第16話 デッドヒート

金曜日。星夜は、税理士先生と明日の提案での打ち合わせを終え、社内の各種申請作業をこなす。各部署やブロック等に、勝負する案件は契約業務になるべく早く移行できるよう事前に根回しをしておく。ここからは本当にスピード勝負。明日の提案資料は、星夜と町田さんで再度打ち合わせ、今根課長には、明日の夜よろしくお願いしますとアポ確認に行ってもらうようお願いした。今日はお父様のところにも顔を出して世間話をして来てと伝えた。

夜になり、今根課長から連絡があった。

ご長女は、問題なく明日よろしくお願いしますと言ってもらえたようだ。お父様と話す中で、D社がよく来ていて、借入不安を考慮し規模を縮小したプランで迫って来ているという。

今根課長からはD社とプランを合わせた方が良いか相談を受けたが、そうしたらおそらく負ける。ここは自分を信じて欲しいと星夜は今根課長に伝えた。そして、決着の時は迫っていた。


土曜日の午前中、星夜は世田谷区内にある神社を参拝した。大事な商談の前にお参りする営業マンは少なくないだろう。午後には提案資料も見直し、準備は整った。税理士さんを迎えに行き、社内でも最終の打ち合わせを重ねる。

星夜は様々な想定をしているが、今根課長にはあえて伝えていない。

『平常心』で彼には彼の役割を全うしてもらいたい。

高島様の近所にあるコインパーキングに車を停め、徒歩でご自宅に向かった。夜という事もあり、辺りはとても静けさが漂う。

インターフォンを鳴らすと、正面玄関から珍しくご長女が現れた。バツの悪そうな表情だった。

『想定していた最悪のパターンか…。』

星夜は直ぐにそう感じた。いきなりご長女が「すみません。あの…。」

と謝罪の言葉を口にした。今根課長は固まっていた。後ろ姿でわかる。

聞けば、D社で前に進む事をお父様が決めたそうだ。つい先程までD社がいたのだろう。ご長女に何とかお父様を呼びに言ってもらった。

お父様は、少し面倒くさそうにゆっくりこちらへ歩いてきた。

「悪いけどD社でアパート建てる事に決めたから。」

これがお父様の第一声だった。

正に張り詰めた空気で雰囲気は最悪。

誰も何も話さずに10数秒たっただろうか。

星夜が切り出した。

「そうですか。ご決断されるのはさぞ大変だったと思います。因みにいつご契約なさるのですか?」

お父様は少し間をあけて、

「まあそれは…。」

と言った。

星夜はまた直ぐに、

「D社さんは週明けの月曜日にまた来るんですよね?」

するとお父様は、

「おお、そうだな。月曜日にまた来るって言っていた。また3人で来るそうだ。」

と教えてくれた。

お父様の背中越しに、こちらを見れずに俯くご夫婦の姿が見える。星夜は続けてご長女ご夫婦に問いかけた。

「ご夫婦共にD社さんの説明を受けて納得されたのであれば仕方がないですね。」

ここでご主人が、

「プランはC社さんの方が良いと思いますが、最終的には父の決断に従う迄です…。」

この時星夜は、この言葉がご長女から出て来るだろうと思っていた。そうなれば五分五分か…。そうイメージしていたが、珍しくご主人がそう言ってくれたのだ。

これはご夫婦としては腹落ちしていない証拠。ご長女は、お父様の手前何も言えなかったが、本音で思っている事をご主人が代弁してくれたのだと星夜は捉えた。この時、星夜はここから逆転出来る事を確信した。

星夜はお父様に、

「D社さんからは、税対策の話は詳しく聞いていないのではないですか?」

お父様は、

「そうだな。前にC社さんから少し聞いていたから、いつかは何かしなければとは思っていた所、連日の様に何人かで説得に来られたから負けたわ…。」

自らの心境を語ってくれた。星夜は続けて、「今日はそう思ったので、他社さんも含め、私達営業からではなく税務のプロの方に一緒に来て頂きました。大切なご決断の前に、リラックスして少しお勉強の時間としましょう。それでは少しテーブルをお借りします。お邪魔します。」

そう言って家の中にあげてもらった。

まあ悪く言えば強引にあがらせてもらったという事にしておこう。


高島家の3人が、目の前に揃って3人とも俯いている。星夜はここで税理士の【加藤さん】をご紹介した。

「初めまして。税理士の加藤でございます。本日は、素朴な疑問も、聞きにくい事も何でもお聞きください。宜しくお願い致します。」

加藤さんが皆さんに挨拶をしてくれた。

加藤さんは50代のベテラン税理士で、これまで東京で20年以上、自らの事務所を抱えながら現場に出向くのが好きな人だ。初対面でも安心感を与えられる人間性を持ちつつも、正しい事はズバズバもの言える性格でもある。

今根課長が資料を広げながら質疑応答をして、ご長女夫婦からは特に相続税についていくつか質問があった。そのやりとりをお父様は隣で黙って聞いている。税理士の加藤さんも交えて、ひと通りのやり取りが、ご長女夫婦の表情をほぐしている事が見て取れる。税対策をしなければいけないという腹が決まっている事と、しっかり対策をすれば何も心配いらないという事が改めてわかった安心感があるのだろう。

その様子を見ていた星夜が、資料をめくりながらお父様へ話しかけた。

「やはり1番知りたい所はここですよね?」

そう言って資料に指を刺した。相続税を、土地を売って支払った場合の数字である。

この時、お父様と目が合った。資料にある数字について、その根拠を加藤さんに説明してもらった。お父様は、時折頷きながら真剣にその説明を聞いている。表情も少し険しくなっていた。思っていた以上に資産が残らなくなってしまう事に腹落ちしたようだった。お父様は、「まあやっぱりアパート建てないといけないな…。だけど、規模は小さいがD社の方が借入額が少ないからその方が良いと思ったんだ。」

と率直な意見を聞かせてくれた。

お父様のこの意見に対してご長女は、

「規模は大きくて借入額が増えても、C社さんのプランの方が手残り収入が多いし、その方が相続税も少なくなる。」

と、隣でお父様に話してくれた。

単純に借入額が全て相続税評価額から引いてもらえるわけではない。新築する場合の建物評価額は、鉄骨造や木造、その規模でも変わって来るが、借入額については評価から差し引いてもらえるのは『借入の元金』だけだ。利息は関係ない。

「元々、D社の方の提案は借入金利が高い。よって、トータルで考えた際に相続税の対策効果はC社の方が高い。」

今一度、その仕組みを加藤さんからも説明してもらった。星夜と今根課長が用意した提案書は、家賃が段階的に下がる事を想定し、金利が上がっていく可能性や、修繕にかかる費用等、過去のデータを元にしっかりと負荷をかけた数字だ。ここも、ご長女夫婦からは信頼を得ている。お父様は暫く黙って俯いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る