだろ。魔王様を殺した奴らを、ぶっ潰すためだ」

 ガルドの声は低く、しかし烈火のごとき怒気を孕んでいた。

 それは仲間を喪った者の怒り、そして魔族の誇りを守ろうとする意志そのものだった。


「……いいところに来てくれたな」

 俺は思わず口元を歪めた。

 圧倒的な数的不利に押されていた戦況が、一瞬で揺らいだ。



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 だが宰相は、怯むことなく杖を床に突き立てた。

 その瞬間、記録庫の床一面に光の紋章が広がる。


「……やはり、ただの老人じゃなかったか」

 俺が低く呟くと、宰相は冷笑を浮かべた。


「愚か者ども。魔王を英雄と讃える愚民どもは知らぬ。……我ら王家は、常に“均衡”を守らねばならぬのだ」


「均衡……?」

 アルトが眉をひそめる。


「魔族が人間と手を結ぶなど、本来あってはならぬ。力の均衡が崩れれば、いずれ人間は滅ぶ。だからこそ――魔王は消さねばならなかったのだ」


 その言葉に、ルナが震える声で叫ぶ。

「そんな理由で……! 魔王様は、誰よりも人間を信じて……! 平和のために全てを捧げたのに!」


「理想は美しい。だが現実を動かすのは恐怖と力だ」

 宰相の瞳は氷のように冷たかった。



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 宰相の紋章から迸る光が、影たちの身体を包み込む。

 その動きはさらに速く、鋭くなった。


「強化術式か……!」

 アルトが舌打ちする。

 宰相の術により、影の戦士たちは常人の域を超えた動きを見せ始めた。


 だが――


「舐めんなッ!」

 ガルドが大剣を振るうたびに、強化された影たちが壁ごと叩き潰されていく。

 血飛沫と瓦礫が舞い散り、戦場の空気は一瞬で荒れ狂った嵐のように変わった。



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「ルナ、後ろに下がれ!」

 俺は叫びながら、二人がかりで襲いかかる影を相手取った。

 剣と短剣が火花を散らし、息を詰めるような攻防が続く。


 だが、今の俺は恐怖ではなく怒りで動いていた。

 ――魔王様を殺した者が、目の前にいる。

 その事実が、血を沸き立たせる。


「絶対に……逃がさねぇ!」

 俺は剣を突き立て、一人の影を胸ごと壁に縫い止めた。



---



 宰相はそんな戦況を冷静に見据え、ふっと薄く笑った。


「なるほど。やはり“右腕”と呼ばれるだけはあるな」


「俺を知ってるのか……?」


「当然だ。魔王の隣に常にいた者を、我らが知らぬはずもなかろう」

 宰相の視線は俺を突き刺すように鋭かった。


「だが、右腕を潰せば……残りは取るに足らん」


 その瞬間、紋章からさらに強烈な光が放たれ、影たちが一斉に俺へ殺到した。



---



「やらせねぇ!」

 ガルドが咆哮と共に踏み込み、大剣を地面に叩きつけた。

 衝撃波が走り、影たちの足が一瞬止まる。


「今だ、坊主!」


「助かった!」

 俺は剣を振り抜き、道を切り開く。


 戦場は混沌としていた。

 宰相の冷徹な策、影の強化、そしてガルドの猛攻――。

 記録庫は瓦礫と炎と血に染まり、もはやただの保存庫ではなくなっていた。



---



 そして――その混乱の最中。

 宰相は静かに口を開いた。


「お前たちは知らぬだろう……魔王の死は、ただの序章に過ぎぬ」


 俺は思わず剣を止めた。

「……どういう意味だ」


 宰相は血のように赤い瞳で俺たちを見据え、低く告げた。


「真の計画は、すでに始まっている。……“継承”だ」


 その言葉が放たれた瞬間、戦場の空気が凍りついた――。


【第十五話・完】

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